「未来は変えられるか?」
この問いかけには今に至るまで答えを見出せずにいます。
これはニュートンの運動方程式や、相対性理論が提示する決定論的な考え方を想起させますが、もしも未来が予め決まっているのなら、本人の自由意思にどれだけの価値があるのでしょう?
ボールを一定の条件で投げた時、それが描く軌道と落下地点は概ね予測可能です。もちろん風や、湿度、温度などの変数を考慮しなければなりませんが、個人の自由意思もその変数程度のものなのでしょうか。原因と結果の間には一定の関係が存在するという因果律の考え方が絶対だということなのでしょうか。
一方、量子力学の世界では、この因果律的な考え方はかなり様相が変わります。過去が未来を決定するというよりも、むしろ未来が過去を決定しているような印象が強い気がします。つまり観察者の存在が時間を遡って過去の状態を決定しているかのような世界なのです。
つまり予言者が未来を見た(予知した)ことによって、その後の運命が定まってしまうようなものです。
私は前者のような決定論的な世界観はあまり好きではありません。
一方、後者のような時間が逆立ちするような考え方も、素直に頷けません。
たしかに病気になる時、その原因はいくつかあるでしょう。何も原因がなく病気になることはちょっと想定できませんから。これはある種の因果論なので、前者の考え方に近いと思います。
その原因を除去しようとすることが、必ずしも良い結果に結びつくとは限りませんが、その努力は何らかの形で報われるような気がします。
脳腫瘍がわかった時、もちろん絶望感はありました。でも数日後は「未来を変えること」に挑戦しようと思いました。
いかなる結果でもいいと受け入れるためには、自分の判断で道を選ばなければだめだと思いましたので。