黄色い花続きです

 

 

 

 

 

前の記事で、第三者に(今回は占い師さん)また

『親も被害者だった』と言われうんざりした事を書いたのだけど

頂いたコメント読んでやっぱり当事者は同じ気持ちになることがわかるし

そっからの先生の言う「社会はそういう話をする場所ではない」ってことを考えると

この矛盾の負のループが今のところの私の脳みそでは整理出来ない。

 

 

 

 

 

こっち側の私たちは「一般的な社会では理解・共感・想像されづらい事」を

実際に経験してて

こっち側の人とあっち側の人は同じ社会のなかで暮らしてはいるけど

背景がパラレルワールド並みに違ってて

今の社会ではこっち側が少数派の特殊な状況扱いをされているようだけど

私に言わせればこの経験は特殊でもなんでもないただの日常で

特殊と言わせてるのはあっち側の価値観で

 

 

 

 

 

 

普段はきっと「人に自分の価値感を押し付けてはいけない」ことを

実行しているだろう善良な普通の人たちが

なぜかこの特殊な状況の話になると、

くそみたいな能天気を押し付けてくるというこの理不尽。

 

 

 

 

 

そして本当ついさっき。ネットでタイムリーな記事を見つけてしまった…。

一部抜粋します。

【善悪二元論では克服できない。

昨今急速に市民権を得て来た「毒親」という言葉には、

問題のある親を完全に悪として捉えるニュアンスがあります。

しかし「毒親育ち」にせよ「アダルトチルドレン」にせよ「愛着障害」にせよ、

親を絶対悪として扱っているかぎりは、

おそらく、この問題を乗り越えることは難しいでしょう】

 

 

 

 

 

いや~この記事、全部読んでみた私には悪意も感じましたわ。

「難しい」かどうか、あなたが言うな。

ぬこさんの言うように、他人が言う言葉ではない。

そもそも子どもを虐待した親は「悪」でしょう。

生まれたそばから延々と子どもの人生を潰す行為が

「悪」でなきゃなんなの。

 

 

 

 

 

「人〇し」も同じ。

ここなっつさんの言うように、

被害者家族に「犯人にも違う側面では被害者だった」と言えるのか。

「人〇し」も悪だからだから一般的には皆、人を〇さない。

「いじめ」も悪でしょう。

いじめで自〇した子やその親に「加害者も裏では被害者だった」と言える?

親からの虐待で〇された子どもに「親も被害者だった」言えるのか。

虐待で自〇した人は親に間接的に〇されたも同然。

きっと〇んでしまった被害者には言わないだろうね。

でも運よく(悪く)生き残ってしまった当事者には言えてしまうこの矛盾。

その矛盾を勝手に作ったのはあっち側の人達だと思うのに

どうして当事者が罪悪感で苦しまないとならないのか。

大体、自分が被害にあった時に、同じことを自分に言えるのか。

こういう人ほど、同じ目にあった時に自分の不幸を喚き散らかしそうだけど。

 

 

 

 

 

私が考えは、親問題を克服出来ないのは「二元論」でいるからじゃない

「克服するためのスキル」を持っていないから克服できないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

「親も被害者だった」を受け入れるにはスキルが必要だ。そのスキル

自分以外の誰かに、丸ごと自分を受け入れてもらえたと感じた時の安心感

を何度も実感しないと手に入らない

その安心感を子どもに与えるのが親の役目で、

その役目を果たせない親に育てられてしまったからそのスキルが無いのだ。

(私は運よくカウンセリングで時間をかけて安心感をもらえたおかげで

『母も被害者だった』と言われても以前より傷つかないようにはなれた。

そうなれた今だからこの感覚は「スキル」だと考える)

 

 

 

 

 

 

自分を受け入れてもらえずに育った私たちが、

年齢的に大人になったというだけで

「どんなに受け入れて欲しと願っても、いっさい受け入れてくれず

それどころか攻撃をしかけてきた親」のことを

何故先に受け入れて差し上げなきゃならないのか。

無茶言っちゃいけないって。

 

 

 

 

 

「親も被害者だった」と言いたい人は

誰か1人でも被害者の人生丸ごと受け入れて救ってみたらいいのに。

まあそんなのはムリだろうけどね。

この社会は「虐待問題を気軽に話していい場ではない」ように

無償で赤の他人を丸ごと受け入れられるほど楽に出来ていないんだから。

 

 

 

 

 

黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花

 

 

 

 

 

あ~ここまで書いて少し整理出来ました。

結局、相談する相手は慎重に選んで正解なんですね。

とはいえ私の場合は母から

「世の中皆、他人に優しくなろうと努力して頑張って生きているんだから

自分を犠牲にしてでも人に優しくする努力をしなさい。

みんなそういう人間を目指して頑張っている」

と物心つく前から延々と教えられたせいで

「皆自分を犠牲にしあって優しくなろうと生きている」という母のウソを信じてしまい

「私の悩みを理解してくれる人は必ずどこかにいるはず」と

誰彼構わず相談してすがってしまったのが

自分の傷を大きくした原因でもあるけどね。

でもこれもね「私の母親は間違っていないことを証明したい」という

悲しい愛から来てるって話もある…。

 

 

 

 

 

終わりです。