【北の大地 初夏紀行】

その4 稚内 北防波堤ドーム

設計者は北海道大学を卒業して3年目、北海道庁の技師として稚内築港事務所に赴任してきた当時26歳であった土谷実氏です。

北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年(1931)から昭和11年(1936)にかけ建設された防波堤です。

樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボルでもあり、古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、世界でも類のない建築物として内外の注目をあびています。

建設後、稚内駅からドームの手前まで国鉄の線路を延長し、乗客はドーム内を歩いて桟橋に待つ連絡船に乗り込みました。

その後、第二次世界大戦を経て終戦を迎えたことから稚泊連絡船は消滅し、これとともに稚内駅から桟橋駅に続く線路も消滅。

現在は防波堤としての機能は維持されており、礼文島や利尻島への航路など多くの船が発着する稚内港を今も守り続けています。

※ 五枚目の写真→ホテルの部屋から見た防波堤ドーム。

  稚内湾、その向こうに宗谷海峡が見えます。