魂で感じ、魂で考え、魂で喜ぶ、魂人間のブログ
 
ここには、信仰やめていく天理教会を、繁栄させようという嘘追従が語られていて、みきに照らし、見逃せないので、正説を投稿しておきました。
公開してくれませんので、以下に紹介しておきます。

坂井明久 より:
2024年3月22日 9:41 PM
信仰者は『おつとめ』さえ”神様の思惑通り”に運べたら、他に何をする必要が無いほど、人は救かり、人は集まり、教会は大繁盛すると思って間違いありません。
それが『つとめ』に込められた理。

これは間違いです。そして大嘘です。

解説します。
  みきは、天理教立教の目的を『やまいとてせかいなみでハないほどに 神のりいふくいまぞあらハす (1-25)』 『いまゝでも神のゆう事きかんから ぜひなくをもてあらハしたなり (1-26)』 『こらほどの神のざんねんでてるから いしやもくすりもこれハかなハん (1-27)』と、神の残念を説いていますから、「他に何をする必要が無いほど、人は救かり、人は集まり、教会は大繁盛する」は、ありえません。神の立腹を発揮させるのがおつとめです。
 それより天罰のラッシュが出ることになります。

 みきは神の残念の出ている状態では医者薬は無能であるを宣言して、とふじん医療の、黄帝思想の西洋医学そのものの医療崩壊を予め予言しました。
 天罰の実例で、長男の内縁の妻のコロリ(コレラ)での死に、罰を見せています。

  イエスキリストの13階段に由来の、「完成の意義・十字架」においての正月晦日の数理(130年)を示したのであって、明治2年(1869年)から、130年の1999年、国は実に無力な感染症法を制定したがこの人間の思い上がりをあらかじめ予言しておいて、神の掃除を予言していたみきです。

  本物の宗教の「拝み」で病を治すに対して、高山の「医者と薬」で病を治すという、何れが治癒力を有するのか、オカルトと科学の力比べが、正月晦日1999年開始である。

 人類における感染症は不老長寿に着手した中山みき天理教の「必ずかんろたいを建てる」事情の証明で、天理教は普請に例えるが、世界をろくぢに均す普請として胸の掃除がある。筆先1号で中山家の内内事情を台として筆先に理を知らせるを開始したみきは、明治7年筆先6号でろくぢを解き明かす。
 元の理という教理を説き起こし、筆先6号でみきが天日火の海で海は津波と説いた。

 これは、世界をろくぢに均すという手段としての神の返しの天災を教え示したものです。
 明治20年みきは本席おさしづ(天啓)では、天災は高山をくり抜くあかしとし、神の立腹の数理5の3乗という年限で明治20年(1887年)を1として数えて125年(5×5×5=125年)を予言したが、お指図の刳り抜くのそのもとは筆先16号であり、前もってみきは、明治14年(1881年)「十分詰んだ」日の到来を告げていた。それで、『けふの日ハもふぢうふんにつんてきた なんときつれにでるやしれんで(16-76)』 。『つれいくも一寸の事てハないほとに をふくみへるがたれもしろまい(16-77)』 。『いかほとのたかいところとゆうたとて もふけふからわもんくかハるで(16-78)』と、みきは予言したのであるが、この予言に言う
「なんとき」とは災難の時を示す。但し濁点が無いから助けるための災難で罰ではない。
「つれにでる」は連続して起こすの意味で、天災国家日本の到来を1881年に予言し明治14年に正月晦日の理、13階段の数理、130年の理で、2011年東北大震災となった。
  高山をくり抜くあかしとし、神の立腹の数理5の3乗という年限で明治20年(1887年)を1として数えて125年(5×5×5=125年は2011年であるが、明治20年のおさしづ予言の日は「3月11日」であり、けふの日ハとは、本席が告げた3月11日そのもので、3月11日(陰暦2月17日)午後12時 刻限御話し がみきがその本席身体からの予言である。

  おつとめは、大災害を生むのだ。
 
  お勤めで素晴らしい御守護という嘘は、みき天罰の対象である。神の残念に詫びがない。
 信者が、誰もいなくなっても、天罰がどんなに下っても、天理教は独り立ちしている。