劇場で小宇宙を感じたことはあるか?『聖闘士星矢 The Beginning』 | しばりやトーマスの斜陽産業・続

劇場で小宇宙を感じたことはあるか?『聖闘士星矢 The Beginning』

 車田正美の人気漫画をハリウッドで実写化した『聖闘士星矢 The Beginning』は製作が発表された時点で様々な意見が聞かれた。この手の「日本の漫画をハリウッドで実写化」して成功した作品があまり見受けられないからだ。

『聖闘士星矢』は80年代のジャンプの看板漫画で、86年にスタートしたテレビアニメ版も大反響を呼び、「鎧モノ」というジャンルを生み出した、その後の日本のアニメーション作品に多大な影響を与えた作品だ。

『聖闘士星矢』が独特だったのは戦闘描写だ。聖闘士は体内に秘められた小宇宙(コスモ)というエネルギーを爆発させ、破壊力に還る。必殺技の名前を叫ぶとともに技を繰り出せばどういう原理か一切わからないが、相手を吹き飛ばし叩きのめす。車田の最初のヒット作『リングにかけろ』の中盤以降にこのスタイルは確率され、スポ根漫画の常識を覆してしまった。

 そういった破天荒なノリは漫画、アニメなら許されるが実写では果たしてどうだろうか?聖闘士星矢 The Beginning』は実写にすると大変難しいテーマに挑んだ作品だ。

 

 アンダーグラウンドな賭け格闘技場で戦う男、星矢(新田真剣佑)は賭けファイトを取り仕切っているカシオス(ニック・スタール)にいびられながらも幼い頃に誘拐された姉の行方を追い求めている。ある日のファイトで自らの内に秘められた謎の力を発揮したために星矢は追われることになる。そんな彼の前に現れた男、アルマン・キド(ショーン・ビーン)は星矢の内に秘められた力は小宇宙(コスモ)というもので、お前は戦いの女神、アテナを守る神話の戦士、聖闘士としてアルマンの娘シエナ(マディソン・アイズマン)を守らなくてはならない、シエナはアテナの生まれ変わりとしてこの世界に降臨した・・・といったことを矢継ぎ早に語る。

 

 この序盤の展開はあまりにも唐突すぎて観客を凄い勢いで置いてけぼりにしていく。当の星矢ですら「何言ってんだ?」「頭おかしいんじゃねえのか?」と突っ込んでる。それ観客のセリフだよ!

 この映画は壮大すぎる原作の初期の部分を再編している、つまり原作とは話が違うので、主人公である星矢に突っ込み役をさせることでなんとか観客をつなぎとめようとしている。その試みは大分上手くいっている。

 

 アルマン・キドとその妻ヴァンダー・グラード(ファムケ・ヤンセン)はアテナの生まれ変わりであるシエナを黄金聖闘士から授かったが、アテナの強大すぎる小宇宙によってヴァンダーは手を失う。アテナの力が世界に破滅をもたらすと感じた彼女はアテナを葬り去ろうとする。だがアルマンはアテナの力こそがやがて訪れる聖戦から世界の破滅を救う力になると信じ、妻の元を去り、シエナを連れて隠れ家に潜み、アテナを守る聖闘士たちを集めようとする・・・というのがこの映画の大筋だ。

 

 2時間という上映時間に収めるために物語を作り直して、登場人物の多くを削っているわけだが、「離れ離れになった姉を探すために聖闘士になり、やがて聖戦に巻き込まれていく」という原作の設定は押さえているためそんなに違和感がないのはよくできているところだ。

 星矢が師匠となるマリン(ケイトリン・ハトソン)の元に行き、凄まじい修行を受け、ペガサスの聖闘士になるが、聖衣に拒絶された上、シエナさえも奪われてしまい、失意に陥るも聖闘士としての使命に目覚め、聖衣に認められ戦いに赴く・・・という展開はハリウッド脚本の王道をなぞらえている。

 こうしてみると『聖闘士星矢 The Beginning』は原作、アニメとも違う物語にしながらも大事な部分はしっかり押さえており、2時間の映画に収めるべく、オリジナリティを発揮した部分もそれなりに納得できる作品になっている。特にオリジナルの部分で秀逸だと思ったのはマーク・ダカスコスが演じるアルマンの執事、マイロックだ。彼は原作における辰巳のポジションだ。辰巳といえばアテナである沙織お嬢様の金魚のフンぐらいのイメージしかなかったのに、『聖闘士星矢 The Beginning』ではアルマンとシエナのためにピストルと警棒を駆使したガン=カタみたいなアクションを披露してしまう!ダカスコスはやはり日本の漫画実写化『クライングフリーマン』や、ゲームの実写化『ダブルドラゴン』でもインパクト大のアクションを見せつけていて、彼の存在が『聖闘士星矢 The Beginning』の価値をひとつ上げている。これは監督が辰巳の大ファン(!)で、彼に見せ場を作ろうとしてこんなにカッコイイキャラにされてしまったのだ。いやはや、聖闘士星矢という作品の見方にはいろんなものがあるのだなあと思い知らされた。

 クライマックスで星矢と対峙する聖闘士のネロ(ディエゴ・ティノコ。原作におけるフェニックス一輝)がアルマンの隠れ家を見つけ出すために幻魔拳っぽいのを使ったりするなど、ちょくちょく原作愛に溢れるシーンも見られるのも、よい。

 そして何より星矢を演じる新田真剣佑がバッキバキに鍛え上げた筋肉を駆使してド派手なマーシャルアーツ系アクションをガッツリ披露しているのが素晴らしい。その辺のイケメン俳優とは一味違う存在感を見せつけており、今後の活躍にも期待が持てる。

 

 とはいえ、『聖闘士星矢 The Beginning』が批判を受けるのはわかる。原作の売りは魅力的な美少年キャラたちだから、聖闘士が三人だけなのは少なすぎるし、聖衣がアルフォートから出てくるっていうのもなんだし、やっぱり聖衣のデザインがもう少しどうにかならなかったものか、とかクライマックスにアニメの主題歌『ペガサス幻想』のインストのイントロだけが流れるってのもな~MAKE-UPの歌入りで流してくれよ!

 

 そして興行的に苦戦しすぎているという件についてだが、原作もアニメの30年近く前のものだから、僕ら老害世代しか知らないよね、この漫画。Z世代は聖闘士星矢がなんなのかまったくわからないのだから、突然実写化を300館も拡大公開するのは無理があったんじゃないか。東映からすれば同じ30年前の漫画『SLAM DANK』の再アニメ化が爆発的なヒットをしているから、『聖闘士星矢』もいける!と思ったかもしれないけど、前者は誰でも知ってるスポーツがテーマなのに比べて、聖闘士星矢は後追い作品が今はほとんどないんだからさあ・・・誰も知らないものは「これが聖闘士星矢だ!」っていう説明をしておかないと。日本人は説明が必要なものは見ないんだから。

 総じて、完璧とまではいわないが惜しい作品ではあったと思う。それにこれ、Beginningなんで!続きあるんでしょ!次回は青銅聖闘士の仲間や、黄金聖闘士やらが出て来てくれるの、信じてますよ!

 

歌入りで流せ

 

原作はまだ続いているんですよ

 

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