復職147日目 阪神大震災から26年 | 颯太の葛藤

颯太の葛藤

双極性障害Ⅱ型

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復職147日目。

今朝も引き続き眩暈継続中。
立とうとすると、回転性の眩暈、吐き気、頭痛に襲われて歩くのもままならない。座っていても症状変わらず…。でも、横になってたら少しマシになってきたので起きようと思ったらまた眩暈…
ずっとこの繰り返し…
なので今日は治るまで寝とくことにした。

横になって、1時間…
ようやく落ち着いてきたのでblogを書くことに…


今日、1/17は阪神大震災が起こった日です。
当時、私は高校3年生でした。
神戸の専門学校への進学が決まってました。
税理士になりたい。でもパソコンにも興味がある…。双方を叶えてくれる学校でした。
合格した時は嬉しかった。税理士を目指そうか、システムエンジニアを目指そうか、あの日までは希望に満ち溢れてました。

あの日、遠く離れた私の実家でも揺れました。
揺れで目を覚ましました。
テレビから流れてくる映像に衝撃を受けました。
夏に学校説明会で訪れた三宮の駅前はビルが倒壊し私がみた光景とは別世界でした。
進学するはずだった専門学校は駅前にあったので、4月からどうなっちゃうんだろうと不安でいっぱいでした。

学校に行くと進路指導の先生から校長室に来るよう呼ばれました。
校長先生から、今朝の震災で恐らくあなたが行くはずだった学校は倒壊してると思います。進路を考え直しましょう…
頭が真っ白になった。

家に帰ると親は、生活面を気にしていた。現地の人が住む場所なくして普通に生活するのさえ困ってるのに、そんな中で新参者がどうやって生活していくの?
実際、尼崎に住んでる叔母家族が避難所生活で不自由な生活を余儀なくされてたからってのもあっただろう…

3日後(だったと思う)、進路先の専門学校から別の校舎は大丈夫だったので、4月からお待ちしておりますという連絡が来た。

連絡を受けて急遽、学校で親を交えての面談があった。学校が大丈夫といっても実際のところ震災前と同じカリキュラムでの授業は難しいでしょう…。生活のこともありますし、やはり考え直した方がいいと思います…。
今まで検討してきた学校のパンフレットが用意されていた。
私の中では、まだ諦めがついていなかった。
専門学校に進もうと決めて、全国の専門学校調べて、唯一学びたいことが両方とも勉強できるのは神戸の学校しかなかったから。
しかも、この学校には大学への編入制度もあったので、それも魅力的だった。

片方だけならいくらでもある。
でも、どうしても私は両方学びたかった。

進路指導の先生、担任、両親との協議は何日も続いた。

結局、学生寮も倒壊してることが判明し、諦めざるをえなくなり、進路先の選定をすることに…。
時期的にすでに定員Overになってるとこもあり、最終的に、進んだのは、夏に学校説明会に行った時、ここだけはないなって思ってた学校だった。

最後の決め手が何だったかははっきり覚えていない…。
おそらく簿記の合格率と学生寮の空き状況だった気がする…。

資格は取れるものはほぼ全部とった。
情報処理の国家資格も独学で、わからないことは系列校の先生に頼んで教えてもらったりしながら無事取ることができた。
専門学校の教員免許までとった。
ただ、税理士の受験資格でもある日商1級は取れなかった。カリキュラム的にも進んだコースは2級までだったんで仕方ないんだけどね…。
3年コースに編入すればチャンスがあったかもしれないけど、2級でも、経理の仕事ならできるからいいやぁって諦めた。

中途半端に終わった学生生活。

もし、震災がなければ、神戸の学校に行けてれば人生変わってたと思う。
もし、震災が起きるのがちょっとでも遅かったら、被災してどうなってたかはわからない。
命があるだけ良かったと思わなければならないのかもしれない。

でも、未だに神戸に行けなかったこと後悔してる自分がいる。
今、社内SEっていう仕事にはついてるけど、システムエンジニアではない。
就職後、適応障害になり、復帰する時、経理部に異動したいと希望出したら4年生大学出てないからダメと言われた。経理の仕事も簿記の知識だけじゃダメなんだって思い知らされた。
何もかもが中途半端…。

今更、後悔してもダメなことだらけ…

今、生きてるのがつらい。
26年前の自分が今の状況を知ったら、果たして私は神戸に行く選択をしたのだろうか…
あの時、そのまま神戸に行ってたら…
たまにそんなことを考えてしまう…

震災後、神戸には学会で一度行っただけ。
三宮駅は乗り換えたけど、街ブラはしていない…

コロナが落ち着いたら、遊びに行ってみようかなぁ…
学校や学生寮があった場所がどうなってるのか見てみたい。

もう一度、ちゃんと訪れることで、今の自分を受け入れて何か未来につながるヒントが隠されてるような気がする。

直接、被災はしていない。
でも、自分の中で26年前の1月17日は大きな大きなターニングポイントになった日であることは間違いない。