思い返すと…
私の人生は、他人に決めてもらう人生だったんだなぁ。
正確に言うと
「自分の思考を停止して、他人に決めてもらうことを選んだ人生」
だったと思う。
小学校中学年の頃にはすでに
ボスキャラ女子の言いなりだったから
「あの子」に対して大した感情がなくても
ボスキャラ女子が無視と決めれば、それに従った。
“私が”それを選択した。
同時に、あーいうタイプが嫌われるんだな、と学び、自分が同じ轍を踏まないように細心の注意を払う。
先生が機嫌が悪くて
帰りの会の後、全員居残りで1時間説教されて
土曜日で給食なくて腹が減ってるけど
ただ俯いて、その時間をやり過ごす。
親からガミガミ言われる時も同様。
思考を停止して、嵐をやり過ごす。
波風を立てて、長引かせないために。
親の言うことを真に受ける。
身近な大人をサンプルとして
男とは、女とは、大人とは、
世の中とは、人生とは、仕事とは
何かを学ぶ。
私の基準は「自分の気持ち」ではなく、「他人が決める」ことだから
自分の選択も、自ずと無難な道に流れる。
あの人がアレを選んだから
この人がこう言ってたから
多数派であれば
常識的であれば
他人に怒られない。
嫌われない。
笑われない。
バカにされない。
ひとりにならない。
そうして選んできた道が
自分をとんでもなく不自由にしていて
自分の気持ちが分からなくなっていく。
多数派
無難
常識的
を「正しい道」と思い込み
それを辿ってさえいれば、失敗しない。
それさえ守れば幸せになれると思っている。
「多数派、無難、常識」教の信者。
で、その信者だった私が
息子を産んですぐ
「もうやだ!無理!!」と思ったのが
病院が勧めてくる「母乳推奨」の育児と
生後1ヶ月のお宮参りでした。
私は高齢だからかなかなか母乳が出ず
さらに息子が飲むのが下手で
入院中、息子はほとんど空腹で泣いてて
私はまだ自宅育児も始まってないのに
息子の泣き声に怯える日々だった。
今から思えば、
「母乳が出ないので、どうすればいいですか?」
って訊くこともできたし
「もう母乳いいっす」
ってさっさとミルクもらえば良かったんだけど
空気読み過ぎて言えず…
焦ってイライラして、ますます母乳を飲みづらくする悪循環。
生後1ヶ月になる頃に
お宮参りって行事があるんだけど
その会場の選定やら予約が辛くて。
慣れない生活リズムで気持ちに余裕がないし
そんなんやる暇があったら寝ていたいし
今であれば
「誰かやっといてー」
「生後1ヶ月にこだわらなくていいか」
「なんならやらなくてもいいか」
って考えられたと思うんだけど
当時はそんな選択肢が思い浮かばず。
何で誰もやってくれないの!?
私が一番大変なの分かるでしょ!?
って思いながら会場を選んで、予約。
頭の中が常に
「やらなきゃいけないこと」でいっぱいで
常にテンパってて
誰かに頼るとか
何かを削るとか
そんな発想も浮かばないくらい余裕がなかった。
思考が停止しちゃってるから
自分で抱え込んで
ただただ目の前のことをこなすことばかり考えて。
自分で考えて判断できないから
他人の話に振り回されて
「アレをしないとまずいことになるよ」
「コレをやったらやばいらしいよ」
なんて情報にいちいち振り回される。
身近な人間に助けを求められないから
ネットの不確実な情報やら
都市伝説的なものにも頼って
訳の分からんものを鵜呑みにして、余計怖がって。
他人の言葉にいちいち過敏に反応して
あんなこと言われた!
こんなひどいことされた!
こんなに頑張ってるのに、否定された!
って思ったりもしたなぁ。
自分で決めてやっていることなら
万が一、他人に何か言われても
堂々としていられるはずだけど
自分の本音じゃない意思でやってるから
やりたくてやってるわけじゃないし
やりたくないことを我慢してやってんのに、他人にあれこれ言われるから余計に腹がたつ。
私、こんなにやってきたのに!
こんなに頑張ってるのに!
うざっ

常識だと思い込んできたこと
私がやらなきゃいけないと思い込んでいること
まだまだあるなぁ〜〜。
疑う余地がありまくってんな〜〜!!
それを見つけて、目からウロコをボロボロ落とすのが楽しいです。