6月18日お星様になったヤマちゃん。

8月5日は四十九日で、仏教では来世の行先が決まる日でもあります。記憶を思い起こしながら...愛するヤマちゃんへのお手紙です。

 

6月17日は昼間に不動産屋に行って家に戻ると、朝ご飯を枕元にすべて吐いていました。吐くことには慣れていたので汚れたタオルを片付けて身の回りを新しく整えると、少し眠ったヤマちゃん。


夕方に通院して褥瘡の経過を先生に診てもらったら、思ったよりも良くなってて先生と喜びました。ヤマちゃん、これが私にくれた最後のプレゼントでしたね。いくつもの奇跡をありがとう。



帰宅して褥瘡に消毒ゲルを塗って、ガーゼを貼って。夕飯食べるかなと思って色々試すもイヤみたいで、気が付けば普段は寝たり起きたりなのに、この日は通院の前からずっと起きていました。


目を開けてじっとしてるその表情が、うまく言えないけど悟りを開いたような凛としたもので、見たことない表情に胸がザワついた。時たまのけ反るようにして鳴けば苦しそうで...この日は病院でも首を持ち上げたりして先生とあやしてたっけな。


ヤマの変わった様子に私は眠れず。夜も見てると日付が変わった18日1時半。いきなり体に残る水分を全て吐き出すかのように嘔吐。褐色のほぼ水みたいなもので、「食べてないのにこれは一体...この色は...」と私は焦りと恐怖心で手元が震えたことを覚えてます。


嘔吐後。心配で眠れず...

 

喉に詰まったら誤嚥しちゃう!と急いで支えながら座らせるも、またしばらくするとえずいて。2回かな3回かな、段々何も出なくなって...


そうこうしてると抱き上げたヤマがぐにゃぐにゃと脱力し、愛くるしかった瞳は光を失っていて。私はコジがサヨナラする時にも見たからこの「瞳」の意味を知っている。初めて「もう、だめだ。もう、もたない」とはっきりと分かった。

 

ひとまず苦しくない体制にしてあげてヤマを優しく胸に抱いた。命が消えてしまう前に伝えなきゃいけないことがあった。

 

いっぱい頑張らせちゃってごめんね。ここまで本当によく頑張ったね。偉かったね。すごいよヤマちゃん。大好きだよありがとう。耳が遠くなったヤマにも届くよう呼びかけ続けた。

 

ねぇヤマちゃん、あの時ちゃんと伝わってたかな。

 

頭が真っ白で、自分一人で、ヤマの生死も分からない。咄嗟に胸に手をあて心臓の動きを探る。ちゃんとトクトク動いていた。

 

止まっても私の呼びかけに反応して鼓動が復活するという不思議な体験をすること数分。もうヤマを逝かせてあげようと思った2時36分、それはゆっくりゆっくり止まりました。

 

何度かヤマの最期を想像したことがあったけど、こんなにも慌ただしく見送ることになるなんて思ってもいなかった。先生がハイシニアはいつ何が起こるか分からないって言ってたけど言う通りだった。

 

おじさんが夜中に色々連絡くれて。本来は温かいタオルで清めるのに、保冷安置を考えた末に冷たいタオルを使ってしまって。


ヤマちゃん寒がりなのにごめんねと申し訳なくなり、タオルは冷たいのにヤマの体はまだ温かいしで頭がぐちゃぐちゃになり号泣。飼い主が泣いてるのにコウタは隣の部屋から一切来ない。ひとりでブラッシングして、手足周りも綺麗にカットすると、まるで若返ったかのようにいい男になったヤマ。

 

この8ヶ月、何度も奇跡をみせてくれてありがとう。奇跡は信じる者だけに訪れるっていうけど、証明してくれたね。立派な子で心から誇りに思います。


お父さんの「エル」、お母さんの「モカ」、お姉ちゃんの「ユメ」、相棒の兄ちゃん「コジロー」に、17年10ヵ月生き切った犬生をめいいっぱい自慢してほしいな。

 

ヤマちゃんとは本当に色んな場所へと出かけました。バスや電車はもちろん、ロープウェイやリフトも乗ったよね。初めての場所でも物怖じすることがなく人やワンコにも優しくて、怒ることなんて17年10ヵ月でもほとんど記憶にないくらいのよくできた子。お母さんが君のこと「特別な子」っていうけどまさにその通りでした。

 

いつも気持ちが通じ合ってたからさ、認知症になってからは意思疎通が図れず悔しくて苦しかった。コウタが来てからは刺激的な毎日で呆ける暇なんてなかったと思うんだけど、それは本当に少しずつ少しずつ進行し...ヤマの要求を理解してあげれないジレンマが一番辛かったのと同時に、赤ちゃんみたいになっていく過程は何ものにも代え難いほど愛らしかった。


心から介護が辛いと思った時にはあたってしまったこともあったよね。それは私が唯一後悔していることなので、いつか迎えるコウタの介護で罪滅ぼしをしようと思う。

 

介護も後半になってくると夜中に何度起こされようとも全然イライラしなくなりました。ある知人に「介護はいつか終わりがきます、それもそう遠くはない未来に。だから今を大切に」と教えられたからかもしれません。


ヤマとの意思疎通ができなくてもいい、ヤマと一緒にいられる今に感謝しようと思えるようになり、ようやく一心同体になったなとさえ思いました。私に介護期という恩返しをする時間を与えてくれてありがとう。

 

車椅子やカート生活になってからは、知らない人が沢山声をかけてくれたよね。ヤマの一生懸命な姿に多くの人が足を止め、褒め称えてくれました。きっと「明日から頑張ろう」と元気をもらった人も多かったんじゃないかなと思います。



ヤマちゃん。ずっと家にいてほしいけど、虹の橋で待たなくてもいいし、好きなところへ自由に羽ばたきなさい。その次に続くステージでも素敵なワンコや人と出会い幸せになってほしいと心から願っています。

 

想い合えばいつかきっと巡り会えるから。そしたらもう二度と離れることはないからずっと一緒だね。

 

17年10ヶ月たくさんの幸せをありがとう。


家族になってくれてありがとう。

 

大好きなヤマちゃん。

 

行ってらっしゃい。



お母さんより