その嘘を、偽教理の論理破綻を述べておく。 話題である。

青文字は偽おやさまの側の論である。

  だって信者に模範(ひながた)を示すべき真柱や本部員ですら『陽気ぐらし』を実現していなのだから、彼らを指針としている末端の信者に陽気ぐらしが実現できる道理が無いのです。
  それでは、先ほどのQ&Aに沿って、現在の天理教団が『陽気ぐらし』していない理由を反論していきます。

Q:陽気ぐらしとは何ですか?
  陽気ぐらしとは、私たちをはぐくみ育てる大自然を司る親神様の恵に感謝し、そのご守護に生かされ生きている喜びを身体いっぱいに感じながら、私たち人間が互いに尊重し合い、救け合って暮らす、慎みある生き方です。(教団の解説)


反論:
  真柱はじめ天理教本部一同は末端信者のお供え(献金)により一方的に救けられ暮らして居るのでは?
  大教会、教会も同様ですが、末端信者が汗水流した代価に恩を着て暮らして居るのでは?
  その恩に報いるため、末端信者に何を返しているのか?
  少なくとも天理教の上下関係において救け合いが成立しているとは言い難い。


Q:どのようにして陽気ぐらしを実現するのですか?
  人間創造の目的である陽気ぐらしへのたすけの手立ては、教祖を通して教えられました。それが「つとめ」と「さづけ」です。多くの信仰者が「つとめ」と「さづけ」を通して困難・苦労を抱える人々にたすけの手を差し伸べることで親神様が望まれる「陽気ぐらし」という生き方が世界中に伝わっていきます。(教団の解説)


反論:
  宗教年鑑 令和元年版の統計では天理教の信者数が1,201,587人と記載されているが、宗教年鑑 令和5年版では天理教の信者数が1,151,639人と減少しています。
  令和だけ見ても年々信者の絶対数が減り続ける中、「つとめ」と「さづけ」で一体何人の困難・苦労を抱える人々にたすけの手を差し伸べられたと言うのか?
  この数字が物語るのは「陽気ぐらし」という生き方が伝達されていない事実。


Q:悲しくつらい出来事は世の中にたくさんありますが、それでも陽気ぐらしはできるのですか?
  日常生活に生起する出来事には、それがたとえ病気や問題といった辛く苦しい人生の節となるような出来事であったとしても、そこには「あなたを陽気ぐらしに導きたい」と願う親神様の思召が込められているのです。天理教では「心通りの守護」と教えられます。人生に起こった出来事を通して今までの心遣いを振り返り、教えに照らして日々の心遣いを改めること大切です。いかなる境遇にあっても、心の用い方一つで陽気ぐらしへの道を切り開くことができるのです。(教団の解説)


反論:
天理教の信仰者は身上の仕込みを頂くと、神様ではなく当たり前の様に医者薬を頼るのでは?
教祖が諭し一つで身上を治められたのは『心通りの守護』の働き故。
『心通りの守護』は心の治め方一つで身上も治まる道理なのに、『医者薬も神様の守護』と自らの信心を欺き、表面的な治療を『神様の御守護』と嘯く信仰態度は、自身の心根に向き合わず人間心を放置しているも同じこと。


  これら筆者の反論に対して、天理教信者なら逆に反論した気持ちもあるでしょうが、これは一つの意見として受け取っていただきたい。

  教祖(おやさま)の教えに照らし合わせるなら『世界は鏡』です。
  もし本当に天理教団が『陽気ぐらし』を実現しているなら、世間へ向けて布教活動しなくても自ずと伝わるはずです。
  しかし現実には信者数は減少の一途。
  『真実誠は一粒万倍』ならば、1人の陽気ぐらしが実現したら10000人に伝わるのが道理。

  現状の天理教団と信仰者を見れば、その未来を察することは可能です

  現状で陽気ぐらしが実現出来ていないのに、どうして未来において実現できると言えるのでしょうか?

 

  真柱がいる真柱は神である戦士である神の子坂井明久が、一人万人の戦士を万人作るべく、25歳から50年を通って、みきのお役に立てる。今からが信仰を捨てさせる道。

 あと何がいる。周囲には

 

 みきは信心を説いた。信じて仰ぎ見る信仰は低レベルの、悟れない宗教家の妄説。

 真柱は神は、貧に落ち切れと、命じている。真柱の実生活見た事あるか、ないだろう。

 信仰者は身上の仕込みを頂くと、神様ではなく当たり前の様に医者薬を頼るのでは?

 神の子坂井周囲には、医者は危ないと知れ渡っている。

 この病気医者で治りますか、が普通のお尋ねで、この医師大丈夫ですかもある。

 そんなことはみきは日常、常に教えて来る。ラーメン屋さんがうまいまずいから、高井、安いまで、全部知らせて来る。一昨日も松本の帰り、満員のラーメン屋さんのまえで右悪を知らせ、そこを避けて塩尻駅の近くで、左善に右折、左折して、満員でない同一チェーン店に案内するみきである。四万十でもみきの案内で、小さい店だが、最高の四万十料理を頂いた。博多でも、静岡でも、昨日は伊那市で、後二食しかないランチをみきは間に合うように左善右悪で、時間ピタリと間に合わせた。

 滋賀の病人で医者の善悪を教えて、正しく良い治療を受けた例もある。

 

舐めるなみきを。みきの優しさを舐めるな。

 

 偽物では、こういう左善の知らせは、正しく出せない。