今日のカウンセリングでは
この件↓について話してきました
「臨床心理士の義理の従妹に腹が立つ。で、
腹を立てていることについては『それでいい』とちゃんと理解している筈なのに、
でもそうすると頭の中で私が私に『負け惜しみのクセに』と
嘲笑い始めてそれが止められない。
なんなら今は嘲笑って自分が落ち込むことを楽しんでいる気までする」
「こんなおかしなことが起きてる私は一体
どんな状態なんですか?」と聞いたら
先生:「ともこさんがそういう状態になるのは
『私を褒めて欲しい』という感情が
出発点なんだと思います」と言った。
先生:「本当は親から褒められる育つところを
褒めてくれない親だったから
ともこさんは誰からも褒められずに生きて来た時間が長いですよね。
だから『褒めて欲しい』という欲求が強くてそれが出発点だと思います。
でも現実は誰も褒めてくれないですよね?
そのことはもう分かっている。でも
『褒めて欲しい』という感情は残っている。
この感情をなんとかしたい。
でもどうにも処理のしようがない。
だからもう笑うんです。笑うしか残っていないんです。
映画の悪者が最後に笑いながら死んでいく。あんな感じです。
もう最後は笑うしか手が無いんです。
だから頭のなかで自分で自分を嘲笑うということが起きてるのかもしれませんね」
・・・ほんと。確かに・・・
実は、私は夫から
あの時その従妹と何を話したのか聞いていた間、
義理伯母(夫の伯母 = 夫の母親の姉 = 臨床心理士の従妹の母親)に
『私が正しいと言って欲しい』と感じていた。
「『うちの娘は間違ってるわ。ともこさんの方が正しいね』って
言ってくれたらいいのに」とずーっと思っていた。
でも「こんな感覚は間違っているから」と打ち消してきた。
あれは打ち消しちゃいけなかったんだ。
で、これは後から思ったんだけど、
他人の親に、しかもその人の子どもを差し置いて
「私の事を『よく頑張った。とても正しい』と褒めて欲しい」と
感じていることに後ろめたさがあったかも。
『後ろめたさ』って「他人への攻撃」の元でもあるしね。
だから私は自分で自分を「バカにする」という攻撃を仕掛けたのか。
私の場合「他人じゃなくて自分自身を攻撃しろ」と
母親から調教されて育ってるし
で結果、あんな風に「自分で自分を嘲笑う」ってことになったのか…
実際、先生から「褒めてもらいたがっている」と聞いてから
『あのクソ○キ』と感じても、「負け惜しみ」の横やりが入らなくなった。
とっても清々しく「どう考えても私が正しい。
やっぱりあの従妹は無能なクソだ」と思っていられる
あー良かった。この感覚が欲しかった。
そうか。私は褒めてもらいたいんだね。
先生:「ともこさんは『褒めてもらいたい』という欲求に飢えている。
でもその欲求は叶わない。
やっぱり今はそのことを『途方に暮れる』時期なんだと思います」
だそうだ。
あぁそうか~まだまだ途方に暮れるの時期なのか。
まあでもいいか。
今は『途方に暮れても大丈夫』と思えている。
数年前は「途方にくれたら最後、
死ぬまで途方に暮れたままでいる以外何も出来ない」気がして
先生の言うことを拒否していたけど
今はもう「途方に暮れても必ずその先に何か変化がある」ことを
体験して知っているので大丈夫。
それだけ治療が進んだという事だ。「私が成長した」ともいう笑
ゆっくり途方に暮れとこうと思います。