親子の会話が平和活動になるなんて | 主義主張して愛される「1」の秘密

主義主張して愛される「1」の秘密

「すべての問題が一掃されたすっきり晴れやかな心から、世界の75億人が燃え上がる夢やストーリーを発見する」
これまで、何が問題でそれができなかったのか。
現実と真実とは、何なのか。




晩ご飯を食べながら
小学3年生になった娘がぽつり

「今日ショックなことがあった」

何事かと思いきや

「先生に、とび箱うまくなったね
って言われたのが嫌だった」と


はて

それのどこが嫌なの??
喜ぶとこじゃないの??
と思いながら


私「何がどんな風に嫌だったのかな?」
と尋ねたところ


娘「他の誰も言われてないのに
自分だけがそう言われた」


ふむふむ


私「そっか、自分だけが言われた
ということが嫌だったってこと?
どんなことを思ったの?」


娘「なんか周りと比べられてる気がした」


私「なるほどねぇ。
比べられたことが嫌だったのね。
ママも人と比べられるのは嫌だな」

私「うまくなったねって
先生は褒めてくれたんじゃないかなと
ママは思ったんだけど、どう思う?」

と尋ねると少し考え込んで

娘「縄跳びの時はそんなことなかったかも」


どうやら
縄跳びも「うまくなったね」と
言ってもらったけれど

その時は
嫌な気分がしなかったそうで


娘「縄跳びは苦手だから一生懸命練習したし」


私「がんばったよねぇ、
ママもその努力は知ってる」

私「とび箱は?」


娘「めっちゃ自信ある、得意」

娘「もともとうまく跳べてたのに
うまくなったって言われたら
それまでが下手だったみたいじゃん」


私「それじゃない?」

娘「あー、これが嫌だと思った理由か
なんかスッキリしたー」


このやり取りをして
わたしもスッキリしました指差し


「うまくなったね」の言葉に

苦手な縄跳びの時は努力が認められた

ように感じて


得意なとび箱の時は
自信を持っていたことを否定された

ように感じた

ということがわかりました。



同じ言葉でも
条件状況によって
受け取り方が全く変わる


先生の
「うまくなったね」は

もしかしたら
「(もともとうまかったけど
前よりもっと)うまくなったね」

だったかもしれないし


もしかしたら
みんなに対して言ってたことを

自分だけが言われてると
娘が勘違いしてるかもしれないけど

こんな風に
もしかしたらを言い出すと
キリがないし全て妄想に過ぎないのでw


自分自身でフォーカスするのは

その場面で
自分がどう感じて
どんな考えがでたのか


まずは
この観察をすることで

自分自身の思い方のクセや
考え方のクセがわかります。

さらに
そのクセがつくられた背景までわかると
もっともっとスッキリします。


と言ってるわたしは
コミュニケーションが
億劫になるクセがあるので

こんな細かいこと
いちいち面倒だなと
↑↑↑
この考えが出るのも
わたしのパターンなんです指差し

でも本心では分かり合いたい
繋がりたーーいと思っていることに
観察を重ねることで気づきました。


先生と娘の一見
何の問題も無さそうに思えるやり取り


こんな風なすれ違いが
あらゆるところで起こっているという事実

コミュニケーションは
常にズレているという事実

お互いに
取りたいように取っているという事実


だから
意図せず自動的に
ショック受けて傷ついて
鬱になったり自殺したり

挙げ句の果てに
戦争まで起きているという事実



急に話が大きくなったように
感じるかもしれませんが

日常目の前で起こる些細なことと
遠い国で起きている大きな事件は
同じ仕組みで起きていることがわかると

わたしたちひとりひとりが
自分自身を癒すことで
国が癒され地球が癒され
宇宙全体が癒されるんだなって


自分の内側を観察する

これはもはや
誰もが実践可能な平和活動です目がハート


はじめの一歩
簡単にできることから
みんなで一緒に取り組める
場づくりをしていこうと思います。


今日もありがとうございます飛び出すハート
笑子(えみこ)



まじかるクラウン21世紀の悟り人

令和哲学者NohJesuが贈る

日本に今1番必要な心の在り方飛び出すハート