最後に書き足しました汗

もう全然頭の整理出来てませんね…すみません。

情報量が多すぎるのか、

母さんがした事と私の結論だけをみると

どうしても矛盾してる気がして

実際現実世界では誰もわかってくれなかったという経験があり過ぎて… 

だから「どうして私がそう思うまでに至ったのか」 が

私にとっては重要になってきて結局長々と書いてしまうという…

こうなんといか「簡潔にスパッと、自分が納得できる一言」 

みたいのが欲しくて彷徨ってます…

 

 

 

 

 

上矢印続きです

 

 

 

 

 

母からの道徳的教育は

私が幼稚園児の頃にはもう相当刷り込まれていたと思う。

あしあと私は小学校1年生の夏休みに今住んでいる市に引っ越してきたので

母が話している背景が 以前の家か、現在の実家かで

“幼稚園の頃の記憶” “小中学生の記憶” で分けています。

特に“戦争”に対しての教育は熱が入っていた。

 

 

 

 

 

 

「ちゃんと勉強しないとバカな大人になってまた戦争が起きてしまう」

「だからバカな大人になってはダメ」

「ちゃんとした大人になりなさい」

「皆がちゃんとした大人になれば戦争はもう起きない」

「どんどん人間の質が悪くなっているからもっと皆勉強しなくちゃいけないのに」

「こんな事ちゃんと子どもに教えてるのはママくらいなのよ。ともこはよかったね」

こう言われて「私のママはちゃんとした人なんだ」 と心底ホッとした。

でも同時に何かが引っ掛かったのも覚えている。あれは「違和感」だったんだろう。

 

 

 

 

 

 

どうして私が学生の頃

「私だけが戦争の世界を(母によって)生かされている」 

と感じたのか。

それは『勉強をする』という事の原動力の1つが

「立派な大人になって戦争を起こさないようにするため」 だったから。

 

 

 

 

 

 

 

てっきり皆もそうだと思っていた。

 小学校に上がった頃にはさすがの私も

「ちゃんとした大人」が母だけじゃないことは分かっていたから

ちゃんとした大人を親に持つ友達も

戦争についての教育は皆 私と同じくらい教わっているんだと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

でもそうじゃないことは様子を見てたらだんだん分かってくる。

“戦争”の事を考えながら何かを選んだり行動したりしているのは

どうも私だけ。

皆はもっとお気楽に見えた。おバカな事も平気でやっている。

「ちゃんとしないとまた戦争が起きちゃうのに…」 と

1人で脳内焦ってたことも何度もある。

そこまで思い込まされていたのは多分私だけ

という事だったんだろうと今は分かる

 

 

 

 

 

 

ぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶー

 

 

 

 

 

 

子どもの頃、テレビでやる戦争特集は毎年必ず見させられた。

幼稚園の頃から、夏になると原爆や戦争を題材とした劇も

必ず見に行った。(5歳離れた姉と一緒に連れて行かれた)
 

 

 

 

 

真っ暗の中、爆弾が投下され着弾する音やB-29の音、

機関銃のような音の中で一掃される人たち、

「カモメの水兵さん」を歌いながら死んでいく子どもの場面。

怖ったけど「ママが実際に経験したことだからちゃんと知っておかないといけない」

と思っていた。

 

 

 

 

 

 

でも友達には「B-29って何?」と言った子もたくさんいた。

高校生の頃には「なんでそんなもの知ってるの~」 と笑われたこともある。

 

 

 

 

 

 

母は31歳で私を産んでいる。

多分、私と同学年の子の母親は 戦後生まれの方が多かったんじゃないかと思う。

だから余計に 戦争について日常的に親から話を聞いてる子は少なかったのかも。

 

 

 

 

 

 

 

いつまた起きるか分からない戦争に

怯えながら生きていたのは私の世界では私だけ。

 

 

 

 

 

母の戦争体験はそれはとても壮絶だっただろう。

でも当時は母の周りの人間にとっても戦争中だ。

家族も友達も皆で一緒に戦争を経験している。

 

 

 

 

 

 

でも世の中的にはもう終わっている戦争の

その世界にほうりこまれて追体験させられているのは今現在私だけ。

私の周りの人達は誰も戦争の世界を引きずっていない。皆平和な世界を生きている。

私はたった1人で戦争を経験させられている。

こらはどういうことなんだろう…

 

 

 

 

 

それは本当に辛かった。

皆が楽しく遊んでいる中

「アフリカの子ども達」 の事を考えて

イマイチ楽しめないのも私だけ。

肝心の母が新しい電化製品を買って服を買って

文明の進化を享受しているのに

その母によって“戦争”や“アフリカの飢餓”の世界に1人放り込まれて

罪悪感が苦しくて今を楽しめないのは私だけ。

 

 

 

 

 

 

でも母が私に教えた事は悪い事では無い。

でもじゃあどうして皆は私のように怖がっていないのか。

もっと他人事として捉えているのか。

 

 

 

 

 

「私がバカなのか、皆がバカなのか」

そんな世界だった。

 

 

 

 

 

 

あしあとここから書き足しました

 

 

 

母が私を戦争の世界に放り込んだのにはこんな理由もあると思っている。

私も自分の娘たちに同じことをやりそうになった。やりたかった。

だからこそ一見私の勝手な憶測だけれど間違ってはいない自信がある。

 

 

 

 

 

母は私や姉に戦争の話を教えることで

自分の抱えてる不安を私たちに丸投げして

自分だけ戦争の不安からとっとと一抜けした。

 

 

 

 

 

「不安は子ども達が請け負ってくれる。

やっと私がのんびりできる。

子ども達も親孝行出来て幸せよね。

ひとりで不安を抱えるのは私にはムリなのよ。

子ども達をちゃんと躾けられて良かったわ。

皆もそうすればいいのに。どうしてしないのかしら。

まそんなことできるのは私くらいなのかもしれないわね。」

 

 

 

 

 

母は絶対こう思っていたと自信がある。

怖がっている私を横目に

満足そうにしている母の顔を何度もみたから自信がある。

 

 

 

 

 

続きます