来年の当日は新聞やTVは終戦特集だらけだろう。 静かに1年前に、私の敗戦後を振り返ってみた。

 

私は、私は昭和17年(1942年)12月21日生まれで、敗戦時は2歳と8カ月だった。宮崎県延岡で生まれ、終戦時は高千穂へ疎開していた。

 

その年父が延岡で亡くなった。戦争と父の記憶はまったくない。

 

ここから母の苦労が始まった。母と私は、母の姉を頼って岡山へ移住し、間借りした。小学校は岡山の石井小学校だった。当時は幼稚園などなかった。

 

その後京都へ移り、中学・高校と過ごした。学校は下鴨中学、洛北高校だった。立教大学へ入り、東京で日本電子(株)に就職した。当時躍進中の日本電子は電子顕微鏡などのメーカーだった。入社3年目に営業で大阪へ転勤し、京都の自宅で母と同居した。

 

72年に由嘉と京都で結婚した。結婚翌年に東京へ転勤となった。その後、おかげで71歳まで日本電子と他で仕事を続けられた。東京では福生、八王子と住んで、娘・息子を送り出し、今は府中に住んでいる。府中は緑が多い街で、都心へも近い。ちょうど良い場所だ。

 

     

       府中 けやき並木通り