こふき話には裏守護の教説があります。
 天理教の基本はイエスは月読命さまで、裏守護では、八幡様と聖徳太子が月読命さまと説かれています。
 八幡様とは応神天皇で、神功皇后の胎内にいて三韓征伐を指揮したと日本書紀では言われています。
 海神族の聖地と言われているのが福岡県にある海の神総本社で、八幡にまつわる伝承がありhttps://blog.goo.ne.jp/nimojero/e/596ac590b54fa2655cc7d1f8de1d87ec 引用します。
 「神功皇后による三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗って皇后らの前に現れたという伝承に因んで亀石が奉納された。」
 「神功皇后が鹿の角を納めた事に由来する鹿角堂には一万以上の角が奉納されているとのこと。」
 「海神族は、世界最古のシュメール文明が滅んだ後、船で東方へと渡ってきたシュメール人の末裔とも云われ、
 自ら「龍の末裔」と称していたらしい、、、
 とても小さな志賀島にも、悠大な起源が感じられる。」
「『龍の都』とも云われ君が代の祝詞の伝承で知られる(山誉祭)」・・
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 引用の通り、歴史上、日本には魏志倭人伝の頃海神族がいて、天理教の基本的には、海神族は、世界最古のシュメール文明が滅んだ時、船で東方へと帰ってきたシュメール人の末裔と思慮される。
 八幡様は海神族を平定した、応神天皇ということで、武神であり、
つきよみの理のお方として、基本的理解ができる。

 八幡様は海神族を平定した、応神天皇ということで、武神であり、
つきよみの理のお方として、基本的理解ができる。
 聖徳太子も蘇我氏と物部氏の戦いにおいて、蘇我氏側である聖徳太子は戦いに勝利すれば、四天王を安置する寺院を建てると誓願を立てた。
見事勝利した。
  太子信仰は、記紀のか記述から生まれ、古事記のエピソードは、脚色され、その「イエス化」がさらに進んでいるように見える。
http://www.millnm.net/cgi-bin/page.cgi?url=../qanda2/6642vBL7652A59735.htm 引用しよう。
「穴穂部間人皇女の元旦の夢に金色に輝く僧(正体は西方の救世観音菩薩)が現れ、「われに救世の願いあり。よって胎をかりる」との託宣があった。」
 「穴穂部間人皇女は辞退したが、「これは宿世の縁なり。これによって国本立ち、多くの民の救われることを思い、心安らけくおわすべし」と告げ、」
「ひとすじの金色の光と化して妃の口から胎内に入った。 」
 「十カ月後、邸内を散歩し、厩戸の前に来たとき産気を覚え、その場にうずくまった。」「女孺(めのわらわ)たちが妃を産室へ運ぶと、玉のような皇子が生まれ、西方から黄色の光が邸内から庭先までも照らし、空高く瑞雲がたなびいた。」
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 太子信仰は、救世観音信仰として、救済をもたらしたとされる。
 親鸞は 阿弥陀如来の誓願を聖徳太子のお恵みによって知らせて頂いたと示している。
 これも月日が教え来るでである。

 わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。
廃棄するためではなく成就するために来たのです


 マタイによる福音書(聖書マタイ伝)は、旧約の成就 をイエスの目的と示します。
 予言者の言葉は、文字の仕込みの前の、智慧の時代から存在していた。
 それが文字を仕込まれて旧約聖書にまとめられた時、下典と呼ばれるものも生まれる。
 ユダヤの教会信仰が採用しなかった、教会側からの異端的な教え、不都合な教え。下典には含まれていて、それも、月日が教えたものであり、イエスが成就したかったものは、本来の神の教えであり、太陽神の教えだということです。

聖書(新薬・旧約)で文字として記録されなかった伝承はカバラと呼ばれ、神秘主義として別に文書化される。
カバラはヘブライ語の動詞キッベール「受け入れる」「伝承する」の名詞形で、「受け入れ」「伝承」を意味する。
信仰組織は、県欲組織となるために不都合な(神秘)を排除し、カバラは異端的に扱われる。
仏教における真言密教など、密教のように、奇跡を霊能を神秘の伝承を宗旨とする宗教のようにである。

聖書などの、生命の木の起源はシュメール人にあると文献研究にて、そうみなされている。(Wikipedia)
生命の木とは、神話学などにおいて、世界の諸神話に広く見られる、生命を象徴する木という概念である。
代表的なものに北欧神話の世界樹、聖書の生命の樹、仏教の娑羅樹、
メソポタミアの"生命の木"、アッティスとキュベレーの神話、常世国の非時香菓(ときじくのかぐの木の実)を成らせる木などのモチーフがある。
 沙羅双樹(さらそうじゅ)
 お釈迦さま入滅(にゅうめつ)の木で、生命は転生するという意味を有していて、生命の不滅を示すとされるが、
 キリスト教では地上の楽園に生命の木が存在するとされ、その果実を食すると永遠の生命を得る。

 英文学者の土居光知は、"生命の木"の起源はシュメール文明にみられるとする。
 ただし、シュメールのものに永劫の思想はなく、冬になれば生命力を失い、春になると若々しい姿となって復活するという再生の象徴としての木であって、大地を巡る水の源泉が湧き出している西の果ての、復活した者の住む極楽(出典まま)に生えるとされていたという。
 高度な文明を持って日本から渡来した海洋族がといた生命の木は、西方極楽浄土思想の生命を説いていた。
 知恵の仕込を受けた兄魂の説く生命の木は、誰一人食したことのない、生命の果実の存在を告げ、知恵の実の後にくる「永遠の生命」を予言していた。そう理解できる。

不老不死という、永遠の生命は、シュメール人が「西方浄土」思想としてメソポタミアに持ち込み、「生命の木」の知恵となって、ユダヤ教では、カバラの生命の樹思想に伝承されている。
 カバラ神秘主義と密教神秘主義は、言語の研究という意味では類似している。
 空海の真言は50音、日本語の母音を神秘の中心において発声における神秘を説く。
 カバラはセフィロトの樹を生命の樹とするが、文字の数値化で神の暗号を解読できるとする。
 その神秘思想のカバラにおいて、10と22の数が特に神秘の意味を深く告げている。
  時計の文字盤で言えば1,2,3,4,5,6,7,8,9,10、その次は「11、22」なのである。
  
  シュメール人の60進法は、陰暦を確立し、東洋の易うらないを生んだ。
  ユダヤのカバラの数理は、カバラの占いをうんだ、
  いずれもが、永遠の生命を説こうとしていて、解こうとしていて、宗教上の神秘の頂点は不老不死。

  病まず、死なずに弱りなきよう にある。

人間の元の理は、「五尺になつた時、海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活をするようになつた。この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込み」と教えられています。
 天理教立教の1838年(天保9年)その3999年ほど前に文字の仕込がなされたと開始されていて、紀元前2161年ということになります。
 知恵の仕込みは立教の9千999年前、紀元前8161年に開始されています。
 歴史年表では、縄文時代が知恵の仕込み開始の時期です。
http://www.tsukurukai.com/_src/sc359/nenpyo.pdf
 1 万数千年前 世界最古の土器がつくられる
 約1 万年前 日本列島が大陸から分離
 紀元前3500 年頃 三内丸山遺跡の大規模集落
 紀元前500 年頃 菜畑遺跡で水田稲作
 ○水田稲作が広まる 
 ○青銅器や鉄器が大陸から伝わる
 紀元前400 年頃 吉野ヶ里遺跡の環濠集落 
 ○ムラからクニへ
 57 倭の奴国王が後漢に使いを送る
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 知恵の仕込みの開始については、縄文の時代、土器文化の開始の時代。これが天理教の基本です。

 天理教の教えの基本は、数理は実数を基本とします。
 元の理においての、「六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込み」は、考古学上の実数であり、「確かな証拠なくばいかんで」と、筆先に理が責められております。そして証拠は月日親神様がきちんと残しています。

 知恵の仕込みの開始については、縄文の時代、土器文化の開始の時代。これが天理教の基本です。その確かな証拠は考古学が語ります。

 土器の製造そのものは知恵の仕込みより、それより前で、中国では世界最古となる約2万年前の土器片が発見され、日本で最古の土器は、青森県の大平山元(おおだいやまもと)遺跡で約1万6千年前の破片が発見されています。文化とは技術ではなく生活です。
  縄文時代は貝塚の時代があって、海産物の採集をしていた日本人がいて、土器製造の技術が発見されますが、集落をつくっての定住生活が開始されて、文化というものがうまれます。
 定住生活、ムラの始まり、そこに社会が生まれ「知恵の仕込の開始」があったという順序になります。
 こふき話では、「柿」と「栗」を神様は人間に与えたとあります。
 柿を「かきね」で囲い、栗で「やりくり」したと、教えられています。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3 引用します。
 縄文人は、定住的な生活をするようになった縄文時代人は居住する周辺の照葉樹林や落葉樹林を切り開いたことにより、
 そこにクリやクルミなどの二次林(二次植生)の環境を提供することとなった。
 定住化によって、縄文人は、集落の周辺に林床植物と呼ばれる、いわゆる下草にも影響を与えた。
 ワラビ、ゼンマイ、フキ、クズ、ヤマイモ、ノビルなどの縄文人の主要で安定した食料資源となった有用植物が繁茂しやすい二次林的な環境、つまり雑木林という新しい環境を創造したことになる。
 縄文時代の建築材や燃料材はクリが大半であることは遺跡出土の遺物から分かっている。
 元の理話は、確かな証拠のある、知恵の仕込みの実話です。
 強欲な人間は栗の独占を、むらから国へ、垣根は国境となって支配地を拡大します。

  宗教も縄張り争いをします。
 金剛院参加の転輪王教会(てんりんおうきょうかい)とは、今井惣治郎が開いた新宗教である。 
 助蔵が病気治したりするについて助造兄弟が信者集めをするにいたり、金剛院は兄助造を金剛院の一員にすえようとした。兄は中山みきから諭され天輪王協会を設立し金剛院と離れた。
 助造事件は天理教団は異端事件と位置づけしています。
 金剛院は裏商売に遊郭を経営し傘下の団体から集金する組織で今で言う反社会的団体の顔も有していました。
 宗旨とは看板で、転輪王を名乗るなら看板料をだせというのが言い分で中山みきに説諭されています。

おふでさき3号は天理教の内部のたちものを掃除することから、やっと話ができるという、
神一ぢよ(序)の開始をといている。春日大社若宮の縄棟祭を踏まえています。

  ふでさき3号は、門のうちよりたちもの取り払いという内容が主題です。
<おふでさき第三号>
1 このたびハもんのうちよりたちものを はやくいそいでとりはらいせよ
2 すきやかにそふぢしたてた事ならば なハむねいそぎたのみいるそや
3 しんぢつにそふぢをしたるそのゝちハ 神一ぢよで心いさむる
4 だん/\とせかいの心いさむなら これがにほんのをさまりとなる
5 いまゝでハなによの事もハかりない これからみゑるふしぎあいづが
6 こんものにむりにこいとハゆうでなし つきくるならばいつまでもよし
 そふぢ → 神一ぢよ(恕)が順序で、縄棟(なハむね)とは起工のことです。
 門のうちよりのたちものとは、異端のことです。
 代表的な人物と行為は中山秀司の、中山家屋敷うちでの商売や認可運動などが原型です。


 濁りの水を澄ますはなしがあって、から、ためしについて語ります。
19 にち/\に神のはなしがやま/\と つかゑてあれどとくにとかれん
20 なにゝてもとかれん事ハないけれど 心すましてきくものハない
21 すみやかに心すましてきくならば よろづのはなしみなときゝかす
22 このよふのたしかためしかかけてある これにまちがいないとをもゑよ
23 このためしすみやかみゑた事ならば いかなはなしもみなまことやで
24 なにもかもいかなはなしもとくほどに なにをゆうてもうそとをもうな
25 めへにめん神のゆう事なす事わ なにをするとも一寸にしれまい
26 はや/\とみへるはなしであるほどに これがたしかなしよこなるぞや
27 これをみてなにをきいてもたのしめよ いかなはなしもみなこのどふり
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縄棟ができて、しんが澄んだら、ためしがすぐ見えると、それが天理教の基本です。
 異端とは、掃除の対象で、秀司を1とし対象は山中忠七など高弟が実物の異端見本です。

おふでさき3号は異端掃除が主題のひとつで、助造事件の神名問題の件では
神道の守谷筑前を頼った山澤も典型的な異端の人物です。
もんのうちよりたちものとは、中山みき一門の内から発生した異端たちです。
 人をたすけてわがみたすかると3号は示します。
 山いかかりて高山を掃除すると、病気にして改めさせると説きます。
 高山のしんのはしらが「とふじん」、(西洋のこふきを有し神に問う人)としめし、
 そこから本題です。
59 いまゝでハなにをゆうてもみへてない もふこのたびハせへつうがきた
60 これからハよふきづとめにまたかゝる なんの事やら一寸にしれまい
61 今までもしりてはなしてはなしとも といてあれどもなんの事やら
62 これまでハいかなはなしをといたとて ひがきたらんでみへてないぞや
63 これからわもふせへつうがきたるから ゆへばそのまゝみへてくるぞや
64 しかときけ三六二五のくれやいに むねのそふぢを神がするぞや
65 しやんせよなんぼすんだる水やとて とろをいれたらにごる事なり
66 にごり水はやくすまさん事にてわ しんのはしらのいれよふがない
67 はしらさいはやくいれたる事ならば まつたいしかとをさまりがつく
68 このよふをはじめた神のしんぢつを といてきかするうそとをもうな
69 いまゝでもしんがくこふきあるけれど もとをしりたるものハないぞや
70 そのはづやどろうみなかのみちすがら しりたるものハないはづの事
71 これまでハこのよはじめてない事を たん/\といてきかす事なり
72 なにもかもない事はかりとくけれど これにまちごた事ハないぞや
   3625のくれあいは、くれあいは日の暮れる頃で、法滅の入り口、末法思想を踏まえています。
64 しかときけ三六二五のくれやいに むねのそふぢを神がするぞや
65 しやんせよなんぼすんだる水やとて とろをいれたらにごる事なり
 この3625については3×6=18 と2×5=10で異端の数理と紹介してあります。
 助造事件も3625でした。
 36とは末法の予言に言う弥勒菩薩の理のみろく。
25とは末法の予言に言う、『大集経』(正式名『大方等大集経』)の予言で、
「我が滅後に於て五百年の中は解脱堅固、次の五百年は禅定堅固、次の五百年は読誦多聞堅固、次の五百年は多造塔寺堅固、
次の五百年は我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」とある。
つまり最後の500年では仏教徒の間で論争が闘わされ、正しい教えが隠没してしまう、とありますが、仏法の闇夜の入り口、3625のくれあいとは、月日の教えは消える闇のことです。
  ひながたでは、3625のとき二人の異端の人物が神殿掃除をします。
 天理教団は「ひのきしん」のひながたと褒めちぎりましたが、本部への奉仕を教理としてといた悪の見本です。報恩信仰を開始させました。
 「わたしを助けてくれた人は誰もいなかった」とはみきの言葉です。今は基本がいます。
 異端の掃除は、信仰組織、信仰そのものの掃除です。
 信仰をやめなければ、甘露の門は開かない。そこに基本の存在の意味があります。手助けです。

65 しやんせよなんぼすんだる水やとて とろをいれたらにごる事なり

  どんなに天理教が澄んだ教えでも、教会信仰という泥を入れたら濁ります。
問うしかない信仰生活。とうじんは真理が見えぬまま知恵学問で支配します。
その泥を澄ませるのが信心です。

73 十一に九がなくなりてしんわすれ 正月廿六日をまつ
74 このあいだしんもつきくるよくハすれ にんぢうそろふてつとめこしらゑ
 しんとは新人、新、しんとは信、信心の人。
 国々からしんがつきくる。天理教の基本を心得た「しん」がつきくる。
75 にち/\に神の心のせきこみハ ぢうよじざいをはやくみせたい
76 これからハにんぢうそろをてつとめする これでたしかににほんをさまる
77 しんぢつにたすけ一ぢよてあるからに なにもこわみハさらにないぞや

78 なにもかもたすけ一ぢよとめるなら 神のさんねんみにさハりつく
79 しやんせよ万たすけのこのもよふ にんけんハざとさらにをもうな

 わたしたちのおやさまは赤衣の悪魔であり、天輪王なのです。
 おやさまのお役に立ちたい。それが天理教の基本です。
  知恵の仕込みの開始については、縄文の時代、土器文化の開始の時代。
  これが天理教の基本です。
 つまり智慧の仕込みをへて、文字の仕込み前の縄文人の文化は、世界四大文明のルーツであり、聖書に言う地上の楽園「生命の木」「知恵の木」のルーツです。
 縄文文明はカインの子孫の青銅器・鉄器の伝来で弥生人を受け入れます。
 その元の理において、縄文人のにほんは出雲大社の縄文文化の大樹信仰を残しています。
 天理教の立教に古神道が深くかかわったのは、天理です。
  神社は拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。
 天理教会の誕生にこふきを踏まえて大神神社の配下として、天理教会神一条を開始したのは、元の理である。
 縄文の時代の神は「樹木」であったが、山岳そのものが神であって、縄文の文化を伝える諏訪大社の御柱祭。まt、縄文人が熊本から信州安曇野に移住した「お舟祭り」などの祭事に信仰として伝承されている。
茅野市にある縄文の女神は、宇宙人との交信があったかと縄文人の高度な文明を現代に伝えている。
 その「にほん」の信仰は、役小角(えんのおづぬ)(役行者)が集大成している。
 をふとのべの命の裏守護は 不動明王、弘法大師、役行者である。

 蔵王権現(ざおうごんげん)を修験道では本尊とする。大神神社(おやまとじんじゃ)も修験道に係わる。
 天理教立教のとき親神を世に出すに協力したのは修験者であり、天理教会を世に出す協力をしている。
 蔵王権現は、役小角が、吉野の金峯山で修行中に示現したという伝承があり、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものとされる。
 仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという。
 こふきでは くにとこたちの命の裏守護が 釈迦如来、せんじゅ様。
 せんじゅさまは千手観音で「千手千眼」の名をもち、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。
千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする。未來仏である弥勒と、釈迦とせんじゅは、にほんの古神道の神仏。
 そして文字の仕込み以前の、文様文字、宇宙人との交信・・
 縄文の女神の信仰には、聖書以前の文化において、生命の木も智慧の木もあったと、悟りがつく。
 樹木信仰は、縄文人を起源としている。それは役行者が道として集大成した。
 つまり日本の修験道は、縄文人の思想文化をしっかり体現している。
 シュメール文化は、海人族の日本人がもたらしたと悟るのが天理教の基本です。
  太平洋を日本からイラクに渡航するには、羅針盤が無いから、夜の星が頼りです。
星座で自分の位置を知り、船の方向を決めます。船には火をともす土器が必要で、調理技術もあった。
風を読み、航海するにはそれができる造船技術があって、公開中の飲料水を製造できる土器もあって、可能です。
元の理においての、「六千年は智慧の仕込み」により集大成できていた技術と文明をシュメールは、メソポタミアに持ち込んだわけです。
https://ber-muda.com/シュメール人/ 引用します。
  シュメール人とは紀元前3500年ごろ、古代メソポタミア文明の初期を作った、最古の文明を作った人たちのことです。場所はイラク・クエート、バビロニアの南半分ほどに位置していました。また、古代メソポタミア文明とは、この周辺の文明の総称です。
シュメール人たちは、自らを「ウンサンギガ(黒頭の民)」と名乗っていて、地域のことを「キエンギ(君主たちの地)」と呼んでいました。
・・・・・・
 黒頭とは髪の毛の色です。日本人は黒髪です。

https://ber-muda.com/シュメール人/ 引用します。
また、シュメールとは、言語学的なグループとしての意味だけとされています。
ですので、正確にはシュメール人というのは正しくはなく、キエンギ人、もしくはウンサンギガと呼ぶのが正しいとされています。
ですが、ここでは分かりにくくなってしまうので、シュメール人に統一します。
ちなみに、天皇の古い呼び方である「すめらみこと」が「シュメルみこと」だったというような、都市伝説が第二次世界大戦中に流れたことがありました。
これを沈静化させるために、シュメールと表記し長音を追加したとされています。
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キエンギとは「貴殿の縁起で、貴 縁起」でしょう。
日本語で「すめらみこと」が天皇のことですから、自分たちは「黒頭(ウンさん)帰化(ギガ)」で「スメルの人」となのり、
シュメール人と名乗った、そのように理解されます。

天理教の基本は、立教の前、9億9万9999年前の道筋を教える教えです。
 日本人の起源にはイスラエル人説があるともいわれますが、天理教は文字の仕込み以前に、
文様があった、紋型があったと教えています。
 シュメールの楔形文字の以前のもので縄文土器に刻まれた「文様」のことです。
 もんかたない所の時代に、知恵の仕込があったのは、にほん、縄文人で、縄文人の知恵は、国歌、君が代の作詞ができる。「さざれ石思想を歌にできる文化文明」を有していました。
 倭の国のルーツであり、倭の国の国王の金印の出土地点、筑前国那珂郡志賀島村東南部(現福岡県福岡市東区志賀島)。
ここにある神社が、文字の仕込みのあとにシュメールから日本に帰ったシュメール人到来の記録を残しています。
 熊本県にもシュメール人到来の記録があります。
  イスラエルが日本の起源ではなく、縄文人の(龍の民)がシュメール(すめるの民)として太平洋からメソポタミアへいき、天災の3度目にあとかたもなく、メソパタミアから消えたという歴史です。こふきが示しています。
 海路での交流はあって、イスラエルの神官の系譜が、出口鬼三郎の一族のルーツといわれます。(信州真田に拠点があったとも)
 
 天理教の教えは百姓女が農家や職人さんに説いたやさしい教えです。
 ただおふでさきの注釈は、こふきをきちんと作成できなかったレベルで書かれた、
当時の解釈でもあって、実数であるいは記号としての数理で解読されていないので、注釈は的外れ的でもあります。
 月日はお月様とお日様で、難しいものではなく、天にあります。
 夜の航海術のために天文学を身につけた縄文文化は高度ですが、天理教の教えはひらがなの教えです。簡単に読めます。
 親神は「証拠主義」ですから、文字の仕込み以後は「まず初めに言葉ありき」で、
西洋のこふきには、1億年の各地での言い伝えが残されていて、聖書と呼ばれています。
 にほんではこふきがなくて、伝承の記録が残されています。古事記、日本書紀です。
 神様の記録は、その時代時代に裏から月日が教えた記録ですが、神話として仏説として、「こう聞いた」と、記録されています。
 ですから、誰でも言葉で確認できます。

 聞きたくばたずねくるなら言うてきかす。です。
 中山みきを天理王命と呼び出して、交信しお尋ねすることです。
 それには元の磁場である、お地場にかえり、一人、悟りの世界に入ることです。

 中山みきを同じ人間と思うのは違う。説いたのは人類史である。そのこと。
 ご案内しました。