追悼 安倍晋三先生 | 衆議院議員 吉田真次のブログ

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7月8日、奈良県で参議院選挙の応援演説中に、安倍晋三元内閣総理大臣が凶弾に倒れ、帰らぬ人となってしまいました。

 

まずは心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

その日は昼前に市立大学で協議をしていました。

 

スマートフォンに「安倍晋三元首相が銃撃され心肺停止」とのニュースが入り、それを見た瞬間、全身の血の気が引きました。

 

市役所に戻った後に、会派の議員数名で下関の安倍事務所に向かいました。

 

事務所には後援会の役員も数名集まっておられましたが、テレビやネットでしか情報を得ることができない中、安倍先生の無事をみんなで祈る時間が続きました。

 

私自身、何が起こっているのかわからない、信じられないという気持ち、とにかく一命を取りとめて頂きたいと祈る気持ち、犯人や事件そのものに対する憤りなど、いろんな感情によって涙が溢れました。

 

18時過ぎだったと記憶していますが、テレビから安倍先生の死亡が確認されたというニュースが流れました。

 

言葉にできない、心の底からの無念さ、悲しさ、憤り、大きな喪失感。

 

帰宅後にテレビをつけると、ほぼ全てのテレビがこの事件を取り上げていていました。

 

翌朝の新聞についても同様に。

 

しかしながら、未だに信じることができませんでした。

 

ここ数日間も、今このブログを書いている最中も、安倍先生を思い出すと、涙がこみ上げてきます。

 

安倍先生を追悼するブログであるので、批判めいたことは書きたくありませんが、どうしても。

 

これまで「総理だから、政治家だから、公人だから何を言ってもいい、責められるのは当然だ」という姿勢を取り続け、事実に基づかない思い込みや願望による批判を繰り返してきたメディア、それに乗せられて他者を攻撃し、そのことによってのみしか自己満足感を得ることができない一部の人たちが行った多くの誹謗中傷も、この度の事件が起こった原因の一つであり、そういう人たちにも責任の一端があるのではないかと思ってしまいます。

 

また、令和元年7月の参議院選挙で、札幌市内で街頭演説を行っていた安倍元総理にヤジを飛ばした聴衆を、警察官がその場から移動させたことは表現の自由の侵害であると、警察に賠償を命じた札幌地裁の判決が今年の3月に出されました。

 

これによって、警察官に街頭演説の聴衆への対応の戸惑いを感じさせ、それがこの度の事件においても警備に与える影響が大きかったというのは事実だと思います。

 

思うところはまだまだありますが、多くは語りません。

 

しかし、この度の事件で改めてメディアの在り方、ネット社会の問題点について、多くの国民が真剣に考えていく必要があります。

 

今になって何を言っても安倍先生は帰ってきません。

 

私たちは、日本だけでなく世界にとっても最も大切な政治家を失ってしまいました。

 

返す返すも無念であり、悔しくて、悲しくてたまりません。

 

下関の安倍事務所では、7月9日から事務所に献花台と記帳所を設けました。

 

私は7月10日の日曜日は朝から夕方まで、献花に来られる方の対応のお手伝いをしていました。

 

昨日も議会が終わって昼から19時過ぎまで、お手伝いに行きました。

 

大変多くの方々が全国各地から訪れて下さっています。

 

献花台の前で涙を流しながら安倍先生とのお別れをする方もたくさんおられました。

本当に安倍先生のお人柄なんだろうなと思います。

 

バイデン大統領やエリザベス女王をはじめとする世界各国の首脳も弔意を示し、ウォールストリートジャーナルやTIME誌でもその功績が紹介され、インドやブラジルは国全体で喪に服し、台湾では台北101に「安倍元総理は永遠の友人」とのメッセージが示されました。

 

295の国や地域、機関から1700件以上の弔意を示すメッセージが送られ、昨日のご葬儀にも国内国外を問わず非常に多くの方が弔問に来られたそうです。

 

これほどまで世界から尊敬された日本の政治家を私は知りません。

 

内政、外政を問わず、安倍先生のご功績はここで語るまでもありませんが、私は平成27年に集団的自衛権の一部行使を可能にした平和安全法制の整備が、その大きな功績の一つではないかと思っています。

 

当時は「戦争が起こる」「徴兵制反対」などありもしないデマによって世論を扇動し、メディアも含めて大騒ぎした人たちもいました。

 

その時の下関市議会定例会の最終日で、平和安全法制の速やかな確立に関する決議案を上程し、自民党系会派と公明党市議団を代表して、賛成討論を行いました。

 

討論の中で「我が国の安全保障環境上の重要な局面ではいつも、特定政党やメディアが、戦争が起こる、戦争に巻き込まれるなどと主張しているが、それらが全く的外れであったということは今日の歴史が証明しています」とも申し上げました。

 

全会一致とはなりませんでしたが、当時、安倍総理の地元である下関市議会が平和安全法制の整備を望む決議を行ったということは大きなニュースになりました。

 

もちろん、メディアやネットでの取り上げられ方は批判的なものばかりでしたが。

 

実は、のちに安倍先生にこの決議案についての経緯をお話ししたところ「いいね。そういう当たり前の認識を広めていかないといけないよね」とおっしゃって下さいました。

 

上記の件以外にも、安倍先生とのエピソードをいくつか紹介したいと思います。

 

私が議員になりたての頃、下関市の中学校の歴史教科書採択の時の話。

 

本市では以前から、自虐史観に基づいた記述の多い、自国に誇りの持てない教科書を使っていました。

 

教科書を採択する流れは、各教科ごとに選ばれた現場の教員が、候補となる教科書を読み込み、それらの特徴や意見をまとめたものをもとに、最終的に教育委員会で決めるというもの。

 

それと同時に、市民に対しても教科書の見本を展示し、どの教科書がふさわしいかという意見をもらう機会も設けます。

 

その当時、安倍先生は下関に帰ってこられた際に教科書展示場に行き、教科書の見本を確認して「こういう理由でこの教科書が良いと思う」と意見を書いて箱に入れられました。

 

肩書などを一切書かずにご自身の名前のみを書いて、下関市民として考えを表明されました。

 

私も教科書が採択される過程や教科書の内容そのものについても疑問を抱いていたので、教科書に詳しい方々の話を聞いたり、歴史教育の在り方についての勉強会に参加したり、市議会の一般質問で取り上げたりしました。

 

当時は結果的に安倍先生が「これが良いと思う」と言われた教科書が採択されることはありませんでしたが、私が教科書問題についていろいろと勉強をしているということをご存じであったため、地域の方々と一緒に上京して安倍先生にお会いした際に「下関の教科書も教育も、吉田さんのおかげでこれからどんどんよくなっていきますよ」と皆さんの前で言って下さいました。

 

現在、下関市の中学校の歴史教科書は、自虐史観に基づいたものではなく、子供たちが自国に誇りを持てる内容の教科書となっています。

 

私が妻と初めて会ったのは、安倍晋三後援会青年部「同志会」の豊北支部で懇親会を行った時でした。

 

体調を崩して一次政権を辞任して以来、健康も回復してきた安倍先生は、積極的に地元で会合を行い、若い人たちとも意見交換をしたいということで、平成23年の夏に安倍先生と同志会豊北支部のメンバーで上記の懇親会を開催しました。

 

支部の会員だけでなく、それぞれが友人も連れてきて盛大にやろうということで、そこに来ていたのが妻でした。

 

まさに、安倍先生のおかげで出会うことができました。


これが8月。

 

その1ヶ月後の9月、安倍先生は自民党の総裁選に立候補して勝利され、長い自民党の歴史の中で初めて、一度辞任した総裁が再び返り咲き、第25代の自民党総裁になられました。

 

私たちは平成28年の7月2日に結婚式を行いました。

 

ちょうど6年前の参議院選挙の真っ最中、総理総裁として選挙応援で多忙を極めておられたので、昭恵夫人にご出席いただき、安倍先生はビデオメッセージを送って下さいました。

 

「安倍家の家庭円満の秘訣をお伝えします。家庭の幸福は妻への降伏です!今日は妻の昭恵がそちらに出席しているので、あまり言うと怒られますが」という安倍先生のユーモアたっぷりのお言葉に会場の皆さんも大いに笑っておられました。

 

また、長女が生まれた際には、直筆の書を送って下さいました。

長女は家に貼ってあるポスターを見て「あべそーり」「あべせんせー」と練習していましたが、実際に会うと緊張してなかなか言えませんでした。

 

それから娘も成長して4歳となり、今年の2月に安倍先生が地元に帰って来られた時には「安倍せんせい!」と言って嬉しそうに駆け寄っていき、写真も撮ってもらいました。

 

次女はせっかく2ショットで写真を撮ってもらえるチャンスに、なかなか私が構えているカメラの方を向きませんでした。

 

安倍先生が「ほら、お父さんあっちだよ」と次女に声をかけて下さっている瞬間。

このあと、ちゃんと正面を見て写真が撮れました。

 

昨年の衆議院選挙の前に、地元のあいさつ回りに随行させて頂いた際に、金融政策や財政政策について考えを申し上げると「その認識は正しいよ」と言って経済についてお話して下さったり、教育や外交についても様々なお話を聞かせて頂きました。

 

実際に安倍先生にお会いした人も、そうでない人も、それぞれにいろいろな思い出があることでしょう。

 

確固たる信念を持ち、皇室を守り、日本の誇りのために行動され、世界の首脳からも頼りにされる偉大な政治家でありながら、気さくで優しく、笑顔が素敵。

 

我が国のリーダーとしての華やかさもありながら、地元では田舎の農家や漁師の方にも一人ずつ頭を下げて握手もされる。

 

どん底だった日本経済を立て直し、国際社会における日本のプレゼンスを高め、日本を取り戻すために全身全霊で取り組んでこられた、本当に心の底から尊敬できる最高の政治家です。

 

投票用紙に「安倍晋三」と書いて、お支えできたのは私たちの誇り。

 

拉致問題の解決、憲法改正など、志半ばでお亡くなりになったことはご本人がいちばん悔やんでおられると思います。

 

私たちはその思いにしっかりとお応えしていかなければなりません。

 

安倍晋三先生、本当にありがとうございました。

 

改めて、心からご冥福をお祈り申し上げます。

吉田真次