をなじにんけん・・ 中山みきを同じ人間と思うのは違う。まるで違うから発狂です。

 

 キリストの場合も、入り口として信仰があります。
 わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。マタイによる福音書(聖書マタイ伝)は、旧約の成就 をイエスの目的と示します。
  マタイは、イエスが旧約を廃止しに来たのではなく、その目的に導き、成就させに来たことを示そうと努めている(参照:マタイ5:17 〜 18)。

 さらにマタイは、イエスの教えだけでなく、イエスの生涯そのものが旧約の成就であることを強調している。(参照):「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」(マタイ1:22 他、数箇所ある)
(Wikipedia)

キリスト教の宗教学者中西牛郎は天理教祖伝に関与し、「イエスの十字架を中山みきは完成の意義や」と告げたと、その立場で、語っています。

 1838年(天保9年)の3999年ほど前、前2200年ころ人類の知恵の仕込みから文字の仕込み3999年の時代となり、絵文字から記号文字、などが文字として確立し、教を伝える詩篇、経文、予言を残した。それも月日の教えであり、ユダヤ教は多くの予言を伝え、人類の幸福を予言した。

 その完成のために、イエスは真理をお説きになった、完成のためのイエスです。

12月12日(陰暦10月26日)、森神社(現在の三島神社)にて中山みき(40歳)に「天理王命」が憑依し、天理教が発祥と、森神社がわでは伝承します。
  同じ人間ではないみきには憑依はありません。そのものが天理王命です。
 
  イエスが完成させると宣言した神の国について、聖書に教えが示されているとされます。しかし聖書には、新約聖書(キリスト教)、旧約聖書(ユダヤ教)、とありますが、それは信仰組織の教会が制定した聖典で、その以前の聖典に、下典と呼ばれるものがあります。仏教でいえば原始仏教の経典があり、小乗仏教の経典があり、大乗仏教の教典がある様に、下典があります。仏教の信仰組織が「これが1番だ」と、定義する結果、「呼吸法」を説き「甘露の門」をといて、不老不死を教えた「甘露の門」は、第1番から外されました。同様に太陽神の教えも、「下典」の教えでは無く、「教会信仰」(偽キリスト)に堕落したわけです。
 偽仏教における神秘は「極楽」、偽聖書教における神秘は「エデン」。これは、人間には「不老不死」「楽園」の世が予定されているという神秘を否定の信仰組織の劣悪。
そのエデンを、天国でなく地上に、この世にもたらすために、イエスは来たのです。
 『 マルコによる福音書』1章 15に「時は満ちた,神の国は近づいた。 悔い改めて福音を信ぜよ」というイエスの最初の宣教の言葉。
 神の国とは、エデン、快楽の国の事であることは、教団教理によっての聖書の編纂で黒塗りされています。聖書教の教の元々の教えの本質ではなく、「禁欲と戒律」の教えとして、歪んでいた。本来は、快楽を肯定し美食を肯定するエデンを、追放されたことばかり事ばかり強調する。
幸福な世を、不幸な世に変えてしまったのが「ユダヤ教」であった。サタンは偽宗教であると、これを承知しなければ、この世が地上の楽園・神の国に近づいたというイエスの言葉が理解できないでしょう。
  ユダヤ教では性衝動や性行為は自然なもので、必要悪と見なすことは無い。 夫婦の性行為はそれを捻じ曲げることがむしろ罪であるとされる。また、快楽を伴わない性交は罪とされる。
  おなじように、天理教は「陽気遊山」の教え「陽気湯参」の教えですが、「陽気暮らし」と説く。
 快楽を伴わない性交は罪であるというのは、本来の神の教えで、エデン到来とは性の快楽は不可欠と心得れば当然です。イエスキリストは裏保護のつきよみ命様ですから、まさに性の問題の守護の神様。身の内では「男一の道具」の神。性の快楽の神です。
 西洋では「エロス」が幸福の源と扱われているのは、エデンへの願望そのものです。

 元の理では,,、聖書の扱いはどうなっているでしょうか。
 考古学で聖書は歴史を裏付けられます。聖書は先ず言葉ありきで始まりますが、文明ではシュメール文明の画期的な発明といわれる文字の使用、これは紀元3200年頃にさかのぼると考古学はかたります。親神の知恵の仕込みは紀元前4161年に開始された。
 シュメールの知恵は楔文字を生み、素朴な絵文字として始まったこの文字は、いくつかの段階を経て、前2500年頃には楔形文字として完成されました。
 天理教立教の1838年(天保9年)その3999年ほど前に文字の仕込がなされたとありますが、数えると、紀元前2161年ということになりますから、文字の仕込がなされる前の文字であるシュメール文字ということになります。
 知恵の仕込みのころの絵文字、文字の仕込み以前の文字とみなします。
 楔形文字は、現代の言語の体系とは、まるで異なっているとされます。
 都市国家として発展したシュメール文明は、紀元前2350年頃、サルゴン率いるアッカド王国に征服され、セム人の支配を受けるとこになります。
 現代においてセム語族というのは、セム系の言語を使用する人々の総称であり、中東、西アジアや北アフリカ、アラビア半島に分布する古代・現代のさまざまなセム語の話手を指します。結局は、人類の言語となりました。
アッカド人、古代アッシリア人、バビロニア人、エブラ人、ウガリット人、カナン人、フェニキア人(カルタゴ人を含む)、ヘブライ人(イスラエル人、ユダヤ人、サマリア人)、アラム人、カルデア人、アムル人、モアブ人、エドム人、ヒクソス、ナバタイ人、サバ人、マルタ人、マンダ教徒、サービア教徒、シリア人、アマレク人、アラブ人、アッシリア人、パルミラ人、ケダル人(英語版)などを含む。まさに人類の文字の仕込みは、セムの時代に開始されたのです。

 前2200年ころ人類の知恵の仕込みから文字の仕込み3999年の時代に入ったとき、シュメールではなく、セムに対して文字の仕込みがされたということ。これが文字の仕込みの、史実にての天理教の基本です。
  シュメールの歴史に史実としてのノアの箱舟があるといわれています。
引用します。http://rekishi-memo.net/sekaishi/sumeru_bunmei.html
 紀元前2000年頃に編纂された「シュメール王名表」によると、シュメールの歴史は大洪水によって2つに分かれている。洪水前に天から王権が下ったのは、南の最も海岸に近い都市エリドゥで全部で5都市8人の王が24万1200年間支配したと述べている。
いわば神話的な記述である。
洪水後、再び天から王権が下ったのは、今度は北部のアッカド地方に近い都市キシュだという。
  王名表によれば、キシュの初期の王の名前には、セム系のものが含まれている。
・・・・・・・
 陰暦と60進法を使用していたから24万1200年の数字は12基準から出ているが、陰暦を用いた文明が滅んだのは、環境破壊による天災で弱体化し、セム人に負けたためである。
  元始まりにおいて人間に知恵の仕込みを、6000年間親神は実行しましたが、それはシュメール文化であると歴史は示しています。 その後に旧約聖書の時代が来る。セム語系の文字の仕込みのまえにシュメールです。
 その智慧の仕込み6000年には、その時代の仏陀やモーゼやイエスキリストのような存在がいて、その人から智慧の仕込みがなされたと、「これも月日が教え来る」です。
 シュメールの文化から引用しますhttps://www.kyamaneko.com/entry/sumerian-civilization
 シュメール神話には、『メ』という宝物が登場する。
神々はメを求め、争奪戦を展開させる。このメとはなんなのか、神話上には明確な記述がない。
身につけたりかむったりするもののように描かれることもあれば、形のない、歌のような描かれ方がされることもある。
この至宝『メ』の実体についてだが、実は、形のない知識そのものであったようだ。
つまり、メとは一連の知識や知恵の体系であり、口承される形で伝えられるものだった。
『中央新書 シュメル神話の世界 粘土板に刻まれた最古のロマン 岡田明子 小林登志子著』より ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 にほんから天竺に渡った、先に生まれた兄魂たちに、知恵を教えた人物がいたと理解されます。
智慧の仕込みの結果、智慧の奪い合いが起きたとされます。
楔形文字も、高級な神官や王の為の文字であり、高山がままにします。
引用します。
https://www.kyamaneko.com/entry/sumerian-civilization3.
天文学と七曜制ですが、シュメール人は農耕をしていたため、川の氾濫時期や収穫時期を正確に知る必要があった。
そのため、28日をかけて変化する月の満ち欠けを基準に日を管理する方法を考えた。
月の状態を4つに分けると、新月、満月、上弦、下弦となる。それぞれの期間を7日と想定すると、ちょうどよくなるため、これを1週間とした。
シュメール人が確立した、この太陰暦的な考え方は、近代でも生活に根付いている。
  ギルガメシュ叙事詩
ギルガメシュ叙事詩とは、ギルガメシュという王が、永遠の命を求めて各地を冒険する物語だ。
この物語については、シュメール時代の遺物から、徐々に解読が進んできた。
世界最古とも呼べるこの物語は、友情あり愛情あり、バトルや政略もある、一大ロマンとして近代でも知られている。
主人公はウルク第一王朝の第五代目の王である、ギルガメシュだ。
彼はライバルであり盟友であるエンキドゥとともに、世界を冒険する
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 永遠の命を求めるのは、人間の基本である。国王は知恵を独占し、甘露を求めますが、欲に切り無くなる。
その人々に福音を告げたイエスは、人々の願いの成就の為に、この世に生誕した神の子です。
  シュメールは智慧の仕込みの顛末を残しています。
 それは、2度の大洪水と、突然の文明の消失・・ ノアの箱舟が理を伝えています。天災という神の掃除の、歴史的事実です。
 永遠の命を求めるのは、人間の基本であるとして、それを智慧に求めたシュメールであり、
智慧の奪い合いで戦争を繰り返し、強固な法治国家と構築し、要塞都市国家間の争い。
 そして、神から掃除されます。
 泥海にしてしまうという、天の怒り。神のいう事聞き入れなければ。
ノアの方舟は「元の泥海にしてしまおうか」という立教の問答を想起させます。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ノアの方舟 引用します。
『シュメルの洪水神話』(粘土板)における記述[編集]
壁のかたわらで、わたしはおまえにひとこと話そう。わたしのいうことを聞きなさい。わたしの教えに耳をかたむけなさい。
われわれの……により、大洪水が聖地を洗い流すだろう。人類の種をたやすために……。これが神々の集会の決定であり、宣言である。……
 あらゆる嵐、しかもはなはだ強大なのが、ひとたばになって襲ってきた。同時に、大洪水が聖域を洗い流した。
 七日と七夜、大洪水が国中を洗い流し、大舟は嵐のために大波の上でもてあそばれた。そののち、太陽神ウトゥ(英語版)があらわれ、天と地を照らした。ジウスドラは大舟の窓をひらいた。英雄ウトゥは光を大舟のなかにさしこませた。王ジウスドラはウトゥの前にひれ伏した。
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 月日から智慧の仕込みを受けて高度な文明社会を構築し、智慧をむさぼり、智慧を過信し、堅固な城塞と、言語を支配階級が独占した差別社会。
強力な軍隊。滅びるはずのないシュメールの文明を滅ぼしたものは、「元の泥海にしてしまおうか」の、洪水と言われています。 https://ja.wikipedia.org/wiki/大洪水 引用します。
諸文化における大洪水神話 古代オリエント シュメール
 シュメールの神話では、エンキ神がシュルッパクの王ジウスドラ(「命を見る者」という意味で、彼が神から不滅を約束されたことから)に、洪水による人類抹殺を予告する。
 しかし、神がなぜこれを決定したかという部分については、粘土板から失われている。
 エンキ神は、大きな船を作るように指示する。命令についての文章も、同じく神話から失われている。
 7日の氾濫の後、ジウスドラは供物と祈りをアン(空の神)とエンリル(最高神)にささげ、ディルムン(シュメールにおけるエデンの園)で神から永遠の命を授けられる。
 シュメール王名表も大洪水について言及している。
 その説明によれば、最初エリドゥに渡った王権は、次いでバド・ティビラ、ララク、シッパル、シュルッパクへと移る。
 イラクにおける発掘で、シュルッパクの洪水は紀元前2900年~紀元前2750年頃、ほぼキシュの街まで及んだことが証明されているが、
 この街の王エタナは、大洪水の後、最初にシュメール王朝を成立したと言われる。
 ジウスドラの伝説はエリドゥ起源の粘土板断片のコピーであり、その楔形文字型から、紀元前17世紀と年代が特定される。
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シュメールの神は 太陽神であり、日本の神天照大神と共通するが、智慧は太陽神。
 こふきでは「面足命さまが智慧のご守護」であって、智慧を学んで人間は「支配と略奪」、慈悲の無い文化を作っってしまったことが、天災を生んでいる。みきの教えでそれが分かる。
 旧約聖書のノアの方舟物語は、智慧の仕込みの時代の終わりに起きた大洪水と、文字の仕込みの時代への転換をきちんと記録している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/大洪水 ヘブライ(創世記)引用しよう。
『創世記』のノアの方舟の物語によれば、
 エデンを離れてから何代かを経て、ネフィリムが生まれ堕落し、お互いに争うようになった。
ヤハウェ・エロヒムは人間を作ったことを後悔し始め、全てを払拭するために大洪水を起こすことを決めた。
 ヤハウェは地上にただ一人、救う価値のある男性ノアを見出した。
そこでヤハウェはノアに特別な大きさと設計の方舟を作るように告げた。
 方舟に乗せたのは、彼の妻、彼の三人の息子のセム、ハム、ヤペテ と彼らの妻、清い動物と鳥を雌雄7つがい(7匹か7組かの記述が異なる場合がある)、そうでない動物を2つがい、必要な食べ物すべてと苗木で、人間はもう一度白紙から始めるのである。
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 ノアの方舟が命永らえさせた8人の内、三人の子は、
セムはセム語族、ハムはハム語族、ヤペタは白色人種のルーツとなったと。
明確に、智慧の仕込みの顛末として、人間が堕落し、神が払しょくをしたと記述がある。
 智慧の実の果実は、アダムとイブの禁断の果実と聖書は示す。
 シュメールの楽園は、大洪水が滅ぼしたことの意味はともかく、史実で、言語の仕込みはシュメール文明の滅亡で開始されていることは間違いない。

 天理教の基本を整理しておこう。中山みきの教えです。
 九億九万年は水中の住居(すまい)、六千年は知慧(ちえ)の仕込み、
 三千九百九十九年は文字の仕込み、と仰せられている。
 9億9999年をへて、 1838年(天保9年)12月12日(陰暦10月26日)、森神社(現在の三島神社)にて中山みき(40歳)に「天理王命」が憑依し、天理教が発祥した。
 その3999年前の、紀元前2161年に文字の仕込みが開始された。智慧の仕込みは紀元前8161年に開始されている。
 日本における智慧の仕込みは縄文時代であり、紀元前9000年ごろ地球は氷河期を終わり、気温は上がり。海面は上昇。そうした気候の変化の時代。
新石器時代文化が古代オリエントで始まり、日本では 縄文時代。人々は陶器を使用し、狩猟やドングリなどの食用の種の採集を行う。メソポタミア:では人々が野生の小麦や大麦を集め、モルト、ビールを作り始めている。
 日本における文字の仕込みは縄文土器に残された記号文字によって、文字の仕込みがなされたことは分かりますが、神との交信であったと思慮されます。
 セム語、ハム語との言語系統に属さない、日本語のルーツがそこにありました。

 以下も、これも、天理教の基本です。こふき参照です。
 日本から天竺への移動は5尺になるまえの水中の住まいにおいて、食物を求めての移動であった。5尺になって人間の成人に応じて天地、海山、そして食物までも出来た。
 氷河期を終えて狩猟採集の食生活が開始され、世界が石器時代に日本では土器文化が発生しており縄文の時代には文化芸術が発展していた。
 音符のような文字や、縄文の女神のような作品が残されてあるが、
縄文期には火山の大爆発と氷期の到来があり、西日本には食料はなく、その頃、縄文人は太平洋を航海する技術と天文学を有し、日本海を通し、太平洋を通し海外と交易を行って縄文人は、シュメールに集団で移住したと理解できる。
 縄文期において、日本には既に智慧があり、文字があったと理解されるのである。

 こふき話で確認をしよう。
 奈良初瀬七里四方の間にむまれた。このにんげんハせへじんにおふじ、ぢきもつくいまわり、大和の国内ひろまり、地の上り、のこる大和にむまれたにんじゆふハ、また
 せへじんにおふじ、じきもつくいまわり、みな国々へゆき、地の上あがり。
 外の国々にむまれたにんげんハ、またせへじんにおふじ、じきもつくいまわり、
地上あかり。此にんハ、みな唐てんじくの人となり。
(敷島大教会資料集成部『山田伊八郎文書』 

にんげんハ五尺ニなるまたみづなかのすまい。三尺より五尺ニなるまでじきもつをだん/\とくいまハり、からてんじくまでもまハりいくなり。
 五尺ニせいじんしたときに、このせかい、てんちうみ山、しきもつまでも
にんげんのせいじんにをふじてけた事なり。
(中山正善『成人譜 その三 こふきの研究』天理教道友社、一九五七年。参照)

 イエスキリストの教えのルーツを、元の理のこふき話に理を照らし歴史を見ました。
 デジタル大辞泉の解説では、「始(はじ)めに言葉(ことば)ありき」について、
《新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章から》
 創世は神の言葉(ロゴス)からはじまった。言葉はすなわち神であり、この世界の根源として神が存在するという意。と、解説しています。新約聖書の文言です。
 「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。言葉は神と共にあった万物は言葉によって成り、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。
 言葉の内に命があり、命は人を照らす光であった。その光は闇の中で輝き、闇が光に打ち勝つことはなかった
」(『新約聖書』「ヨハネの福音書)より)

 天理教の基本では 「火と水とは一の神 風より他に神はなし」と教えます。文字の 文字の仕込みのまえに知恵の仕込みがあり、その時には「言葉」は発生していた。
  智慧の仕込みも、言語によってなされた、月日が教え来るということです。

 お指図で無い人間無い世界を始めてから最初からもの言えたのやないと言われている。一つ教え、また一つ教えてもの言うようになりたも同じことと、言われています。
  
 イエスキリストの言語はシュメール以前の言語(縄文言語)ではなく、伝来は日本語なので母音の言語であるのに、聖書は子音の言語で、イエスの言うまず初めに言葉ありきは、ノアの方舟の後のことで、親神の(子音言語による)文字の仕込み後のことである。


 新約・旧約の聖書時代の前に、律法の智慧があり、エデンという楽園の智慧があって、予言者は文字を用いて予言し、イエスの誕生を予言していた。
 風よりほかに神は無いを、天理教の基本とします。

 

 こんな話は、元の親である中山みきしか語れない。こふきである。