ぶーぶー前回はコチラです。

ぶーぶー青字の部分書き足しました。

 

 

 

 

夫の両親も 私の親とは種類がは違うけど毒持ちだと思う。

でも夫は 「俺は親に愛されて育った」 と言っていた。

私も義両親にはある程度の愛はあったんだろうと思う。

でも義両親も 自分の安心を子どもに求めた事には変わりないと私には見える。

だから子どもの頃の夫が本当に苦しんでいた事には

気付こうとしてこなかったんだろう。

子どもの夫を自分の理想で固めて、都合の悪いことは見ないという選択をした。

 

 

 

 

 

夫は母親には、父親から庇ってくれたし苦労していたから感謝しているらしい。

父親の事も 腹が立った事はあっても父親の苦労を考えたりで感謝しているようだ。

 

 

 

 

 

でも昨日 色々話した最後に

「俺が我慢すれば何も無かったことになる」 とか

「俺が我慢すれば誰も揉めない」 とずっと思っていたことを初めて吐いた。

ふん。テレビとかでもよく聞くセリフやね。こういうの大嫌い。

 

 

 

 

でもじゃ 「なんで何も無かったことにしたいのか」 「どうして揉めたくないのか」 は

分からないと言う。

因みに 

「なんで何も無かったことにしたいのか」「どうしてもめたくないのか」 は 

自分の親のダメなところを見たくない、自分の親のズルさを見たくない、本性を知りたくない』

だと私は思っている。

「わからん」しか言わない夫がムカつくので私の考えを伝えたけど、

やっぱり夫は私にキレる睨む怒りで震える。

お前の怒りなんか私が知るかよ。ムカつくなら私の疑問に答えを持ってこい。

 

 

 

 

もしも親の前だけでなく、私や子どもの前、仕事関係者の前でも

「俺が我慢すれば」 のスタンスを貫けるのなら

私も夫が嫌がるところまで突っ込まないかも。

でも実際は 親に我慢したツケを私達で清算しようとしている。

(…今思ったけど、本当にそんなスタンスを貫けていたら、もっと怖い事になっていたかもしれない…

今の状態がまだマシか… いややっぱりそんな状態に追い込む事が起きないのが1番だったおーっ!

 

 

 

 

何かが気に入らないのなら、それは本人に返すべきだ。

親本人に返せないくせに、弱い立場の私や子どもに返すのは

ただの卑怯ものじゃないか。でも夫は自分が卑怯者だとは分かっていない。

そのズレの結果が次女の不登校なのに、

いまだに行動からみえる自分の本心から逃げまくっている。

 

 

 

 

ぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶー

 

 

 

 

夫は相変わらず 自分が安全圏に居続ける為なら

妻も子どももどうでもよくなるらしい。

私は夫のそんな面を もう見せられたくない。

自分の家庭が壊れる心配をしないといけなくなるから。

クズな方が考え方を改めろ と思っている。

 

 

 

 

夫は自分がズルい人間なことを認めることが出来ない。

『自分はそんな人間じゃない』 と信じたいらしい。

なのに行動は「そんな人間」 だ。

 

 

 

 

 

自分の「そんな人間」 の部分を受け入れるのはそんなに難しいんだろうか。

私がそんなことを考えていた30年程前は そんなことが書いてある本は無かった。

あったとしても私には難しすぎそうで探しもしなかったし、

当時の自己啓発本的なものは定型発達用ばかりで私には向いてなかった。

私が味わっている感覚を理解出来る人は周りにいなかった。

私はたった一人で考えるしかなかったのに、

親に愛されたと言っている夫は 現実に向き合わずに

ある意味楽に生きて来て、私にモラハラをする。

 

 

 

 

 

しつこいけれど、普通の人はここまで考える必要は無いかもしれない。

でも夫は虐待モラハラの沼に肩まで漬かっているのだから

自分の腹の底まで考えてもらいたい。

でも夫は自分を「普通の人」 に分類している。あほか。

 

 

 

 

もしこのまま夫がこの件を腑に落とせないなら

私は夫との離婚を本気で考えないといけないのかもしれない。

このままだと夫と居ても自分が幸せになれる気がしない…。

ぐっすん。私の安住の地はどこなんだえーん