コクリコ坂から
80点。スタジオジブリ作品(宮崎作品)なので辛口。太平洋戦争が終わって18年、日本は焼け跡から奇跡の復活を遂げた。そして、高度経済成長が始まろうとしていた時代に、復活の象徴として、日本は東京オリンピックの開幕を目前に控えていた。人々は古いものはすべて壊し、新しいものだけが素晴らしいと信じていた。煙突から吐き出される煤煙。道路をひしめく車の土埃。人々でごった返す街。工事や建物の解体作業の騒音。しかし、それでも海は青く、緑は輝き、空は広く、世界は希望に満ちてキラキラと輝いていた。そんな時代に、横浜にあったある高校で、明治に建てられた由緒ある建物をめぐって小さな紛争が起きていた。古いけれど、歴史と思い出のつまった建物。それを取り壊すべきか、保存すべきか。ある高校生の男女が、そんな事件の中で出会い、心を通わせ、助け合って行く。ふたりが見出した日本の“明るい未来”とは、何だったのか。16歳の海と17歳の俊の愛と友情を横糸に、建物をめぐる紛争を縦糸に、この物語は、まっすぐに生きる高校生たちの群像をさわやかに描いてゆく――。(Amaz〇nより)原作は別にあるようですが、映画版ではストーリーが大幅に改変されています。(原作は読んでないのですが、特にストーリーが破綻しているといったことは無いです。)本作は、恋愛映画として見るも良し、ALWAYS~三丁目の夕日のような郷愁映画として見るも良し。特に斜に構えて見たりしなければ、十分楽しめると思います。「[耳をすませば]とどっちが良い?」と聞かれたら、もちろん[耳をすませば]を選びますが。宮崎駿作品のような「壮大さ」に欠けるんだよな~。でもまあ、これはこれでね。高度経済成長期を迎えつつある日本。現代を知る人間から見れば分かる、産業が急速に発展することによる様々な弊害。次々と古いモノが壊され、新しい何かへと形を変えていく。それでも残したいもの、継いでいくべきものがある。そして、今なお残る、戦争の爪痕。それでも彼らは、上を向いて歩いていく。映画版では「カルチェラタン」という新設定があるんですが、当時の学生は学問に対する熱意がありますよね。志が高いというか、まさに「学究」の徒ですよね。いつから日本はこういう熱意を失ってしまったんだろう。教育課程の問題? 社会の問題?では、本作の演出について細かいとこ幾つか。1.「恋に落ちる」描写についていつの間にか相思相愛になってたような。海の方はあったのですが、俊の方も欲しかったかな。2.嫌いになったのなら言ってとある事実が発覚して、俊は海を遠ざけるようになったのですが、待ち伏せされたら、あっさり降参してたのが少し引っかかりました。3.二人の苦悩を知る第三者の存在「水沼」は二人の事情を知ってても良かったかな。そうすれば、二人の仲を取り持とうとしているようにも見える随所の行為に理由付けが出来ます。4.汽笛エンディングですが、海の旗信号に俊は汽笛で応えてます。これは、海がいる場所から俊の船が見えないという事情が背景にあるんですが。こういう細やかな演出が出来る作り手って本当に凄いと思います。(細やかな演出を語り出したらキリが無いので、ここではこれだけ言及します。)「想いの通じた相手は、実の兄妹でした。」なんて安いストーリーは少女漫画や韓ドラにいくらでも転がってると思いますが、そこはスタジオジブリ。それだけに留まらない物を仕上げてきますね。