寿限無は、日本一の信者数、創価学会のまねしている。

 偽宗教の見本を真似しているが、創価学会は、創価の教えであると説く。以下のように。そして幸福になれると。布教する。
 創価学会公式ブログ にはこんな図がある。布教用であろう。教義を青字引用する。           日蓮大聖人の仏法は、現実の人生の中で「崩れざる幸福境涯」を築いていくための信仰です。そのためには日々の生活の中で信心の実践を積み重ねていくことが重要な意味をもってきます。信心は自らの生命の鍛錬にほかならないからです。   また、大聖人の仏法は「人間としての勝利」を教えた宗教です。そのために、仏法で開いた智慧と生命力で人々の信頼を勝ちとっていく振る舞いが重要になってきます。  ここでは、日蓮大聖人の仏法の実践において大切な柱となる「功徳と罰」「諸天善神」「異体同心」「信心即生活」「人の振る舞い」について学びます。  
    

私たちは、南無妙法蓮華経という最高の法を正しく信じ持てば、妙法にそなわる限りない功徳を受け切っていくことができます。    妙法の根本であり究極の功徳は、成仏、すなわち、揺るぎない幸福境涯を確立することです。    妙法を信じて実践を始めることは、成仏という絶対的な幸福境涯への軌道に入るということです。妙法を根本に生きることで、おのずと正しい生き方となり、幸福を築いていけます。    御書には、「悪を滅するを『功』と云い、善を生ずるを『徳』と云うなり」(御書新版1062㌻・御書全集762㌻)とあります。信心の実践に励み、私たちの生命を覆う煩悩や苦悩などの悪を消滅させ、智慧や安楽などの善を生み出すことが功徳です。   また、「『功徳』とは、即身成仏なり。また『六根清浄』なり。法華経の説文のごとく修行するを、『
六根清浄』と意得べきなり」(同)とあります。   六根清浄とは、私たちの六根(眼・耳耳・鼻・舌・身・意。六つの知覚器官)、すなわち生命の全体が浄化され、本来もっているはたらきを十分に発揮することです。これによって、私たちは、さまざまな困難に直面しても動揺しない、力強い仏界の大境涯をわが身に開き顕していくことができます。   このように、私たちが自身の仏性を顕現する実践によって、現実の人生と生活のうえに厳然たる功徳の実証が現れ、必ず福徳に満ちた生活を送れるようになります。大聖人は、次のように仰せです。  「この曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし。南無妙法蓮華経は師子吼のごとし、いかなる病さわりをなすべきや。鬼子母神・十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。さいわいは愛染のごとく、福は毘沙門のごとくなるべし。いかなる処にて遊びたわぶるとも、つつがあるべからず。遊行して畏れ無きこと、師子王のごとくなるべし」(御書新版1633㌻・御書全集1124㌻)     すなわち、私たちは題目の力によって、諸天善神のはたらきにも守られ、人生のさまざまな困難を乗り越えて、福徳に包まれ、どのような場所にあっても師子王のような恐れを知らない境涯でいられるのです。      また「法華経を信ずる人は、さいわいを万里の外よりあつむべし」(御書新版2037㌻・御書全集1492㌻)と仰せのように、妙法を受持する人は、幸福をあらゆるところから招きよせるのです。     さらに、
「さいわいは心よりいでて我をかざる」「せんだんにこうばしさのそなえたるがごとし」(同)と教えられています。    栴檀という香木に芳香がそなわっているように、妙法を受持する人は、福徳が内から薫り出て、人々から愛され信頼され、生活も人生も守られていくのです。     反対に、仏法を誹謗し、因果の理法に反すれば、生命に悪因を刻むとともに、生活のうえに罰の現証があらわれます。 見方を変えれば、罰もまた、人々を正しく導く妙法のすぐれた性質の一つなのであって、功徳と捉え返すことができるのです。    このように、妙法を信受する功徳と、妙法を誹謗する罰が厳然とあると説 くのが日蓮大聖人の仏法です。


 私たちが正法を実践して、善の生き方をしていけば、それに応じて、周囲の人々や環境にそなわる善のはたらきが呼び起こされ、諸天善神として、私たちを支え守ります。正法が、諸天善神の力を増す源泉です。正法は、諸天善神のいわば栄養とみなされ、法味と呼ばれます。  「神の護ると申すも、人の心つよきによるとみえて候」(御書新版1608㌻・御書全集1186㌻)と仰せのように、私たちの正法を護り持つ信心の強弱によって、諸天の守護が、強くも弱くもなるのです。  上の下線部が「功徳と罰」「強気信心の人を諸天が守る」の紹介である。そして創価学会は、法華経から肝要となる教えを導いた功徳のある人、強気信心の人以下三名を紹介している。
 

 教義上の宗祖、日蓮は天理教十柱の神の裏守護では大食天命、切る神である。欲がお嫌いな神である。

 創価学会は日蓮宗ではない、偽皇教の一派である。

  

創価学会歴代会長について、 学会は、「牧口先生のご生涯は、権力による抑圧との闘争そのものでした。」という。

 創価学会設立当時の中国権力側に、堀川辰吉郎という人物がいる。

 1891年誕生、世界紅卍字会 名誉会長、大日本国粋会 総裁秘書長、世界救世教 最高顧問、善隣会 最高顧問、いのちの会 名誉会長である。

 13才で孫文に託され「日本の若宮」と紹介され、1912年まで孫文と生死を共にして辛亥革命の成功に尽力した。

 孫文は堀川を自分の重要な密使として縦横に使い、堀川の天性の能力を十分に発揮させて革命運動の推進力とした。孫文の中国に親密であり、軍閥の中で最も入れ込んでいたのは張作霖だった。張作霖と親しく交流するうちに、堀川と張作霖の息子・張学良は兄弟の契りを結んだという。張作霖爆殺事件により堀川は日本の軍閥は中国の平和と自由を破壊すると考えるようになった。牧口と戸田は中国人脈堀川に接近した。

 

 がお指図で偽本部と指弾し予言した偽神道本部誕生に、創価学会は深くかかわる。

 天理教のはずの寿限無が、天理教勉強ブログが、お人よしにも創価学会のまねしようとしていては、女のお怒りが激甚災害を生む。

 天理教にはそれだけの責任があるのだ。

 

 創価の親中路線は戦前の創価教育が中国人留学生に開かれていたに起因する。

 池田大作牧口と戸田の親中国路線創価の基礎をつくったを心得て三代目を名乗った。日蓮宗と会う前に創価を説いていて、創価は谷口の創作語であり、釈迦の仏法ではない。牧口自身、宗門に提出した調書で、1930年創立の創価学会である。

「創価教育学会は純然たる日蓮正宗ではなく、自分の価値論を実践する一個の独立した団体」である「創価初代」だと示す

 

 1943年5月、神社神道を批判した谷口と戸田城聖の立場は軍閥にすりよる神社神道を批判したもので、軍閥は中国の奴隷化を策していた。

 太平洋戦争は同年2月に日本陸軍はガダルカナル島から撤退(ケ号作戦)した。半年にも及ぶ消耗戦により、日米豪両軍に大きな損害が生じた。

 国力に限界がある日本にとっては取り返しのつかない損害であって、これ以降、ソロモン諸島での戦闘は両軍拮抗したまま続く。その中、4月18日には、日本海軍の連合艦隊司令長官の山本五十六海軍大将が、前線視察のため訪れていたブーゲンビル島上空でアメリカ海軍情報局による暗号解読を受けたP-38戦闘機の待ち伏せを受け、乗機の一式陸上攻撃機を撃墜され戦死した(海軍甲事件)が、大本営は山本長官の死の事実を1か月以上たった5月21日まで伏せていた。敗色濃厚の情勢で、日本には善神の保護がないと見た谷口と戸田は同月神社神道を批判し、機関誌『新教』が廃刊に追い込まれ、6月、日蓮正宗総本山大石寺に呼ばれた牧口と戸田らは、管長鈴木日恭と堀日亨同席の下、庶務部長から「学会も一応、神札を受け取るようにしてはどうか」と申し渡されるが、これを拒絶する(神札問題)発生である。
 その結果だが牧口と戸田は獄中にても転向を拒否し、谷口は1944年11月18日、東京拘置所内で栄養失調と老衰のため死去である。これは「功徳」なく、仏罰である。
  牧口も戸田も敗戦待ちでっあったが、宗祖のはずの日蓮の如く、弾圧者に法理を説き、説法するの実行はなかった。つまりみきとは、日蓮とは違う。
  国粋主義者や中国人留学生に創価教育学を売り込む経済効果を創りだしたが、折伏は何もしていない状態の谷口、戸田であるとしか見えない。故に功徳はない。
初代会長牧口常三郎においては出版物公刊での創価には見るべき成果はあったが、新中国人脈の権力と接近してのもので仏法の功徳はなく、哀れな人生である。
  谷口の谷口に折伏なしは二代会長戸田城聖の知るところであり、1945年(昭和20年)7月、戸田は巣鴨の東京拘置所から出所し1946年(昭和21年)5月3日 - 創価教育学会の名を創価学会に改称している。教育書籍公刊事業が価値のないものとなった「教育」から撤退である。1949年(昭和24年) - 東京建設信用組合を設立したが資金難で倒産、撤退し、1951年(昭和26年) - 創価学会第2代会長に就任する。
この年折伏教典を刊行開始である。教育で教育出版物の体験例に倣い、日蓮の宗教で日蓮の宗教出版物公刊販売は「創価」として有効な手段であり、その売れた要因は森口と戸田が軍部から強制された神札受け取りを拒絶した事実にある。創価学会はこう解説する。「法華経を読んでみますと、法華経を信ずる者を諸天善神が加護するとあります。これははっきり定められています。これは陀羅尼品(だらにほん)第二十六にあります。とくに鬼子母神(きしもじん)、十羅刹女(じゅうらせつにょ)が、「法華の名をたもつ者をとくにお守り申し上げます」と仏に申し上げたときに、仏は「おまえたちの功徳はひじょうに大きいぞ、その願いを立てることは大きいぞ」とこういっております。諸天善神とは、太陽もそのなかにはいり、梵天(ぼんてん)、帝釈(たいしゃく)もそのなかにはいります。あるいは天照太神、正八幡大菩薩、あらゆる神々がそのなかにはいると、日蓮大聖人様はおおせになっております。それではその神々はどこにいるかということになります。神社にいるかというと、神社にはおりません。われわれの体のなかにいるのです。梵天、帝釈も、また日月および大明星天も天照太神も正八幡大菩薩も、われわれの体のなかにいるのです。」この教説は正しい。そして「天照太神だって、日本の国にはおりません。」と説く。日本の国にいない
天照大神も、諸天善神は天にいて、日本は大敗戦したとの説を堂々と説いて折伏教典として販売したのだから、日本を皇国と信じ込んで戦争した人々に売れた。出版事業体そのものがベストセラー折伏教典を公刊販売で、信者が中間マージンもなく販売するから、丸儲けである。利益率90%以上の利益確保は「創価」そのものだ。
1952年(昭和27年)創価学会が宗教法人化される。1953年東京都新宿区信濃町にあった元イタリア大使館武官邸を購入し、創価学会本部とする。本部はできたが、創価学会には堂々たる本部はできたが、戸田城聖には功徳は何もない。戸田城聖において善行はなされていない。1958年4月8日葬儀には25万人が列席したが、香典も含め、戸田個人が創価で得た利益は創価学会が吸い上げ戸田の死で消えた。
戸田が公刊し監修した創価学会折伏教典は、実は真理に反した神仏誹謗である。