あしあと「希死念慮」と重いテーマですが

内容は私個人の感覚です

読まれる時はご注意と自己責任をお願いします

 

 

 

 

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先日、コーチングが本職の方と、

私と同じカウンセラーの資格を持った人たちとでの

食事会に行ってきた。

そこで「自〇」について色々話していて

そんな中思いついた事を書いてみようと思います。

 

 

 

 

 

そもそも母のした事を『虐待』だと思うのは

私を〇にたくさせるのが母だから。

 

 

 

 

私の場合は命の危機を感じるほどの暴力は無かった

面前DVもなければ離婚もしてないし貧乏でもなかった。

それなのに暴力を受けている人達と同じように「〇にたい」と感じてしまう。

 

 

 

 

 

 

「精神的虐待」という言葉が生まれるまでの間

「母のせいでここまで〇にたいと感じるのに

これが虐待だと認めてもらえないなら私は一体なんだ」

といつもとても苦しかった。

 

 

 

 

 

母からの虐待の苦しみを紛らわす方法に私が選んだのは『過食』

いつも「お前(私)なんか〇ねばいい。醜くなって〇んでしまえ」

と思いながらがつがつ食べていた

でも同時に「本当は〇にたくない」事も分かっていた

 

 

 

 

 

〇にたくない理由は「〇は恐いから」

痛いのも怖いのも苦しいのも嫌い。

 

 

 

 

 

でも今思い返すと〇にたくない理由は

「死へ恐怖」だけでは無かったらしい。

私の行動は、いつも「自○」を回避するものだったから

 

 

 

 

 

例えば。母の横暴に気が付いて私を助けてくれようとした人に

今迄2人会った事があるけど その時は速攻で跳ね除けた。

何故かと言うと、その人に頼る。という事は

自分のなかのガードを外さないといけない。ということで。

ガードを外したらどうなるか。

 

 

 

 

 

当時は確実にその人に依存しまくっただろう。

そしたらその人は私から逃げる。そんなものはその場で簡単に想像できた。

でもし本当にそうなってしまったら、

一度外したガードをまた一から作り直さなければならないということで。

でもそんな気力はもう残ってなかった。

作り直す気力が無い以上、この人に逃げられたら

もう本当に〇んでしまうかもしれない

そんなのはイヤだ。たから最初から跳ね除けた。

言い換えれば、私に助かるための準備がまだ出来ていなかったってことなんだけど

 

 

 

 

 

 

そう思うと、私にとって「怒り」は

生きるために大事な「杖」だったのかもしれないとも思い始めた

他人への怒りも、自分への怒りも。

これがもしな無くなったら…と考えた時「ああ〇ぬな」と言う気持ちが

最初に湧いてくる。

 

 

 

 

 

「怒り」なんて扱いづらくて振り回されて今でもとても困っているのに

それでも生きていくためには「怒り」が必要だったらしい。

「母はおかしい」と自覚して絶望して〇ぬよりも

自分がおかしい事にして母や自分や世の中に怒りまくってでも生きていたい。

 

 

 

 

 

でこの「〇にたいのに生きていたい」矛盾。

これを言語化しようととしたときに

私は自分から〇にたいと思ったことなんて無くて

母が私にずっと「〇ね」と言い続けたから〇にたくなっただけだった

んじゃないかと気が付いた。

 

 

 

 

もちろん、母から直接言葉で「〇ね」と言われたことは無い。

母はそんな簡単な、誰にでもバレてしまうようなミスはしない。

ただ優しく厳しく何度も何度も

「朋子じゃだめなのよ。変わりなさい」と言い続けただけ。

 

 

 

 

 

最低でも小学校6年間はほぼ毎日言われていたと思う。

「そんなんじゃダメなのよ」「変わらなきゃダメなのよ」

「そういう時はこう感じなきゃダメ」「そんなんじゃだめなのよ変わりなさい」

で言われるたびに努力した。

でも頑張っても頑張っても私は母の理想通りに物事を感じることも

こなす事も出来なかった

当たり前だ。

でもそれは母には通じない。

だんだんと母の「変わりなさい」は

私の中身を総入れ替えしないと叶わないことに気が付く。

だからそれは私に「〇ね」と言ってるのと同じ。

でも母はそこを理解する気は無いから延々と言い続ける

「朋子じゃダメなのよ。変わりなさい」

そこに父も姉も参加する。「朋子はおかしい。変われ」

 

 

 

 

 

私は今まで自分から〇にたいと感じたわけでは無い

ただ、延々と「〇ね」と言われ続けたから「〇にたくなった」

私が「〇にたい」のに結果〇につながりそうな行動を

避け続けて来た理由はこれだ。

 

 

 

 

こんな自分が分かって良かった。