赤目に思う |  SHOKEI 'S TIMES

赤目に思う

 

朝、気がかりな夢から目覚めて(カフカ「変身」) 鏡を見たら知らない

爺さんが映っている・・・・。一瞬、ホントにそう思った。

勿論、映っているのは私自身なのだが、なんだか別人に見えた。

 

左目が真っ赤で白目が殆どなく瞼が少し腫れて垂れていた。

ちょっとモジリアーニの描く人物画の目みたいに片目が・・・。

 

       モジリアーニ ベレー帽の少女(部分)より

 

 

医者に行くと「普通なら3~4日で治るが、かなり広範囲に濃く赤い

ので全治には一月ぐらい かかるかも~」と言われた。

原因は不明だが、視覚には異常はないとも言われたので 先ずは

一安心した。少し重いような痛みを感じるが 気のせいかもしれない。

 

しかし不思議に思えたのは、医者から帰って見た鏡の中の自分の顔は 

いつもとあまり変わっていない。

家人も知人もあまり この変化に気がつかないようだ。

 

 

 

再び いつもの顔に見えてきたというのは 脳が イメージを被せて

見ている「いつもの目」に戻ったからだと思う。

「見える」というのは目が見るというよりも脳で見ているから

変わったところがなければ、単純な記号のようにしか受け取らず、

それ以上に見ようとはしない。風景を見る場合も季節の変わり目

や光や風雨の「変化」によって ホントが見えてくることが多い。

 

今回は 片目が赤くなっただけの小さな異変で いつもの イメージが

払拭されたのが面白いと思った。

つまり 時に 自分とは違う人の目になって見なければならない。

朝、 垣間見た奇妙な老人像が、本当の私自身なのだろう。

 

録音した自分の声を聞くと 妙な変な声に聞こえる・・・。

これと同様に 他人が見ている私の顔は 私が見ている(思っている)

顔とは 少し違うのだろう。

 

カルチャーで受講生の皆さんに 自画像を描いてもらうと、

私を含めての事だが、5~10年ぐらいは 若く描く人が多い。

普段、誰でも目はイメージを通して見ているから自分の若い時の記憶

や気に入った表情を「自分の顔」としてを見ている・・・。

 

その人の目に見えたものは その人にとって事実なので 客観的な写真

とは違う面白さが絵には表されるのだと思う。

神様もお化けもUFOも 見えた人にとっては事実なので 他者が否定

するものではない。(私は無神論者だし、お化けは怖いので見たくない。UFOは見たw)

 

ロダンの名言に「嘘をついているのは写真の方です。」というのが

あるが頷ける。カメラのように時間を止めて見ることはできないし、

人間は心(脳など)を通して その人にとっての事実を見ている。

 

絵は 垣間見えた真実を元にして その上に素直に感じたものを再構築

していく。

別の人の目になり 自分が奇妙な老人の顔に見えたら、それを了解して 

その上に自分の目やいつもの想いを乗せて煮詰めていく・・・・。 

そして絵としての「表現」に向かうのが楽しいと思う。