When someone said if I meet somebody I can't understand and can't build a good relationship, just take distance, ignore him/her, I couldn't agree with that because it was just escape in my opinion. I or people should face to and try to understand this person who I even don't like. Even now I think it might be a kind of escape to take distance. In fact its, however, better than hating or disliking him/her. Luckily or unluckily I realize that I couldn't sometimes understand people and even feel irritated. Also these people felt this irritation and felt anger or sad. I've realized how small part of these people I can see for them. If I just see an small part of this person, feel irritated and hate him/her, its definitely worse than taking distance. I had better take distance until we can construct better terms, unfortunately.
私がそうなのか、それともコミュニケーションに特化した動物の性なのか
相手が自分を嫌っているかどうかなんていうのは
口に出さなくても大体わかる
言葉を変えれば、相手を嫌っている場合、その気持ちというのは大体相手にも伝わってしまう
私は昔から正攻法が好きで
寧ろそうでないものは「逃げ」だと思ってきた
前にも書いたが、「すべき」と思っていることを気持ちが追いつかなくなったからといってやらなくなるのは「諦め」であり、「逃げ」だ
人との関わりにしたって同じことで
苦手なタイプの人であっても避けてしまったり深く関わろうとしないのは「逃げ」であった
実際そういう場合もあるのかもしれない
第一印象は良くなくても、よく話してみると案外分かり合えるかもしれない
私の場合第一印象は大体悪くとられるので
恐らく「後から良さがわかってくるタイプ」なんだろう
今は親友でそんな感じで仲良くなった人もいる
どんな人でも「話せばわかる」と思っていた
少なくとも理解できると思っていた
でも、無理だった
「無理だ」と思ってしまった
正確には、多分「今の」「私が」理解できないんだろう
留学して
違う文化で生きてきた人と出会って
「本当にわからない」という状況に何度も出会った
下ネタ(割とえぐいやつ)の何が面白いのかわからない
そもそも笑いのツボは本当に国によって違うんだと思う
薬物に対する考え方が違う
「正当防衛」だと言って銃を持つことを正当化することにも賛同できない
同じように
恐らく「お客さんのため」といって家族や私生活を犠牲にして、命も犠牲にして仕事をしようとしてしまう気持ちもわかってもらえないし
大人になって会社に入ってまで「いじめ」をしてしまう人の気持ちを理解するのはとても難しい
そんなに深刻な話題じゃなくても
留学にきてまで授業をサボってる人の気持ちは理解してもらえないだろうし
母国語を話してしまうことの弱さ
それを肯定してしまう人のことを理解するのは難しい
話しても、向き合ってくれるとは限らない
見ず知らずの人でもサボってるとイライラすることもある
何に腹が立ってるのかわからない時もある
そしてある人たちの「嫌悪感」がたまっていくんだ
たまった嫌悪感とは伝わるもので
嫌った相手には嫌われることが多いし
我慢しようと思っても
苛立ちが態度や言葉に出てしまって
皮肉を言うこともある
こんなことをするぐらいなら
距離をとるほうがよっぽどいいじゃないかと思った
近づき過ぎてしまって
それが自分に不快な距離で
そのイライラでお互い気分を害することがあるなら
お互い不快にならない距離まで下がるしかない
下がったほうが、無理に分かり合おうとして傷つくよりいい結果になると、今は思う
その距離は永遠の距離なわけではなくて
時が経ち、自分も相手も変わったら
改めて近づけるのかもしれない
もしかしたらずっとその距離から近づけないのかもしれない
わからないけれど、少なくとも「今」じゃないんだろう
さらに言えば
私や、恐らく周りの人も
誰かと出会い少し仲が良くなると、さも、「その人のすべて」を知った気になる時がある
その「すべて」だと思ってる部分を鑑みて、「あの人は嫌な人だ」と感じている時がある、
でもそれは大きな勘違いで
家族であろうが友達であろうがもっと言えば恋人であろうが
私たちは相手のごく一部しか知らないんだ
自分の前にいるその人の姿しか知らない
学校に来てる姿しか知らない
家の中の姿しか知らない
ほかの人の前の姿は知らない
24時間の中で1、2時間しかしらない
その少しの間しか知らないのに
一部しか知らないのに
その人を判断するのはもったいないし
軽率な気がする
ほかの面を見たら印象が変わるのかもしれない
まあだからと言って出会っている周りの人全員とずっと一緒にいるわけにいかない
だからこその距離なんだろう
初めから見た目や少しだけの関わりだけで判断して距離をとるのは
その人のいい面を見る機会を逸しているのかもしれない
ただ、しばらく頑張っても無理なら
無理してもいい結果が出るとは限らない
距離をとるのはお互いのためだし
「この人の一部しか知らないんだな」と思うと気も楽になる
「押してダメなら引いてみろ」
時間に表れて残った言葉は、やっぱりいいなあと思った