東京は世界一のファッション都市か? (後編:”お洒落”な街にするために) | 伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

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約11年に渡るヨーロッパの様々なステージのラグジュアリーブランドを経て日本に帰国し、衰退産業とも言われている日本の伝統技術を今の形で発信するためのプロジェクト”ARLNATA”アルルナータを主催しているディレクターの独り言です。
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 前回まで二回にわたり、ファッションスナップの記事「東京が世界一のファッション都市だ」から、「東京は世界一のお洒落な都市か?」というテーマで”お洒落とは?”について考えて来ました。

<参照:東京は世界一のファッション都市か? (前編:”お洒落”の定義)

<参照:東京は世界一のファッション都市か? (中編:”お洒落”であることは”目立つ”ことではない)


 話を一歩戻しますと、僕は“お洒落な人”というのは、「自分に合ったスタイルをわかっていて(持っていて)、それが自分以外の他人にも認められている人のこと」と言えると考えています。という定義からすれば、元々の本題(「東京は世界一のファッション都市かどうか」)に戻りますと、東京は確かにエリア事に明確なファッションが存在し、またそのスタイルが様々であり、東京全体で見ると、ありとあらゆるファッションがまとまっているといえるでしょう。しかし「東京が世界一“お洒落”な都市かどうか」を考えた場合、そうとは言えないのではないかと思う訳です(記事の筆者は“世界一のファッション都市”と言っているのであって、“世界一のお洒落な都市”とは言っていません。僕が勝手に変えて考えているだけです、念のため)。


 確かに東京はエリア事にある程度決まったファッションが存在します。ではファッションが盛んと言われているヨーロッパの街はどうでしょうか。僕は長く住んだ経験が未だないとはいえ、やはりパリにはお洒落な人が多いと思います。しかしここで言うお洒落の意味は以前に言ったように、すごくその人にしっくりしたスタイルを持った人をたくさん見かける、と言った意味です。ですが、これらの人がみんな同じ様なカテゴリーの中に当てはめられるファッションかと言えば、そうではありません。パリのファッションはなんとなく非常に大きなくくりとして彼らのスタイルというものを表現することは出来るとは思いますが、これは東京の様に、丸の内はキレイ目ビジネススタイル、渋谷はストリートカジュアル、原宿は、、、といったような具体的に表現できるものではありません。間違いを恐れずあえて言わせてもらえば、パリのファッションは“決められた形を自分たちでどこか微妙に崩すスタイル”とでも言えるかと思います。非常に曖昧です。しかし、どこか“微妙に崩す”というのは崩す前のスタイルを知っていないと崩せませので、非常にレベルが高いと考えられます。パリの人々(パリに住んでいるフランス人は特に)はそれだけファッションを文化として誇りを持っているし、生まれたときからそんなレベルの人が周りにたくさんいるのですから、そういった知識や技を自然と吸収しているのだと思うのです。

 では僕の住んでいるミラノのファッションの感想はと言うと、ミラノのファッションは王道だと思います、つまり東京程の具体的なスタイルではないですが、カテゴリー分けできるでしょう。例えば男性はスーツ。女性もセクシー(男性もだけど)。ラインもはっきりとしているものが多いです。ただ、東京と違うのは、その中での個性があるということでしょうか。男性のスーツといっても、シルエット・色・素材・柄・シャツ・タイ・スカーフ・ハンカチーフ等の小物との組み合わせなどの組み合わせが半端無くたくさんあるし、本当にその人にイイ意味で嫌みなくらい似合っているのが多い。つまり自分がどういう風に着ればよく見えるかを研究しているし、わかっているのだと思います。それは男性、女性共にそう思います(もちろんミラノのイタリア人がみんなお洒落なわけではありませんが)。


 その結果、パリにはもちろん全員とは到底言えませんが、そういったピンポイントで「この人お洒落!」という人が男性も女性もよく見かけます。アジア人の僕からすればやはり彼らの多くはスタイルも良いですし、もちろんそういった要素も手伝っているのは否めませんが、何よりも彼ら各々にしっくりきていていい感じに目立っているのです。目立っているのだけど嫌みに感じないとも言えます。そういった人が東京にたくさんいるかというと、だいぶその数は少なくなる様な感じは否めません。


 確かに東京は間違いなくパリやミラノよりも街として大きい訳なので、場所によって文化が違い、集う人の種類も違い、こういったカテゴリーが発生して来たこともひょっとしたら必然なのかもしれません。しかし日本の場合 、そのエリアの服装があったとしても、みんなの服装がとても似通り過ぎているというのがある様に思いました。例えば、去年の夏日本に帰り、東京の渋谷・原宿あたりを良く歩いていましたが、特に男子の服装がとても眼に入りました。みんな膝上の短パンに頭には帽子を被っていたのです。一昔前ならこんな格好僕はなかなか見た事がなかったけれども、去年の夏渋谷近辺には非常に多くの男子がこのファッションでした。そのファッションが悪いとは言いませんが、みんな同じ様に右にならえになってしまうのは、やはり日本人の特有の性質で、出る杭は打たれるではないですが、できるだけ周りと合わせていれば安心だ、、、という性格が手伝っているという事もあると思うのです 。そしてまた面白い事に東京は色々な職種の人(つまりはスーツを着なくてもいいとされている職業の人々、ファッション関係もそう)がいるのも手伝ってか、そんな中でも個性をテンコモリに出そうという人が時々いたりして、そう言う人達は“お洒落”を通り越して、ただ“目立っているだけ”の服装になってしまっていたりするのです、多くのストリートスナップで取り上げられている様に。この点については繊研新聞の中でユナイテッドアローズの最高顧問栗野さんも少し話されているので、後日また取り上げようと思います。


 東京が別にパリの様にならなければならないわけではないですし、これはこれで東京の個性として認めれば良いのですが、日本の場合は特定のエリアの中でのファッションが均一すぎるだけに、その反動として“目立つ”ことを目的とした“お洒落じゃない”ファッションが出過ぎているのではないのかなと思うのです。で、それは多くのメディアで取り上げられているストリートスナップに掲載され、掲載された本人は“お洒落な人”として認められたのだと本人そしてそれを見ている読者の人々も勘違いする事を助長する事にもなっていると思うのです。実際、みなさんが雑誌などでストリートスナップを見た時“”と思う事ありませんでしょうか?そういったファッションは結局、読者の注目を集めるためのメディアのネタとして利用されているだけなのではないでしょうか。


 繰り返しになりますが東京は確かにありとあらゆるファッションが点在する珍しい街というのは否定しませんが、“個性を出す”ためには“目立たないといけない”と勘違いしている空気がありはしないか?という疑問を持たざるを得ません。そう考えると、もう内包する情報量としては世界に負けない程大きな都市である東京(日本)のファッションにとって、自分も含めこれからより成熟していかなければならない地点にいるのではないかと思うのです、それは“お洒落=目立つ”“お洒落=皆と一緒”ではなく、“お洒落=個性→ほんのりと映える”ように。



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