NHK大河ドラマ『光の君へ』放映直前に思うこと | よどの流れ者のブログ

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『源氏物語』『紫式部日記』『紫式部集』の著作者 紫式部について考えたことを書きます。 田川寿美のファンです。

能登半島地震で多くの方が被災されています。年頭の挨拶は控えさせていただきます。

 

NHK大河ドラマ『光の君へ』の放映が間近になって、思うことが次から次へと芽生えてきます。紫式部と清少納言が生きたこの時代は特別な時代として私の心に刻まれています。権力争いや、それによってもたらされた悲劇などは世界中どこにでもあったことで、珍しい出来事ではありません。しかし『源氏物語』と『枕草子』が書かれたことで、この時代は特別な時代となったように思います。文学の力だと思います。

 

 

『紫式部日記』をはじめて読んだときは不思議な本だな、と思いました。まとまりのない内容に戸惑いました。その後に読んだ『紫式部集』も、もう一つ食い込まない内容でした。が、

昨年、『紫式部集』をすべて暗唱するようになってからは、紫式部その人自身がごく身近に感じられるようになり、彼女が歌に込めた思いが肌身に浸み透ってくるようになりました。彼女の人生が見え、夫宣孝の姿が浮かび上がり、彼女の友だち子少将の君たちとの交友などが思い浮かぶようになりました。そうすると、まとまりがないと思えた『紫式部日記』が捉えられるようになってきました。

 

『紫式部日記』という題名からいえば、紫式部がつれづれに思うところを書き記した印象がありますが、藤原道長の指示だったという説が有力です。娘彰子が男の子を二人も産んだので、自らの権力の基盤が不動になったと思った道長はどこかの時点で自らの記録を残したいと思ったのでしょう。権力を不動のものにする男の孫が二人もできて、道長は有頂天だったに違いありません。紫式部はそんなものは書きたくなかった、と私は推測するのですが・・・。

 

 

藤原道長の栄華の時代を記録したものとして『大鏡』と『栄華物語』があります。『栄華物語』は紫式部の同僚赤染衛門が執筆したとされています。なぜ紫式部ではなかったのでしょうか。『栄華物語』には『紫式部日記』からとられた記事があるのでなおさら、なぜ紫式部が書かなかったのだろう、との疑問がわきました。一条天皇が紫式部のことを「この人は、日本紀をこそ読みたるべけれ。まことに才あるべし」と言い、それを内裏の女房が学問を鼻にかけているとして「日本紀の御局」というあだ名をつけたという記事が日記に記されています。『栄華物語』を執筆するなら赤染衛門ではなく歴史に詳しいという評判の紫式部が指名されて当然だったのではないか、と思うのです。

 

『源氏物語』を執筆中だからとても書けない、と言って断ったのか、指示に従って書きはじめたが体を悪くしてまもなく亡くなってしまったのか。それとも、二番目の男の孫が生まれた前後には、一条天皇と定子との遺児敦康親王を東宮にしない素振りを見せていた道長と敦康親王を養育していた中宮彰子とは険悪な仲となっていて、彰子は紫式部に受けることを拒否するように要請したのかも知れません。

 

 

紫式部の歴史書観として、『源氏物語』蛍巻の物語論で、光源氏が「日本紀などは、かたそばぞかし。これらにこそ(物語にこそ)道々しく詳しきことはあらめ」、と玉鬘にやり込められた後で言いますが、これは紫式部の考え方で、歴史書というものに紫式部は懐疑的だったのではないでしょうか。中国の歴史書は勝者が書く歴史書だということです。勝者にとって都合のよい事実だけを記す、というのが歴史書の本質ではないか、と。

 

『紫式部日記』に紫式部が中宮彰子に唐代の詩人白楽天の『白氏文集』を講義していることが書かれています。白楽天は玄宗皇帝と楊貴妃とのエピソードを歌った『長恨歌』が有名で、『源氏物語』にも出てきます。『白氏文集』は清少納言もとりあげていて、平安時代の貴族の間ではポピュラーな書物だったようです。『長恨歌』は紫式部が歴史書よりも物語の方がより人間の真実に迫ることができるという確信を抱いた作品ではないか、と私は思います。『源氏物語』を書いている私がなぜ歴史書を書かなくてはならないのか、と紫式部は思った、というのが真実に近いのではないでしょうか。『紫式部日記』には紫式部の私的な憂いや籠かきが息切れする話があったり、実家に帰った式部が亡き夫の蔵書を懐かしく読み返す話などがあって、道長にとって紫式部の書くものは「文学的」に過ぎるとして気に入らなかったのかも知れません。

 

それに、道長の跡継ぎ頼通のことを紫式部が褒めあげているのに違和感を覚えています。若くしてスピード出世している頼通は自他共に認める道長の跡継ぎです。褒めるしかないでしょう。「女性で心ばえのいい人は少ないものだ」と17才の頼通が言って立ち去る姿を物語に出てくるようないい男だと褒めあげたのです。『源氏物語』の中に出てくる男で、紫式部がこのように褒めあげた男がいたでしょうか。忖度しなければならない話などは、彼女の気性として書きたくなかったと思うのですが、いかがでしょうか。

 

 

それに、(また、それに、ですが)『紫式部日記』の中で、初孫を抱いておしっこをかけられる道長を紫式部は淡々と書き記していますが、かわいい孫ができて喜ぶ道長に紫式部が共感して書いているという学者がいますが、私にはそのように思えません。天皇の外戚となって権力を得るためには、初孫は男の子でなければならなかったことを誰もが知っていたはずでした。

 

なぜ正月早々から、こんなことをくだくだしく書くかというと「・・・ソウルメイト【藤原道長】への、紫式部の深くつきることのない想いを表します」という文言がこのドラマの中心にあるようなNHKの広報文がどうしてもしっくりこないからなのです。『光る君へ』は道長と紫式部が主人公です。赤い糸で結ばれているそうです。

 

しかし、どうにもならないことをいつまでも言っていても、と気持を白紙にして視聴しようとあらためて思い直しました。感想を毎回書くつもりですが、最後まで書き切れるか自信はありません。吉高由里子の紫式部、道長の妻倫子の黒木華、道長の姉詮子の吉田羊、そして中宮定子の高畑充希に、道長の柄本佑という、これ以上ない俳優陣なので、その演技だけでも最後まで見たいという気持は強いです。