三十八日間の断食
 これは、神道国教化の開始、明治2年(1869年)に、神祇省内に宣教使を設置して大教宣布が開始され、38年間1907年までの期間を教祖断食で予言した。
  1908年(明治41年)明治政府より一派独立認可。
  この年、立教70年。七つ何にもいう事ない。
  初代真柱のみは、38日断食予言の、意味を知る。

 1838年立教から五つ理を吹く50年には、「東京名が先」の教祖お言葉にて、

 1888年(明治21年)4月10日、東京府知事から現在の天理教東大教会の場所に神道直轄天理教会本部設立認可。7月23日、現在の教会本部所在地(現在の奈良県天理市)へ移転。この年立教50周年。
 そして1838年、立教から七つ何も言う事ない。一派独立となるが、断食の予言の実現は、実現をなした、二代真柱は神であるを示している。


七十五日の断食:
 これは、明治5年(1872)から、昭和22年(1947)は教祖が受け取れない75日の暗黒があるを予言した。
 1947年5月3日、日本国憲法施行である。このことは現行憲法は教祖が受け取れないとするを示している。断食期間中の理の出来事である。
 

 三条の教則は1872年(明治5)4月、国民教化政策の実施に際して、教部省が教導職に達した教化の基準。三条の教憲ともいう。
 「敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキ事」「天理人道ヲ明(あきらか)ニスヘキ事」「皇上ヲ奉戴(ほうたい)シ朝旨ヲ遵守セシムヘキ事」の3条で、天皇崇拝と神社信仰を基軸とする近代天皇制国家の宗教的、政治的イデオロギーを集約し明確に示している。
同年に学制公布(1872年)から、教祖が受け取れない75日の暗黒である。

 その最後に、象徴天皇なる、偽皇教の欺罔登場である。

 

 敗戦し、
1948年6月19日に「教育勅語等排除に関する決議」と「教育勅語等の失効確認に関する決議」を国会は行い、三条の教憲は無効となった。
 天皇存続以外には、夜、教祖が受け取れないとする闇夜が明けたという事だ。
 1948年 おふでさき 下付。
 教祖のおふでさき公刊。これこそが、二代真柱のご苦心である。

 

 天皇制は、象徴天皇制は、大社高山(経済優位)温存の英国型衣替えだが、みきは、全て覆す。

 

 ノアの洪水式の、大変化が、今地球を襲っている。

 しんばしらは、神である。