決断しろ!世界が終わるぞ!『ノック 終末の訪問者』 | しばりやトーマスの斜陽産業・続

決断しろ!世界が終わるぞ!『ノック 終末の訪問者』

 M・ナイト・シャマラン監督の最新作『ノック 終末の訪問者』は週末に扉をノックする訪問販売員の話…ではない。タイトルがすでにダジャレ。大丈夫か?

 

 山小屋で休暇を楽しむ家族、アンドリュー(ジョナサン・グロフ)、エリック(ベン・オルドリッジ)二人の養子ウェン(クリステン・クイ)は突然4人の男女の訪問を受ける。

 小学校の教師レナード(デイヴ・バウティスタ)、ガス会社員のレドモンド(ルパート・グリント)、看護師のエイドリアン(ニキ・アムカ=バード)、シングルマザーのサブリナ(アビー・クイン)の4人はツルハシとハンマーで山小屋の扉と窓を叩き破って侵入。アンドリューとエリックを椅子に縛り付けると「我々は怪しいものではない」(充分怪しいよ!)といいながら説得を試みる。

 

「我々は世界を終末から救うためにやってきた。つらい決断になるが、君たちは家族3人から犠牲になるものを選んでくれ。そうしないと世界は終焉を迎える」

 

 と、まったく理解に苦しむことを言い出す彼らに反発する(当然)アンドリューだが、4人のひとりレドモンドが白い頭巾を頭に被る。すると他の訪問者はその頭にツルハシとハンマーを振り下ろす!

 

「見ろ!新たな犠牲が出た!もう時間がない!早く決断してくれ!」

 

 テレビをつけると世界各地で巨大な津波が起き、多数の犠牲者が生まれていたことをニュースが告げる。4人はそれぞれ世界が滅ぶビジョンを観て、偶然集った仲間たちだという。アンドリューら3人のうち誰か1人が犠牲になれば世界の終焉は止められる。1人の犠牲で70億人を救うか?それとも全員が滅ぶか?

 

 世界の行く末を決めるハルマゲドンが起きるという、壮大なテーマの割にその場所が山小屋の中!チマチマしすぎ!思えばシャマランの映画はいつも壮大なテーマを小さいところで展開させてきた。『サイン』は侵略宇宙人との戦いが畑に囲まれた一軒家の中で起きてたし、『ヴィレッジ』は森の中のコミューンで世界が破滅するかのような騒動が起きていた。『ノック 終末の訪問者』は表向きはホラー、サスペンスとして進んでいく。訪問者は単なるカルト思想にイカれた狂人か、黙示録の四騎士か?観客には最後までどちらか判別つかないように引っ張っていくあたりがシャマランの演出の巧妙さだ。途中まではミヒャエル・ハネケの『ファニー・ゲーム』っぽいな・・・と思いながら見ていたので後半の展開には面食らった。

 

 

 世界を救うか破滅させるかの選択はゲイカップルの手に委ねられる。アンドリューとエリックの二人はゲイカップルということで世間の様々な偏見の目にさらされてきたことがカットバックで明らかになる。両親は二人を理解せず、バーでは理由もなく酒瓶で頭をたたき割られる(この時の犯人がレドモンドだったことで二人は訪問者による終末論を信じない)。二人は養子のウェンをもらい、ようやく安息の地である山小屋にたどり着く。だが彼らは世界を破滅から救うために犠牲者を選ばなくてはいけないという決断を迫られる。

 

 この映画には原作本があり、そちらは映画版とは異なる展開になっていく。近年アメリカでは保守派による「同性愛者がアメリカを滅ぼす」ヘイトクライムが増加している。原作と違い世界の救済を謡った『ノック 終末の訪問者』はシャマランによる反ヘイトクライム映画にも見える。原作通りのオチじゃあ、あまりに救いがないもんな。シャマランはどうしようもない世の中にも、希望を見出したかったんだろう。アンドリューとエリックを演じたジョナサン・グロフとベン・オルドリッジはカムアウトしている俳優で「性的マイノリティの役は当事者が演じるべきでは?」という流れにも沿っている。

 ミニマムな世界観からグローバルな視点で作られた『ノック 終末の訪問者』でシャマランはハリウッドの中でまた一歩先へ進んだ。いつまでも大味なCGのアクション映画ばかりやってる場合じゃないんだ。早く決断しないと世界が終わるぞ!

 

 

原作本。大体の内容は海外版ウィキで確かめよう