torinikusakasyoのブログ

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全力 全身 全霊 

こんにちは!とりにくです!


恥の多い生涯を送って来ました。

これは高校時代の愛読書の冒頭の台詞なのですが、私自身本当に恥の多い生涯(27年)を送ってきました。過去の人生を振り返ると今現在、何故仮にも平均的な一般人として社会で生きていけているのか不思議になるくらい自分は人間として弱いのですが、更に深く振り返ると至る所に道を踏み外さないで済んだターニングポイントがあって、そこで私を助けてくれたターニングポインター達の存在があったので思い出せるだけ思い出してみます。


①扁桃腺

人生で最初のターニングポインターは間違いなく扁桃腺だ。生まれつきかなり病弱で幼児の頃から何度かただの風邪が重症化して死にかけていたらしい。そして、その原因が扁桃腺だった。本来は人間に必要な身体の部位らしいが、毎回扁桃腺が原因で死にかけているとなると、流石に切った方が良いと判断され、物心がはっきりつく前に扁桃腺を切り捨てた。そのおかげで病弱体質も改善し、今でもノー扁桃腺ライフを謳歌している。ちなみに普通の人は匂い玉というものが扁桃腺に付いて激臭放つことがあるらしいが、私には縁のない話となっている。ありがとう手術代出してくれた親父と手術してくれた執刀医。


②小3の担任の先生

幼少の頃から病弱かつ気弱で自分を表現するのが苦手な子供だったが、小学校2年の頃に経緯は覚えてないものの、たった1回担任の先生に怒られたことが気になって学校に行けなくなり、そこからガチ鬱になって小児カウンセラー通いになった時期があった。流石に当時のことは殆ど覚えてないもののカウンセリング程度では全く立ち直れず、生活する気力が戻らず1年以上引きこもりになり、両親は絶望し母も相当精神をイカれていて、今思うと結構エグい状態になっていた。その中でターニングポイントになったのが3年生になるタイミングで図画工作のコンテストに参加した時。相変わらず引きこもっていた中で何故かふと学校に行けた日があり、図工の時間にペットボトルに紙粘土をくっつけて各々好きな塔を作ろうという授業に参加した。他の子が無難に子供らしい塔を作る中、精神が多分かなりイカれていた私は塔を作らないといけないのに、緑と黒に塗った紙粘土で汚い川を表現しその上に死んで鬱血し紫色になってしまったカービーを乗せるという普通に物騒過ぎる作品を作り上げて満足し、その後しばらくまた引きこもり生活に戻った。

そんな中、担任の先生が何か私が学校に戻れるきっかけを作ろうとしてくれたのか分からないが、そのカービーのキモい塔を市の図画工作コンテストに応募し、ガチ鬱小学生の本物の狂気が審査員をも狂わせたのか、まさかの入賞。市の大きな施設で、普通に優秀な作品が並ぶ中、低学年の部に鬱血したカービーが並べられていて母と凄く喜んだ記憶が今もある。その後のことは殆ど覚えてないが多分このことがきっかけでその後徐々に立ち直り、高学年になる前に完全に普通の状態に戻り、無事残りの小学校生活は人並みに終えることが出来た。

あの時、小3の担任の先生が思い切った決断をしてくらていなかったらもしかしたらもっと大変な人生になっていたかもしれない。



③タナカくん(仮称)

中学時代、同じ塾に通っていたタナカくん(仮称)という赤の他人とは言えないけども話も殆どしない絶妙な距離感の友達がいた。タナカくんは見た目はど真ん中のガリ勉だが運動部に所属しているギャップがあり、確かそんな見た目でギャルの女の子がタイプだと言っていた(気がする)のもギャップだった。既述の通り、彼とは全く仲良くはないものの中3の頃に高校の志望校が同じになり、何となく彼の動向が気になって注目するようになっていた。受験が近づいてきて私は正直9割は受かる自信があったのだが、実は彼はかなり頭が悪く、受験ギリギリまで合否の当落線上をフラフラして学校の先生からは志望校のレベルを2段階下げるように助言されていた。それでも決して諦めずに当日まで塾で猛勉強を続け、奇跡的に合格して私と共に志望校に入学することができた。彼の頑張りを間近で見て、どんな難関でも努力をすれば突破することが出来ることを学び、生まれてこの方一度も努力したことがなかった私も大きな感銘を受けた。

時が経ち大学受験の時期となった。高校3年間相変わらず彼とはほぼ会話しなかったが奇しくもまた志望校が同じになり、また彼のサクセスストーリーが間近で見れると胸が高鳴った。受験直前にタナカくんとたまたま会話した際、「この3年間この大学に受かるために部活も恋愛もせず勉強してきた」と熱い胸中を私に打ち明けてきたが、申し訳ないがそれが凄く高校生活を楽しめなかった言い訳がましく聞こえて内心落ちろ!と思ったが、それは冗談で本当に彼とまた高校受験の再現をしたいと感じた。

いざ受験となり、私は勉強だけは可もなく不可もなく無難に出来てしまったため最小限の労力で志望校に受かった。正直ヌルゲーだった。

だか、自分のことはどうでもいい。タナカくんが受かったかどうかだけが重要だ。また努力の美しさを私に見せてくれ!と期待を込めてタナカくんの結果を待った。その後中々タナカくんと会えなかったので後に人から聞いた話だが、結果、タナカくんは志望校の全学部でブチ落ちして、志望校はおろか格が一つ下がる大学群の1番下の大学にしか受からなかった。あまりこんな事は言いたくないが、私たちの高校のレベルなら殆ど勉強しなくても恐らく受かる大学にしか受からなかった。つまり受験全敗だ。努力が出来ない私が言うのも何だが、人間には持って生まれた才能があり、それには限度があり、あまり背伸びをしてはいけないことをタナカくんが身をもって教えてくれた。彼の大爆殺は一種のトラウマのような形で私の人生の価値観の根底に大きく横たわり、人生は努力をすれば何とでもなるほど甘いものではないという考えは大人になった今も変わらない。横目で見たタナカくんの破滅の物語が何故か私のターニングポイントになったと感じている。


④英文科ゼミの教授

大学2年終了時、完全に地の底まで堕落し切っていて実は皆んなが思ってるよりもかなり詰みかけていた。その状態から抜け出したターニングポイントは恐らくゼミの説明会に参加した時だ。3回生で大量の残単位を抱え、2回生時に必修のゼミで女王様のような振る舞いをする内部生上がりのハーフの女に腹が立って軽くいざこざがあり、その勢いでゼミを退会してしまったせいで、正直9割9分卒業は無理だと感じていた。このままでは就職も出来ず、流されるように才能のカケラもないお笑い芸人になるのかもしれないとすら一瞬考えた。そんな絶望の最中、大学から強制されて英文科の奈落者向けのゼミ説明会に参加した。本来は留学などでゼミを選び直す必要性がある学生向けの説明会という趣旨だったが、実質的には大学生活が破綻したモンスター達の話を聞き、更生場所を探すための場と化していた。そして、その説明会でたまたま面談担当になったアイルランド文学専攻の教授が今回のターニングポインターだ。私がこれまでの経緯を説明し、もう卒業は無理かもしれないと悪態をつくと、教授は激昂しつつも「君本当に何やってんだよ。終わってるよ。もー、僕のゼミで引き取るしかないじゃないか」と言って、嫌がって無駄な抵抗する私に無理やり書類に署名をさせ、その教授の2年、3年のゼミに私を同時入籍させた。私は本当に終わっているので当時はマジでクソキモい、シェイクスピアの詩集で頭ぶん殴ってやろうかとしか思えなかったが、今になると流石にそれが教授の寛大過ぎる優しさだったことが分かる。その後、相変わらず何の感謝の念もなく、永遠に怠そうな顔をしながら課題だけこなして特に教授とも他のゼミ生とも交流しなかったのだが、今普通に就職出来ていることを考えると明らかに人生を救われてる。面談の相手があの教授ではなかったら今頃大阪のUp to youの舞台で滑り倒していた未来があったかもしれないと考えると中々恐ろしい。


⑤ロン毛の駐在員の先輩

社会人になって1年目は新しいことばかりで大変だったがそれはそれでやり甲斐があり、尚且つ入って早々に変人扱いされた私を面白がって可愛がってくれた先輩達にも恵まれてそれなりに楽しくやっていた。が、時が経つにつれ元々病的に飽き性なため仕事に何の興味も沸かなくなった上に、上司に毎日のように精神攻撃され、仲のいい先輩とも異動や駐在で散り散りになってしまい、つい1年前くらいはかなり疲弊して本気で仕事を辞めて大阪に帰ることを考えていた。そんな中、ドイツへの社内留学の話が急遽持ち上がる。筋書き上は部署の有望な若手を選んで経験を積ませるプログラムで定員がたったの1名だったので正直関係のない話と思いつつ、どうしても今の職場から離れてやり甲斐のある仕事に移りたかったので内心どうしてもこのプログラムでドイツに行きたいと考えていた。ここでターニングポインターと出会えるのが、悪運に恵まれ過ぎている私である。昔1年目の時に可愛がってくれた先輩が受け入れ側のドイツで働いていたのである。先輩はドイツで働いた数年で刈り上げ短髪のtheサラリーマンスタイルから、筋肉型の力士のような分厚い体型にR指定のようなロン毛、ギンギラギンの指輪を全指につけたりと見た目は変わり果てていたが、中身は当時の厳しくも優しい先輩のままだった。

プログラムの選考時、上司とかなり折り合いが悪く揉めまくっていたので本来推薦されて選ばれる確率はかなり低かったのだが、その先輩があらゆる手を使って根回しをしてくれたおかげで大逆転でドイツ行きとなり、今ドイツで仕事をしている。

ドイツでは中国人と間違われて現地の小学生から襲撃を受けたり、スーパーのレジで店員のおばちゃんに何故か凄い怒られた挙句にフランスパンを奢られたり(これは本当に意味不明)、出張先のパリのホテルでパンツ一丁のアメリカ人に殴られかけたりと色々あるものの、全てが記憶に残る貴重な体験で全て先輩のおかげである。

 


思い出せるだけ書いてみました。

書いてみて、改めて恥の多い生涯だと思うと共に、俺が小説の主人公のように廃人にならずにギリギリ生きているのは、本当に良い人たちと出会ってこれたおかげだなと感じる(勿論ここに書いていない人たちを含めて)。これからの人生はもっと人に感謝して生きて行かねば。


何となく撮ったセーヌ川が絵画の中の世界過ぎ


長文駄文まじで失礼。

とりにくa.k.a.イカルゴまたはど素人