思考停止で
「やらなきゃいけないこと」
に追われて生きてきた私ですが
それをさらに加速させてしまったのが
罪悪感
義務感(と、固定観念)
自責
です。
「罪悪感」はほんとに厄介でした。
出産直前に母を亡くしているので
母のことを強く意識しすぎていた私は
母のように、
「ひとりで頑張ること」を選びました。
母は私を出産する少し前に引っ越してきて
知り合いがまるでいない土地で
6畳と4畳半二間という狭い家で
育児に大して協力的でもない、威張りくさった夫と暮らすことになり
私が夜泣きすると、その声で起きた父が
「うるせえ!なんとかしろ!」
と母に怒鳴って
母はよく私をおぶって、真冬の土手に出て私がい寝るまで歩いていた、と話していた。
それを聞いたのは確か、
小学校の中学年だと思うのだけど
私はその時
「ああ、生まれた直後から母に迷惑かけていたんだなぁ」
と悲しい気持ちになった。
私は子供の頃から喘息とアトピーがあって
それで迷惑をかけていると思っていたし
人付き合いも苦手で
保育園の頃はいじめられっ子で
「自分はお荷物だ」と思っていて。
「ジョジョの奇妙な冒険」第4部で
小林玉美って登場人物のスタンドがあって。
取り付けられた人間の罪悪感が大きくなるごとに、錠前もでかくなっていくんですけど
(錠前がでかくなると重さで動きが鈍くなったり、さらにでかくなると辛すぎて自殺してしまう)
これ、すごくいい表現だな〜〜と思って。
私の夜泣きの話は、私が持っていた
「生まれてきちゃってすいません」
という罪悪感に上乗せするには、ちょうどいいトッピングでした。錠前もでかくなるわ。
で、
母に対する罪悪感は、母の死後が最大で
私の妊娠中の経過があまりよくなかったから
母の闘病中、あまり手伝えなかったことや
母の病気にもっと事前に気付けなかったこと
母に言えなかったこと、出来なかったこと
母に子供を見せられなかったこと
そんな罪悪感から、
「私が頑張らなきゃいけない」
「母に安心してもらわなきゃ」
という思いで、育児が始まりました。
働かざる者食うべからず
努力、根性、泣き言は言わない
自分にも私たちにも厳しい、母の言葉。
思考停止に加え、
罪悪感
義務感(固定観念)
は、かなりやばくて
「母親なんだから、やるべき」と思い込み
「母性」というよく分からん言葉に追い込まれて、自分を犠牲にすることが“正しい”と思い込む。
罪悪感から、義務を課す。
それでいて、
子供を愛せない自分を
子供がウザいと思う自分を
育児を辛く思う自分を
育児に向いてない自分を
家事も育児もまともにできない自分を責めて
毎晩、布団に入ると反省会して
毎日毎日、辛くて。
朝、起きるのが嫌だった。
ああ、また朝が来てしまった。
寝てる間に死にたかった。
毎朝、それ。
母のようには生きられない。
母のようには生きたくない。
母の生き方、考え方、価値観、教え
それを一旦、全部否定して
自分のやりたいようにやろう。
自分が楽しむことを、一番に。
母の一周忌の直後かな。
私はこれから、お母さんのことを忘れると思う。
お母さんの気に入らない生き方をすると思う。
文句はいろいろあるだろうけどさ
私があの世に行ったら聞くわ。
母からの独立宣言をしました。
そして、
母に対する罪悪感と、子供に対する罪悪感を全部捨てて、イチからやり直そうと決めました。
罪悪感は、何も生まない。
子供に対して、苛立つことも、怒鳴ることも
子供をウザいと思うことも
ひとりになりたいと思うことも
あって当たり前。
あって当たり前の感情を、いちいち責めて罪悪感を感じていたらキリがない。
罪悪感から、優しく装ったり
やりたくないのに料理頑張ったり
どこかに連れて行ったり
そういうことをやめた。
そこからいつの間に
子供に対する笑顔が普通に出るようになった。
それまでは、意識しないとできなかったこと。
育児は確かに「義務」かもしれないけど
義務感だけでやると辛い。
「なんとか片付けなきゃいけない仕事」
になっちゃう。
自分が重荷に感じることは
他人に気軽に頼れない。任せられない。
だからさらに「自分でやらなきゃ」のループにはまる。
そしてさらに重荷になる。
私は子供を「重荷」にしたくなかった。
子供がかわいいふり
育児が楽しいふりを、やめたかった。
子供と接するたびに、子供を怖いと感じる自分が嫌だった。
長い!!
つづく!!!