ブログを始めたきっかけは
フラッシュバックの整理整頓がしたくなったから
母に関するフラッシュバックは小さなきっかけですぐ始まるし
一度始まると芋づる式にあれもこれもどれもに
中途半端に飛び火しまくって
最終的には〇ぬ以外に解決の方法がないとしか思えない
そんな状態に追い詰められる
あのフラッシュバック一つ一つを
きれいに整理して並べたくなった
具体的に思い出せる出来事をできるだけ細かく書いて
混ざっていた記憶・出来事もできるだけちゃんと分けて
箇条書きにするイメージでブログに書き始めた
物事が完結してしまえば脳みそはリピートしないと何かで読んだけど
ほんとまったくその通りで
母親とのこと、姉と父とのこと、夫と夫関係、友達知り合いママ友関係
全部書いたら
芋づるフラッシュバックを起こすことが減っていって
たとえ始まっても途中で気が付いてやめることができるようになった
書き出したことで脳みそも
「もう忘れても大丈夫~」と言っているような感じ
ここまで来るにはもちろん並行して
カウンセリングに通ったことが一番の要因だと思う
臨床心理士の先生の助けなしでは
ここまで来れなかった
ただ、出来事を箇条書きに整理したくらいでは
私の物の見方や受け取り方は大して変わらなかった
なんならそれまでしっかり覚えていた出来事は
実は私を縛るのに大した役目は果たしてなくて
人間関係がうまくいかない原因のラスボスは
母のやり口を受け入れていた出来事と
ちゃんと覚えていない、つかめていない方の記憶だったこともわかったきた
で、私を縛り付けるラスボスのうちの1つが
前回書いたコレ
「母に連れていかれるよくわからない世界」だったようで
次女のおかげでこの世界の仕組みが見えたら
以前ほど母が脅威ではなくなった。
それは「自分でも気が付かないうちに採用していた
『母が正しいことを証明しよう』とする衝動に縛られなくなったということで。
あれ以来、本当に母のことをほぼ思い出さない
生きてても死んでても、
私と関わらないでいてくれるならもう何でもいい。
母をかわいそうな人だと思うことも出来るようになったし
バカな人間の末路も見れたしそして何より私の胸は今痛まない。
私の今の人生観に母の道徳的虐待も
多少なりとも役にも立っていることも
しょうがないから受け入れつつ
これからは私と私の今の家族と私にとっての大切な人とが
どうしたらいい感じでいられるか
私のペースで考えられる時間が増えそう