きみまろが言ってた。
幸せのはひふへほ
は!幸せは半分で十分
ひ!幸せは人並みで結構
ふ!幸せは普通が一番
へ!平凡こそ幸せ
ほ!幸せもほどほどに
うまいこと言うねぇ~きみまろちゃん(笑)
でもそうなんだよね。
人間ってさ。。欲が出るんだよね
無欲。。これが一番美しいよね。
欲の塊←私^^;
平凡が幸せってのはよく聞く。
私もそれはわかっているつもり。。
でもさぁ~何が平凡かって平凡な生活送っているときは気がつかないものなんだよね。
だって。。。平凡なんだもん^^;
毎朝同じ顔があって、同じような食事を取って家族は方々でかけていって
私は掃除、洗濯、食事の支度をし、時々お友達とランチなんかに出かけ、
お子を怒ったり、お子とじゃれあったり。。
パパを怒ったり(笑)パパに愚痴ったり。。
友達とも笑ったり泣いたり時には怒ったり。。
平凡な生活。。。
だけど。。。掛け替えのない生活なんだよね。。。
私の母は波乱万丈な人生だった。
幼いときに母親をなくし、そして戦争。
戦争中に新しい継母が来ていじめられ。。。
家事全部をわずか8歳の母親がこなし、配給や隣組の事も全部こなし。。
そしてまたじいちゃんは離婚
またしても違う継母が来て。。。
何でもこなせた母親には母親なんて要らなかったんだろうな。。。
継母がいやで、高校卒業して家出。。。
街にでて美容師の免許をとり、美容師として働いていた。
そこでも色んないじめやいざこざもあり、父と知り合う。
父は東京の人だったので母は月に何度かしか会えなかったが。。。結婚
結婚しても父は東京での仕事があるので会えるのは週に1度
そして私を母は身ごもった。
8月13日。。。私は生まれた
前置胎盤でお産は超難産。。
出血多量で一時は生死をさまよったらしい
5000ccの輸血のお陰で母は生き残った。
私も未熟児の2400
母は大手術のせいで劇症肝炎になり、退院後も寝込んでいました。
それでも父は週に1度家に帰ってくるだけでした。
私の出生届けを出しに行ったのも母。。。
母はそこで思いもよらない事を知ってしまいました。
母はまだ未婚だったのです。。。
父はまだ結婚していて母と入籍することができていなかったのです。
不倫。。。
母は悲しんだそうです。
悔しかったそうです。
でも私を大事に育ててくれました。
幼い私に全てをわかりやすく話してくれました。
4つの私も理解できました。
その後父が離婚し、さぁ入籍ってなったときに入籍を拒んだのは私でした。
小学4年生。。。苗字が変わることに抵抗があった私は拒みました。
母の気持ち。。。どうだったんだろう
その後も色んなトラブルが母を襲いました。
父の会社の倒産、父の息子の医学部入学(学費は母が出しました。)
倒産の結果私たち家族は家を失いました。
その後小さな小さな家に引っ越しました。
でも私はその小さな家での5年間が一番幸せでした。
13歳~18歳。
そう。。18歳のときに父が他界しました。
病名は肝臓がん
あっけないほどあっさり死んでしまいました。
そこからは母と私二人っきりの生活。
父の残した借金のために決して裕福ではなかったけど仲良く暮らしていました。
そして私が27のときに結婚。
相手はもちろんパパ
母のお気に入りの人と結婚できて親孝行出来たかな・・・
孫も生まれてこれからって時に母は天国へ召されました。
またしても肝臓がんで。。。
母の人生決して平凡ではなかった
他の人とは何から何まで違った。
でも母は幸せだって言ってたな。。。
何を私はやってるのかな。。
母の子なのに。。。
甘すぎる。。。
パパがキライなんて言っていられるのも平凡な生活があるから。
なのに。。。
(´ヘ`;)ハァ
毎日このことは気にしてる。
でも直らない。。。
あーーーどうしたらいいの???
ママ。。。助けてくだしゃい。。。。
