最近こういう動画を見ることがほぼ日課になっている。
僕がモータースポーツを見始めたきっかけは、テレビの衝撃映像系の番組で見たクラッシュ映像集からだった。
『カメラが捕らえた決定的瞬間』『ザ・ショックス』なんていう番組名は、ある世代以上の人間にとっては少なからぬトラウマと共に記憶に刻まれているのではないかと思うが、僕はそれらに小学生の頃に病みつきになった。
当時のゆるゆるの放送コードならではの、今では放送できない人が死ぬ生々しい場面や、ちょっとしたお色気シーンなどと並んで、モータースポーツのクラッシュ映像は間違いなく一つの目玉だった。
そこからさらに派生して『グッバイ・ヒーロー』や『ウイニングラン』といった、クラッシュ映像を主体として作られた映画(!)にも小学生の内に手を出していた。それらの作品にもやはり、人が死ぬ生々しい場面と、ちょっとしたお色気シーンが並んでいた。
エロスとタナトス、なんてのを意識するのは物凄く後になってからだが、ある程度刺激に対して早熟だった僕はそれらを自然と受け入れていたということになるのかも知れない。
とにかくそういったところから入った(入ってしまった)がために、僕がモータースポーツを見る目はどうしてもスポーツを見るときのそれというよりは、モンド映画を見るときのそれに近くなってしまったのだが、そういう視点はしかしごくありふれたものであるように思う。
目の前で誰かが死ぬかもしれないショー、としてのモータースポーツを考える時に、様々なレギュレーションとテクノロジーによって徹底的に管理された現在の姿が魅力に欠ける物であることは間違いない。
自然と、視線は過去へ向かう。
F1におけるターボチャージャー+グランドエフェクトカーと、ラリーにおけるグループBは、過剰なテクノロジーが生み出した徒花として、また死に接近したカテゴリーとしては両巨頭であると思う。
この場合実際に犠牲となった数は問題ではなく、そのコンセプト自体の過剰な非人道性によって、である。
そしてそれらのマシンが(例えばフェラーリ126C2やランチアデルタS4が)殺人的であればあるほど、そこにあるのはどうしようもない程の異形の美しさである。
エロスとタナトス。
ところでもうお判りかとも思うが、ある程度刺激に対して早熟であった僕は、その後紆余曲折を経て、今ではむしろ直截的な刺激からむしろ遠ざかるようになってしまった。
恐らく小学生の頃の僕なら、例えば崖下で大破したマシンが炎上して搭乗者が消し炭になってしまうような場面をこそ見たいと思っていたに違いないのだ。