知性と美貌 (後編) | 伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

約11年に渡るヨーロッパの様々なステージのラグジュアリーブランドを経て日本に帰国し、衰退産業とも言われている日本の伝統技術を今の形で発信するためのプロジェクト”ARLNATA”アルルナータを主催しているディレクターの独り言です。
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 昨日、人にとって“知”と“美”というものはお金で手に入る物ではないため、お金を持つようになった成功者にとっても憧れの対象となる能力であり、これらを所持する事、手の届く所にあることがステイタスであると捉えるため、身の近くに置こうとしたがるのだと書きました(参照記事:知性と美貌(前編)。でも、こういった“知性”“美貌”に対する憧れは何も成功者だけに限った話ではありません。一般人にとっても、これらは憧れの対象であり、知性を持った人、美しい人の言動をなんとなく信頼をしてしまったり、無条件に支持したりすることもあります。例えばテレビでも有名大学教授の誰々がこう言っていたとあれば、特に疑う事なくなんとなく信じてしまったり、今売れっ子の美人で有名な女優さんが良いと話しているモノは、無条件にいいような気がしてしまう。これらは“知”と“美”への憧れ、もう少し踏み込んで言うならば、劣等感(コンプレックス)から来ているところがあると思います(もちろん、有名人ということの裏に、彼らの言動が信頼に値するという前提の意識が働いているということもありますが、この話はまた後日にしようと思います)。


 こういう心理作用は実は身の周りでもさりげなく利用されているように思います。例えば、洋服の販売員で奇麗な人、かっこいい人の言葉はなんとなく説得力があるように感じるとか(これに関しては洋服だけでは収まりません)、悪い利用例で言うと、ヨーロッパではスーツで奇麗な身なりのハンサムが丁寧な言葉遣いで旅行客に近寄って来て親切を装い、知らぬ間に財布を抜き取るという事件なんかもありますね。男前で紳士で知的な身なりの人がスリだなんて思いもしないという思い込みです。もちろん人によって捉え方は色々ですので、いつでもだれにでも同じように通じるという訳ではありません。ただ、僕はこれら“知”と“美”はそれだけで大きな能力だと考えます。“知”という能力“美”という能力を持っているということです。しかも能力の中ではかなり影響力のあるものだと思うので、持っているならばそれは自分の強みになる訳ですから多いに利用すべきでしょう、ただし良い方向にですが(参照記事:自分というブランド(前編:自分の能力を知る)自分というブランド(後編:自分、他人、自分+他人のブランディング)


 人は全ての事を知り、理解する事はできないし、全ての人から美しいと思われることは不可能です。つまり裏を返せば、どんな人でも多少なりとも“知”や“美”に対する劣等感(コンプレックス)を持っているものです。だからこそ、人は努力をするし、怠けもするし、そこに差異(個性)が生まれ、様々な人間ドラマが発生する訳です。ファッションはこの劣等感(特に体型)を払拭するのを手伝う大きな役割を担っているとも言えますし(“美”へのコンプレックスの解消)、だからこそこの役割に魅せられた人はその虜になってしまうのではないでしょうか。しかも服が“美”への劣等感を消し去ってくれるだけでもありがたいのに、さらには共感できるデザイナー、ブランドの今まで知らなかった世界や哲学が織り込まれていたりしたら“知”への劣等感への刺激、人が知らないであろう事を知ろう、とする好奇心)、ありがたいどころか、崇拝し始めてしまう人もいるでしょう、かつての僕がそうであったように。

 
  僕が興味をそそられる服は“美”に作用することはもちろんのこと、“知”をも刺激するような服です。ですから、今までそういった服を探して色々見てきたし、着てもきました。こういった点を少なからず他の人よりかは理解していることが自分の強みであり、伸ばす所だと確信しています。自分のデザイン、モノ作りのルーツを考えていると、この“知”と“美”のことを思い出したので、それを紹介させていただきました。今回の記事は多少強引な展開だったかもしれませんが、皆さんはどう思われるでしょうか。



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