緊急オペ&入院② | 〜卵巣がんだけどゆるゆるポジティブで人生楽しもう〜

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初めまして。
2015.7.27に卵巣がん(Ⅲc)告知を受け、治療中です。当時36歳、3児の母です。癌になんか負けない!ブログを書くのは初めてで上手くかけるかわかりませんが、病気の事、日常の事、いろんな事を書いていきたいです(*^^*)

おはようございます(#^.^#)
ご訪問ありがとうございます

いつの間にか、今日は、6月最後の日
トトロ地方は朝方、雷、鳴ってました雷雷雷
今日までの、1週間は、怒涛の1週間でした。


先週、20日火曜日、いつも通り治療を受けました。
いつも便秘になるので、今回もと思いながら、パンカム飲んで、対応してました。

22日木曜日のお昼からシクシクとお腹が痛み出しました。イレウスなっちゃったかなぁ…
ちょっと不安でした。
夕方19時頃からは痛みで冷や汗、脂汗…
旦那さんは『病院行くぞ‼️』と言い、病院にも電話してくれて、準備もしてくれたのに、トトロはロキソニン飲んで『行かない‼️』と。

夕食は食べれず、お風呂入れず、寝室へ。
寝たら大丈夫と思って。
日付け変わって、2時半から痛みで眠れず、リビングにひとり降りて行き、ソファに崩れ落ち、熱が上がり始めました。
イレウスで入院になるかもと…
4時頃、副作用の助けで泊まりに来ていた母が私の異変に気付き、リビングまで様子を見に来たので、ゆる〜く入院の準備してもらい、旦那さんを起こしてもらいました。
でも、痛み止めの点滴してもらって帰るぞ。と思っていたトトロ。

子ども達が泣くから、不安がるから、3人が学校へ行ってから病院に行こうと思ってましたが、もう痛みで歩く事もやっと。
救急車を呼ぶと言われたけど、それこそ、子ども達がぁ…と。
旦那さん、病院に電話してと2人で救急外来にかかりました。
朝方ですいており、でも少し待ち、診察からのCTとレントゲン。

CT撮り終わり、『レントゲンまで歩ける❓』
『なんとか。』

レントゲン撮り終わるか終わらないかの時、CT室が大騒ぎにびっくり
ストレッチャーが来て、動いちゃダメと言われ、運ばれて行きました。
処置室に着くと、全裸に
手術着に着替えさせられ、
『このままオペになります。』

はぁ〜

外科部長先生が偶然みえたので、痛み止めの点滴しながら、優しいトーンで説明してくれました。

『腸に穴があいてます。便もそこから出て、腹膜炎にもなってるから、命にかかわります。』
『このままオペをしないと言うことは、絶対に出来ません。』
と言われたけど、オペしたくなくて、ただただ泣いてました。

アバスチンの副作用(血栓症と消化管穿孔は命取りになりかねない副作用ですが、市販後の全国調査では、それぞれ0.9%と0.4%と低い数値。
なのか、アブラキサンが良く効いて腸にあった大きな癌が無くなって穴があいたのか、はたまた全然違う原因なのかは、分からないとのことでした。

オペ室の確保と執刀出来る医師を今から確認してくるからと、部長先生は席を外されました。

旦那さんも、何が何だか分からないと言う感じで…
でも、手術頑張って欲しいと。

それからの事は、なんだか、他人事じゃないと受け入れられず、痛みで記憶も少し曖昧です。

オペ後はまたICUに行く事。
(あそこは、もう2度と行きたくな所なのに。)
オペ時間はお腹開けて、穴が何個あるのかや、ストマになるのかもとか、腸内洗浄とか、その時の状況で早ければ1時間半それ以降は分からないと…


戻られた、優しい外科部長先生は、
『外来の時間待たずに、今、来てくれて良かった』と。
『後、数時間なんて待てなかった。』と。
腹膜炎で命を落とす事。
静かに、駄々っ子を諭すように、仰って下さって、
『緊急オペにご同意いただけますかね。』と。

泣きながら、『お願いします』と言うのがやっとでした。

トトロは、運が良く、朝1のオペ室に、後45分でオペ開始出来ることになりました。
でも、救急外来で待っていた45分は生きた心地しない重く長い時間でした。
子ども達の事もどうしようと。

一緒に待っていてくれた、旦那さんの目も涙でいっぱいでした。
また泣かせちゃったなぁ…