私と絵と音楽と |  SHOKEI 'S TIMES

私と絵と音楽と

絵を描く時に 音楽からインスパイアされることはあるが、


音楽を絵にしようとは思わない。


 


しかし以前に汲美画廊の「音楽を描く」という企画展に誘われて


参加したことがある。その時は好きなプーランクの「パストラル」


という小品を黄色〜黄緑で描いた覚えがあるが、曲想を表そうと


して失敗してしまった。


音楽の挿し絵になってはつまらない。


 


音楽は音楽として 一つの完成された世界なのであって、わざわざ


説明的に絵にする必要はない。それでも描こうとするならば 音楽


は描き始める為の一要因ぐらいに止め、思い切り自分の世界にして


しまえば問題ないのだと思う。


 


昔の画家の岡鹿之助などは音楽が大好きだが制作中は聞かず、


描き終わってから自分への御褒美として聴くと決めていたそうだ。


しかし私は そんな「おあずけ」方法は嫌だ。 我慢は嫌いなので、


絵を描く時は いつも音楽に浸るように聞きながら描いている。


 


気に入った一つの曲を何回も繰り返して聴いてしまう。


演奏家にも拘る。


 


「音楽は好きだが 制作中に音楽は邪魔だ」という友人も多いが、


それは それほど音楽のことを好きではないのだろう。


私は集中する為にも必要なのであって、制作中は寄り添っていて


くれて、集中すれば まったく気にならない。


 


 


音楽は面白いもので 物の見方、感じ方にも影響してくる。


散歩に出る時に イヤホンで音楽を聴いていると景色は違って見えてくる。


TV映像のBGMのように心を昂らす効果があるのだろう。


だからパチンコ屋の軍艦マーチではないが、制作中の音楽は 私には


かなり重要だと思っている。音楽が聴きたくて画室に向かう事も多い。


 


2年前、水彩人展に出品した作品の制作中は、メンデルスゾーンの


弦楽四重奏曲第3番をイザイSQ.で繰り返し聴いていた。


 


          風に動く/松波照慶


 


冒頭から沸き上がる喜びのような曲だ。しかし、繊細で女性的なイザイ


弦楽四重奏団でないとシックリこなかった。


 


レオナルド・ダ・ヴィンチがモナリザを描く時、隣室から音楽を奏して


もらったと言う話は有名だが、それはモデルが退屈しないようにするだけ


ではなく、ダ・ヴィンチ自身にも必要だったのだろうと思う。


 


セザンヌがワーグナーを好んだそうだが 「大水浴図」などを見ていると 


その大きな空間創造には通じるモノを感じる。また小さな作品でも


「タンホイザー序曲」という題名の油彩も描いている。


 


日本画家の村上華岳も音楽が大好きで拘っている。


絵を観賞する時にも音楽を聞くそうだ。音楽を聞きながら絵を見ていて、


音楽と絵が しっくりと合うような絵が いい絵なのだそうだ。


この説は 半信半疑だが自信をもって言い放っているのが華岳らしくて


面白いと思う。


 


 


今年の春、私は人間味あるフランク・モーガンに浸っていたが 、


その反動か最近は洗練されたポール・デスモンドばかり聴いている。


それもジム・ホールとの絡みがたまらない。


 


 


二人の息の合った演奏はホント素晴らしいと思うが、興味のない方には 


ただのキレイな音にすぎないだろう。


 


絵でも音楽でもキレイは二次的、二義的なものだと思っている。


追うべきものではなく結果的なものなのだとも考えている。


 


そのポール・デスモンドは52才で亡くなった。


若い頃から完成されと技術を身に付けている奏者なのでもっと


長生きしていると思っていた・・・。


 


ビル・エバンスは51才で亡くなったし、


コルトレーンは40才で他界した。


皆、早く亡くなっているが、 若いうちから


自分を見定めて深い仕事を残している。


 


2ヶ月前に 68才になった私は・・というと


それらを聴きながら 自分も見つからず、

 dull  dullしてばかり。