自己紹介:服の経歴 2(洋服デザインの可能性に気付いた高校時代) | 伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

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約11年に渡るヨーロッパの様々なステージのラグジュアリーブランドを経て日本に帰国し、衰退産業とも言われている日本の伝統技術を今の形で発信するためのプロジェクト”ARLNATA”アルルナータを主催しているディレクターの独り言です。
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<前回の記事(自己紹介:服の経歴 1(ファッションに目覚めた高校時代))の続きです


 高校時代はちょろちょろと5351を着ながら、同級生とも色々情報交換をして楽しみながら知識を深めていました(知識と言っても流行っているブランド、デザイナーとそのスタイル、値段、店などの情報主体ですが)。情報を得る方法といえば、その頃はインターネットはまだまだ主流ではなかったですし、はやり雑誌を見ることでした。雑誌で好きな服を見つければブランドの名前をチェックし、雑誌の裏の方にどこの店からの提供かの一覧があるので、そこから近場で店があるかどうか探し、実際行ってみて同じブランドの他の服もチェックする、そういったことを繰り返していました。でも、自分が欲しいと思うもの、かっこいい物はやっぱり高かったですね。セールまで待って、、、と思っていてもセールになるとやはり顧客が押さえていてもう無くなっていたり、色やサイズが残ってなかったりと悔しい思いもたくさんしました。自分で稼げるようになってほしいものを何でも買ってやる!と何度思った事でしょうか(今でも簡単には無理ですが)。とにかく洋服が好きだったので、自分の足を使って情報を得たりすることを苦労だとも思わなかったし、その結果得る事のできたまだ友人の誰も知らないであろう情報を持って学校に行くのが楽しみだった、そういう高校生活でした(勉強もしていましたが、、)。


 そんなある日、これもまたFINE BOYS だったと思うのですが、雑誌の中でショックを受けるくらいかっこいいロングのレザージャケットに出会いました。その頃たまに買わせてもらっていた服も十分高かったのですが、それの4~5倍くらいはするであろう値段がついていて、そちらにもショックで、大ショックでしたね、あれは。それが僕の後の人生を変えたと言ってもいいブランド、アレキサンダーマックイーン(ALEXANDER MCQUEEN)だったのです。どんな服だったか説明します。まず、革というのは布と違って糸でできていませんから切ったりくり抜いたりしても切り端がほつれていくということがありません。ですので、彫刻の様な切り抜きを漆黒のレザーに施し、その裏に深紅のやや光沢を帯びた裏地を敷くのです。そうすると切り抜いた所だけ赤い模様が浮かんできますよね。そんな加工が前見頃の裾のみに(おそらく記憶が正しければ)仕掛けられ、あとは肩のラインが鋭く奇麗な細身の黒のロングのレザージャケットという、まあ大胆なジャケットでした。これに見事にやられちゃったわけです。そのころの洋服初心者の僕にはレザーを切り抜いて裏地を下に敷くという技を洋服のデザインとして使っているという事実に衝撃を受けましたし、真っ黒の中にちょろっと見えるという組み合わせにもやられましたし、それまで服はただの服としてしか見ていなかったのが、洋服のデザインの可能性の広さ、深さというものに彼によって気付かされたのです。


 その後、マックイーンの情報を色々自分なりに探し出すと、既に過去にもうとんでもない服とファッションショーを作ることで超有名デザイナーだったということも知りました。ランウェイに水を敷いてそこにモデルを歩かせたり、肩がとんでもない角度で跳ね上がっているジャケットを着たネコか虎かの様なメイクをしてるショーや、赤いカラーコンタクトをつけたモデルが魔女の様なドラキュラのような中世ヨーロッパの拷問のような雰囲気のプリントの入った黒づくめの服装で歩いたり、タイヤでがっつり轢かれた跡のプリントが入った服、、と、まあヤバかったですね。でもそれがただ単に変な奇抜なだけの服なのではなく、服自体もシルエットの完成度が高くかっこ良かったし、ショーとしてもとても刺激的だったのです。その頃はまだGUCCI社に株を売り渡す前で(2000年12月以前)日本ではVIA BUS STOPというセレクトショップがマックイーンをたくさん扱っていましたので、しょっちゅう見に行っては試着だけして帰ったものです。このとき僕は高校2年か3年くらいですが、この時に実は今の職業であるパタンナー(詳しく言うと今はパターンによる構造をデザインする仕事をしていますので、純粋なパタンナーとは少し異なりますが)になるきっかけを見つけてしまったのです。それは、縫い目自体がデザインになるということでした。よくよく考えれば当たり前の事なのですが、決まった形の服ばかり着ていると、縫い目の存在すら気にならないと思いますが、それをあえて変わった所に縫い目を配置し、生地や模様を変える事で視覚的に訴えかける事が出来ます切り替えしと呼んでいます)。マックイーンはこの切り替えしの使い方が非常に旨く、これだけでとても印象深いデザインを創っていました。そこにすごく興味を持ってしまい、なるほど縫い目を遊ぶだけでもデザインになるんだ!って思ったのです。そしてさらに生地の組み合わせや色の組み合わせなど色々考えるとそれだけで無限の可能性が広がっているわけで、とてもワクワクしますよね!その時は建築学科を目指そうと思っていたので服を作る仕事に就くなど考えていませんでしたが、なんとなく心の中で洋服のデザインも面白そうだなー、と思い始めたきっかけが彼であり、それは高校生の頃でした。マックイーンの服を買って着たいという欲求と現実とが交差してますますマックイーン熱が上昇して行きましたが、この頃はまだマックイーンは手に入れられませんでした。


そんな彼が自分のブランド(ALEXANDER MCQUEEN)とは別にジバンシー(GIVENCHY)という高級ブランドの服のデザイナーも兼任しているということも知り、ここから高級ブランドの洋服にも興味が出て来た訳です。この頃(2000年前後)はヨーロッパでもデザイナー達の競合は特に激しかったですね! クリスチャンディオール(CHRISTIAN DIOR)のデザイナーをしていたジョンガリアーノ(JOHN GALLIANO), グッチ(GUCCI)イヴサンローラン(YVES SAINT LAURENT)のクリエイティブディレクターであったトムフォード(TOM FORD)などなど、みんな本当に個性が強かったですね。日本の文化とは根本的に違うので比較する事が正しいのかはわかりませんが、東京のファッションショーとヨーロッパのファッションショーを雑誌等で見比べてみても、明らかにヨーロッパの服の方が分かりやすい奇麗さ、エレガントさそして高級感を持っていますし、そういうものが元々自分が好きだったというのもあって、入り込んでしまったのです。僕も含めて一般的に日本人がヨーロッパのモノに憧れるのは、ある意味ヨーロッパが歴史的に持つ階級社会の名残であるファッションが、そもそもそういったものを持っていない日本人にとって無い物ねだりで羨ましいと思う一面があるのかなとも思います。つまり、ほとんどの人はやっぱりお金持ちになりたいし、良い物を好きなだけ買って食ってできればと願うことがあると思いますし、そういった成功者のステイタス品であるハズのヨーロッパファッション階級社会の意識が小さな日本人にとってもなんだかんだ言って心のどこかで求めている物なのかなとも思います。簡単に言えば僕自身がそういった成功欲、出世欲が強いのだろうし(実際そう思います)その頃すでに、成功の証の一つがヨーロッパファッションに身を包む事だと自分で自然と思い込んでいたのかもしれません。


 とにかく、ヨーロッパのファッションへの夢中っぷりはその後の大学生活の中でも休まる事無く引き継いでいきます。次回に続けます。



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