No.016:
Pink Floyd
『The Piper At The Gates Of Dawn』
PINK FLOYD -THE PIPER AT THE GATES OF DAWN FULL ALBUM
ピンク・フロイドは、狂気、或いは深淵のようなものと深く関わり続けたバンドであると言うことができるだろう。
そして言うまでも無く、その狂気や深淵という言葉は、シド・バレットという存在とニアリーイコールで結ばれる。
感性という面で恐らく余人よりも一歩抜きん出ていたのであろう「天才」の影響から、如何に脱して別のオリジナリティを確立してゆくか、というのがピンク・フロイドの軌跡であり、それを完遂したのが『炎』(脱退から7年後のこの作品で、シド・バレットはようやく過去のものとして惜しまれる存在となった)であったとすれば、如何に労力と時間を要する作業であったかがうかがえる。
それは詰まるところ、狂気と言う深淵を客体化し遠ざけてゆく道程であったとも言える。そしてそれが最も主観的に描かれたのが、『夜明けの口笛吹き』という作品においてであった。
だがそこにおいて、果たしてシド・バレット自身の「天才」が、或いは内なる「狂気」が、どの程度を占めるものであるのか。或いは彼自身の、もしくは他のメンバーの理性的な企みによる部分は如何か。
……という問いに対して、僕は有効な答えを持たない。
Pink Floyd - Astronomy Domine
例えば、『天の支配』や『ルーシファー・サム』といった曲で、イントロと歌メロでテンポが同じであるのにもかかわらず、まるで変わってしまったかのように聴こえるそのリズムパターンの変化は、果たして意図してのものであるのか否か、意図したのであるとすればどの程度までその効果を計算していたのか、ということについてである。
例えば同時期の『シー・セッド・シー・セッド』や『グッド・モーニング・グッド・モーニング』と言った曲で、変拍子を心地よく聴かせるジョン・レノンと似た種類の才能の表れなのか否かを、応える術を僕は持たない。
" target="_blank">Pink Floyd - Interstellar Overdrive [HQ]
或いは、代表曲の一つである長尺インスト『星空のドライヴ』の強烈なパンニングのラストを境に、曲調も歌詞も一気に箍が外れてゆくというアルバムの構成に、シド・バレットがどの程度まで関与していたのか、ということについてである。
『フレイミング』までの曲には、歌詞にこそ妄想や幻覚、退行といったものが覗えるにせよ、フォーマットとしてはポップ・ソングのそれであったのが、『地の精』以降は殆ど童謡のような曲調と化している。
そして歌詞はその曲調に応じたもの、と見るや『24章』において突如哲学書めいたものになる一方、『黒と緑のかかし』ではやや内省に転じる辺り、「分裂」という言葉が脳裏を過ぎらなくもない。
そして、『バイク』。
Pink Floyd - Bike
この曲ほど、聴いていて不安を感じる曲を僕は知らない。勿論エンディングのサウンド・エフェクトによる所は大きいが、そもそも曲調や歌唱からして何か「来る」ものがある。
そう思えるのは、シド・バレットが送った人生を多少なりとも知っているからなのかもしれないが。少なくとも、クイーンの『バイシクル・レース』のような楽しさは、ここには無い。
『天の支配』から『バイク』までを通して聴くと、1人の人間の精神が病的に崩壊していく過程のドキュメンタリーを見ているような気分になる。あの有名な、統合失調症の画家が描いた猫の絵のような。
実際には恐らくそうではない。そして、どの程度「そう感じられる」ように並べたのか、は、わからない。
だから僕は否応無く想像してしまう。胸に迫る想像。
Pink Floyd - Lucifer Sam
『夜明けの口笛吹き』を聴いても、恐らく「深淵」に魅入られるという事はない。もしそうなったとすれば、それは聴き手の側の素養の問題だ。
恐らくはシド・バレットを失った、のではなく、引き剥がして進まざるを得なかったことによって、ピンク・フロイドは巨大化し強大化し、70年代を代表するバンドとなり得たのだろう。
正直に言えば僕が真に好きなのはその過程、『原子心母』から『炎』辺りまでの、1人の不在の人物を引き摺った音を鳴らすピンク・フロイドである。「天才」ならざる4人が、その感覚に少しでも近づこうと試みる果敢さが、例えば『エコーズ』のような曲にはあると思う。
そして恐らくそうであるが故に、その不在の人物の在り様を時に確認したくなって、僕は『夜明けの口笛吹き』に手を伸ばすのである。