気配とコンステレーション |  SHOKEI 'S TIMES

気配とコンステレーション

 

前回のブログにいただいたコメントの中に「ケハイ(気配」)」という

言葉が出て来て昨年、読んだ本を思い出した。

心理学者の河合隼雄氏によるコンステレーションに関する本で、 

とても面白い思った。(『こころの最終講義』新潮文庫)

                              

                       

 

コンステレーションとは心理学用語だが「星座」という意味だそうだ。

「星座」というものは 個々の星そのものからの意味ではなくて、

観測者が星と星を勝手に関連付けて名付け、そう呼んでいるにすぎ

ない。このような本来バラバラのものを組み合わせて意味付ける事だ

という。

 

 

これは絵の観賞方法や描き方と 共通すると思った。

 

例えば抽象的な作品を鑑賞する際、何が描かれているのかわからない

ので 画面全体から意味や作者の意図を推測する。

細かく分析的に見るとますますわからなくなってしまうが、ボンヤリ

見ていると何か伝わってきたりする。

それに作者の意図とは関係なく、 鑑賞者は画面の中に置かれた色や

線や形を自由に組み合わせて解釈してよいと思う 。

 

作者の意図は 作者にとって必要なだけだ。

絵の面白さは伝達するものとは ちょっと異なると思っている。

 

 

抽象画を描く時も同様なことが言える。

個々の意味を省いて描く事で 部分から描く事を拒み、 画面全体で

一つの事を言い表したいと思う。

 

描いている者にとって何気なく置いた色や消し忘れた色が画面上で

ふと見ると 響き合っていたりするのを発見する事がある。

画面で偶然に置かれた色や形から触発され、次の展開を気配として

感じながら描き進むのも 絵の楽しみの一つでもあると思う。

 

ただ この気配は常に気付くものではないとも河合隼雄は言っている。

見ようとして拘っている時には見えてこない。

悟ろうと焦る僧侶は悟れないように。

 

意味は少し異なるが、具象画を描く時にも目の前の対象物たちは、

私とは無関係に別々に存在しているだけたのだが、描かれた画面の

中では独自な関係が作られ「新しい意味」が生まれてくることになる。

 

 

詩人・演劇家のアントナン・アルトーは、絵画とは「自然を再び一つ

に寄せ集め、血をかよわせ発汗させること。」といっているし、

現象学者メルロ・ポンティは「人が見えないと信じている世界に筋肉

を与えること。」等とカッコ良く言い放っているが、言いたいのは  

同じような事だと思う。

 

「血をかよわせ発汗させること」は作者の勝手な思い込みからだろう。

 

 

 

関連のないと思われる言葉と言葉がぶつかって詩が生まれたり、

トンビとトンビが交わってタカが生まれたりするような事は 

ちょっと考えてみると身近に多々あることだ。

 

 

日常生活に於いては「原因があっての結論だ」というように筋道を

立てて考えてしまう事が多いが、ふと気を緩めて 全体からの「気配」

を感じながらユッタリと過ごしていきたいと思う・・・・が難しい。

 

 

 

枕元に積み上げた読みかけの本の数々・・・・

夢の中でコンスタレーションして良い明日を迎えたい。