様々な「思い」をエッセーにしてブログに掲載していきたいと思っています。私自身のこと、私の体験したこと、そして社会や大自然についても、それへの「思い」を書いていきます。お読み頂いて、ご意見や感想を下されば幸いです。suzukite@jcom.home.ne.jp
日本の独立(=誕生日)宣言は過去に2回あった。 2回?!1回目は聖徳太子による中国・随からの独立宣言だ。隋の煬帝へ遣隋使(小野妹子)を送った文章に、「日の出ところの天子、書を日没するところの天子に致す。つつがなきや」と。 隋からの独立を宣言している。この宣言は誰もが知っているが、もうひとつは?!2回目は、今へと続く「新生日本」の始まりの日、誕生日だ。 決して忘れてはならない始まりの日なのだ! 昭和26年(1951)9月8日、米国のサンフランシスコで開かれた講和会議において(吉田茂首相は)48ヶ国と平和条約を結び、ポツダム宣言(敗戦)の受諾から約6年ぶりに主権を回復した。今ある「新生日本」の誕生だ。「新生日本」が始まり、73年間の平和が続いている。ありがたい73年間だった。なんとかこの平和を今後も続けていきたいものだ! 平和!平和!平和だ!しかし今、世界には危ない地域も多い。近くにもある。 台湾がそうだ。中国の厦門市と台湾領金門島はなんと2キロほどしか離れていない。中国は台湾を自国の一部だとしており、いつの日か金門島から始まって台湾本島を占有する動きに出るだろう。台湾の東に位置する与那国島は台湾との距離が111㌔しか離れていない(東京駅から熱海までは105㌔)。中台戦争になれば、巻き込まれるかもしれない。 沖縄には米軍の基地もある。今はこの地域の、勢力のバランスがなんとかとれていて、平和が続いている……。*サンフランシスコ平和条約の調印を終えた後、場所を変えてアメリカ側代表との間で日米安全保障条約が締結された。
日本はいつから漢字を使いだしたのか? 調べてみた。日本の全国統一は大和政権の4世紀前半とされており、当時は中国の朝貢国で中華文化圏に属していた。 聖徳太子が隋と国交を開始するにあたり、600年に始めて使節を送った。先ずは朝貢国として、その後607年には、遣隋使の小野妹子に託した国書に「日出づる処の天子、日没する処の天子に書を致す。つつがなきや」との宣言で、国として中国から独立した。 しかし、当時もそして現在も漢字を使わせてもらう弟分に変わりはない。奈良時代720年に完成した日本書記*も漢字で書かれている。 同書は天武天皇の命により編纂された日本で最初の勅撰正史である。両国の交流は続いたが、近代に至って、日本は中国(中華民国)へ侵攻した。明治以降、急速な発展を遂げた日本が、その立ち位置も知らず、軍人の狭い思考のまま満州、中国本土へと侵入した。行けどもいけども切りがないほど広大な中国。占領することは無理と悟り、南方へ進路を変えた。中国は相手としては、大昔からも今も大物過ぎるのだ。一方、中国自身(漢民族)も苦労してきた。元時代はモンゴル人王朝が、清時代は満洲人王朝が中国を支配した。大陸にあった国々は絶えず他民族との支配権を争う戦争が行われてきた。日本は大陸からは離れた島国であったことが、戦争、占領、民族混合などが行われずに済んだありがたい国だ。民族間の争いを知らない脳天気な民族だとも言えるかも。安易に戦争を仕掛けた日本。1945年の敗戦で目を開かせられた日本人。おかげで今は79年の平和が続いている。 来年は80年記念年となる。 これからも、まだまだ平和を続けなければ! *日本書記:全体は漢文で記されているが、万葉仮名を用いて128首の和歌も掲載 されている。
何でも、グループでくくり、その中のトップ3を 「3大‥‥」として格付けをしている。三大祭は祇園祭(京都市八坂神社)、天神祭(大阪市大阪天満宮)、神田祭(東京都神田明神)。日本三景は松島(宮城県松島町)、天橋立(京都府宮津市)、宮島(広島県廿日市市)。三名城は姫路城、名古屋城、大坂城 (大阪城)。……などなどたくさんある。 蛇足ながら、行ってがっかりのところもあるはずだ。日本の「三大がっかり名所」はどこだ? 一般的には、北海道の「札幌市時計台」、高知県の「はりまや橋」、長崎県の「オランダ坂」と言われているが、…それ可哀そうだ!! 「札幌市時計台」は、北海道へ初めての時には誰もが必ず行った。来たぞ北海道へ!の象徴だったのだ。今は違うのかな?!「はりまや橋」は土佐の高知のはりまや橋を歌った民謡で江戸時代から歌われている場所。「オランダ坂」は、石畳の沿道に異国情緒を伝える15棟の洋館群が建ち並び、眼下に長崎港が見られる。 これらはがっかりか?!おかしいよ! 1度は行ってみたい場所だ!それでは世界三大がっかりは、どこだ! 調べてみた?小便小僧(ベルギー)、人魚姫(デンマーク)、マーライオン(シンガポール)だそうだ。小さいけど、がっかりじゃないよ!!
今、中国では寝そべるという意味の躺平(とうへい)族=寝そべり族という若者が増えているそうだ。彼らは最低限の仕事をし、だらっと寝そべって食事は1日2回でいいとし、他人から金もうけの道具にされることを拒む若者たちの生き方だ。 就職難を背景に、貧富の格差や住宅・生活費の高騰、競争に疲れた1990年代以降生まれを中心に共感が広がっているそうだ。 彼らは生存のため最低限社会との関係は維持し、いろいろなものをほんの少しだけ使用、利用している。しかし、ほんの少しだけだとしても、社会とは無関係ではいられない。完全に無関係とはいかないので、最小限としているのだろうけども…。彼らはお荷物で、いつの世にもいる人種だ。無知、無関心だが、食事をしながら社会と無関係ではいられないことを知ってはいる。 今風の子たちだ。そのうち目覚めるだろう。美味しいものも食べたくなるに違いない。 素敵な人がいれば恋もしたくなるだろう。 したくないだって!? 今はね! 街ではなく、山奥で、1人で自給自足をしていれば社会とは無関係だといっても良いけれど、ま、しばらくは甘えているこの世代を許そう!
北陸新幹線が金沢から敦賀まで開通した(24年3月16日)。しばらくしたら、京都・大阪へと繋がっていくのだろう。1964年10月1日に東京~新大阪間の東海道新幹線が開通した。続く10日には東京オリンピックが開催され、いずれも日本中が大騒ぎだった。日本人は自信を取り戻し、このころから奇跡の高度経済成長が始まった。私は当時学生で、新幹線の10月1日1番列車の始発6:00に乗りたかったが取れず、9時東京発にやっと乗れた。オリッピクは券が取れず、やむなく下宿のTVにかじりついた。友人と一緒に乗った新幹線では、客車、食堂車などウロウロと見て回った。アッ200㌔だ!との表示を見たり、驚きの連続だった。そして気がついたらもう名古屋へ着いていた! それが初乗り新幹線への実感だ。 あの頃は大きな行事や事件が多かったように思う。それが今はどうか? 平穏な社会が続いている。それが一番良いことなのだが、何か物足りないような……。 7月1日 名神高速道路が全線(岐阜・小牧~神戸・西宮間)開通10月1日 東京~新大阪間の東海道新幹線が開通10月10日 東京オリッピク開催 *オリンピックへ向けて全力で走っていた日本。一方で、当時 流行っていたのは、みゆき族、アイビー・ルック、東洋の魔女、 ウルトラC、…… そんな日本でした。
わが家から駅まで歩いて10分ほどだが、その間に空き家が2軒ある。2軒とも比較的大きな家で、時に植木業者が入っている。住まないのなら売れば良いのではと思うが、そういかない事情があるのだろう。 でも最近、そのうちの1軒は解体されて2軒の新築が建った。ついこないだまで、都心のマンションが便利で、多くの若い人達が移り住んだ。 最近はテレワークもあって多少不便でも、樹々に囲まれた郊外の一戸建てへ移っているそうだ。子供が巣立ち、歳を重ねると、今度は便利なこじんまりしたマンションか介護付き施設へ移るようだ。今は、1つの家に長く住み続ける時代ではなくなり、空き家が増えている。私の時代は、安定した会社に入り、結婚をして、長期ローンで家を買うことが全てだった。ローン完済まで転居なんか考えてもみなかった。今では家の位置づけが変わってきたようだ。人口も減ってきている。ますます家に対する感覚が変わって行くのだろう。爺婆はどうなるのか、私も駅までの10分が遠く感じるようになった。スーパーはさらに遠くて、買い物は車で行く。 80を越えて運転ができなくなったら、食品などの買い物もできなくなる。 そうなったらスーパー近くのマンションに引っ越すしかない。様々な住み替えの時代が世代を越えてやってきているようだ。とすると……時々にふさわしい家を借り換えていけばよいのだから、とすると……家を買う人は居なくなる! 新時代が現れた!!
米スタンフォード大学トニー・ウィス=コレイ教授らの研究チームは、34歳、60歳、78歳という3つのポイントで老化が進むことを学術誌 「ネイチャーメディシン」 に発表した。そこでは78歳前後に最後の「急激な老化」がおこるとしている。 そう!そこからだ。 それを乗り越えると、生きていることが実にありがたいと実感できるようになる。 生かされていることに感謝しつつ、それを楽しむ新しい時代に入るのだ。人の意識はここで大きく変わる。若い頃は、生きていることは当たり前で、生きること自体を考えることはない。しかし、78歳前後のこの時期を過ぎると、生きていることそれ自体を実感するように変わる。生きていることや、様々な事象に感謝!感謝!が動き出す。私は2回の癌手術を通り越し、今は「多摩川かぜのみち」での散歩ができている。対岸の山々から富士山、川の流れと様々な鳥の動き、素晴らしい大自然の中にいることを体感している。いま日本の75歳以上(後期高齢者)の人は総人口の14.9%。80歳以上は9.2%だそうだ。好爺々、好婆々が これからもどんどん増えていく。おかげで、日本は1945年以来78年間の平和が続いている。今後も、更にさらに素敵な感謝と幸せ実感の社会が続いていくのだろう。 高齢化社会も悪くはない。 平和だ!平和だ! 夕暮れと富士山
バイデン大統領は日本製鉄のUSスチール買収に懸念を近く表明する、との記事があった(その後懸念表明はない)。USスチールは、ピッツバーグに本社を置き、アメリカとヨーロッパに生産拠点を持つ総合製鉄会社だ。2022年の粗鋼生産は世界24位、アメリカ合衆国第2位のシェアを占める。この記事を見て、日本のバブル時代を思い出した。1989年10月頃だった。当時は、今の人には信じられないような”大バブル時代”だった。三菱地所によるニューヨークのロックフェラー・センターの買収*がなされ、さらに当時は、山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買える*という、そういう時代だったのだ。そんな時代が本当にあったのだ!! これはアメリカ国民の大きな反感を買い、ジャパン・バッシングの火に油を注いだ。「昭和」から「平成」へは(1989年)、バブルの絶頂のなかで幕を開けた。そしてその後、遂に株は2024年2月22日、終値では3万9098円をつけ、バブル絶頂期の1989年12月29日の史上最高値・3万8915円を34年ぶりに更新した。どうやら今回はバブルではなさそうだ。世界経済は持ち直して拡大している。前回と違って、地に足のついた発展がこのまま続いていくことを願っている。*1989年10月、三菱地所がニューヨークのロックフェラー・センターを8億4600万 ドル(当時のレートで日本円にして約1200億円)で買収した。これはバブル期の 成金的な「ジャパンマネー」による海外資産買いあさりの象徴的な例だ。*THE GOLD ONLINE より ロックフェラー・センター
14日の日経新聞に、「賃金、頭打ちの30年に転機」との記事がある。 転機! 不況の30年に転機が来る!との記事だ。賃金が上がり始め、連れて景気も上がり始めるだろうと。 ぜひ!そうあって欲しい! 今回の不況は長かった!以前私はこのブログで、不況が30年間から40年に延びるだろうと書いていた。以下だ。 22年7月8日 「失われた30年」が40年になってしまう!」 ‥‥‥会社も労働組合も雇用を優先して賃上げを抑制しているから… 23年1月20日 「失われた30年」は40年になるかも No.2」 ‥‥‥政府の不況支援によりゾンビ企業が生き長らえているから…23年3月10日 「日本は失われた30年が40年へと落ち込んでいく!」 ‥‥‥日本の国民総所得は世界3位、1人ひとりの年収は22位!? どうやら22年、23年ごろは不景気へ!不景気へ!と落ち込んでいたようだ。しかし今度は大丈夫らしい。好景気へ!好景気へ!と進んでいこうではないか。来た!来た!株は1000円以上UPなどが始まった。これからは、好景気が30年以上続いてほしい!取り戻せ! 頑張れ日本! 頑張れ日本人!
ニューヨーク州知事は6日、市の地下鉄の警備強化のため警官250人を増員するとともに、750人の州兵も投入すると発表した。 驚いた!! 地下鉄の治安を守るのに軍隊が出動するのだ。 現場は大変な状況になっているのだろう!拳銃を持った戦闘服の州兵が電車の中をウロウロと・・・・・・アメリカのそれもニューヨークで‥‥、まだまだ西部劇時代が続いているようだ。現地警察によると、地下鉄での暴行や強盗などの犯罪件数は、2024年に入り13%増加しているという。治安はますます悪化しているらしい! 乗る人は危ないのを承知で乗るのだから、電車のなかは緊迫状態だろう! 恐ろしいことだ!移民などで、人種の混合があると、人対人、人種対人種の対立も起こる。 ニューヨークには他国からの移民を一時的に収容する施設があり、政治的思惑もあって、メキシコから多くの不法移民が送られているようだ。その点日本は平和で安全だ。忘れものや落とし物をしても、しばらくしたら駅へ届いている。若い人たちは年寄りに席を譲ってくれる!寝たふりの奴もいるが。 日本人はりっぱな人種だ。日本は素晴らしい国だ。 ありがたい! ありがとう!
昨日の日経新聞にアメリカ大統領選挙のことが書いてあった。その記事のタイトルは「バイデン氏は高齢不安」とあった。失礼な! バイデンさんは(1942年11月生まれの81歳)私より1カ月兄貴だ。私たちはもう“高齢不安”人間なのか?!彼はフランスの大統領の名前やドイツの前首相の名前を間違えたりしている*。私も80になった頃から、人の名前が出てこなくなった。忘れてはいないのだが、すぐには出てこないのだ。現役での仕事はやはり80歳までかな!?私は80歳まで仕事、85歳まではボランティア、90歳からが隠居、とするのが良いと思っている。だから、81歳のバイデンさんは大統領に立候補するのではなく、政界でのボランティアをするのが良いのではと思う。たしかに彼は“高齢不安” 域の人なのだ。 選挙には勝てないだろう。でも、80歳代で元気な人はたくさんいる。知られた人では、加山雄三86歳、北大路欣也81歳、高橋英樹・関口宏80歳などナド…。皆元気だ!*私の2月9日のブログ「バイデンさんは頑張ってほしいが、もう無理かな!?」もご覧ください。
わが家から多摩川までは往復40分。丁度良いウオーキングコースだ。往きには押立神社にお詣りして、わが家の平安をお願いする。「多摩川かぜのみち」へ着いたら、遠く富士山を拝しながら大自然を吸い込む。日々変化する多摩川の流れ。対岸には多摩丘陵、その奥には丹沢山地から富士山、上流方向には奥多摩、秩父の山々、と雄大な景観を楽しめる。ここまでは長年のウオーキングと同じだ。しかしどうやら今は、運動としてのウオーキングではなく、ゆっくり散歩になってしまったようだ。 それッ!と早足にしても、すぐユックリ歩きになってしまう。腕振り振りスタイルでウオーキングをしているおばあちゃんがいる。 追いこされてしまう。 10年選手かな?!いや!もっと!30年かも。私は、時々ウオーキングはしていたが、一日置きの定例ウオーキングで、続いてきているのは去年の10月からだ。まだまだ新参者だ。なんとかこの冬を乗り越えて、もうしばらくは続けたいものだ。今は、運動はこれしか無いのだから、なんとか続けよう!散歩で良いから! 夕陽と富士山 休日の多摩川河畔
写真の整理をしていて、京都・建仁寺へ行った時の写真もあった。私のホームページ(suzukihp.jimdofree.com/)の自己紹介写真は建仁寺でこの時撮った写真だ。 何歳だったかは憶えていない。四条通りに面した一力亭からの脇道、花見小路を少し下ったところに建仁寺はある。栄西禅師が建仁2年(1202年)に建立した京都最古の禅寺だそうだ。建仁寺といえば 国宝「風神雷神図屏風」が有名だ。保存のために本物は京都国立博物館に保管されているが、最新のデジタル技術で再現されたものを見ることができる。庭は、大きな庭ではないが、なぜか惹かれる庭だ。風神雷神図屏風とセットになって、美を訴えてくるからかもしれない。別室からも、庭越しに部屋を見た奥に風神雷神図屏風が見える。拝観者は少なく、ゆっくりと座って庭と屏風を眺められる素敵な場所だ。京都は今でも歴史深い街だ。 歴史がまだまだ息づいている。 そして、心休まる場所があちらこちらにある。*一力亭(いちりきてい)もしくは一力茶屋は、京都にある歴史的お茶屋。四条通と花見小路通の角に位置している。今も最上級のお茶屋として知られており、その名声は、大石内蔵助の利用などで知れわたるようになった。 奥に風神雷神図屏風が見える 建仁寺での私
写真の整理をしていて、2018年5月に訪れた紀州・熊野旅行の写真を見つけた。良い旅だった。熊野詣とは熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に参拝することだ。熊野に詣でれば、黄泉(よみ)の国(あの世)に行って、生まれ変わって現世へ戻ると言われている。 そのため、平安時代延喜7年(907年)の宇多法皇御幸以来、法皇、上皇の御幸が盛んだ。後白河上皇はなんと34度、後鳥羽上皇は28度の熊野御幸をされている(←熊野本宮観光協会ホームページより)。 彼らは、京から船で鴨川、桂川、淀川を下り、堺・岸和田~和歌山の海岸沿いを歩き、口熊野と呼ばれた田辺まで南下、後に「中辺路」と呼ばれる道を通って本宮大社に参拝した。そのあと熊野川を下り速玉大社、那智大社にも参拝した。往復約600km、約1ヶ月間のさぞ大変な旅だったのだろう。後白河上皇は64歳で亡くなるまでになんと34回参拝され、大変熱心な熊野信仰者だったのだ。 何度も生まれ変わった後白河上皇。生まれ変わったのにまた生まれ変わりたいと思うことは、反省の多い生活を何度も何度も!繰り返していたに違いない。素直な反省の気持ちの表れでもあるが……。あなたも「黄泉がえりの旅」へと出かけ、生まれかわって新しい人生へ再スタートを切りませんか! 私もここの参拝で黄泉がえりました!なお、熊野三山は日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社である。
昨日2月8日、バイデン大統領の機密文書をめぐる問題を捜査してきた特別検察官が 「バイデン氏の記憶が著しく限られている」とする報告書を発表した。 大統領の記憶力はおかしいと!?バイデン大統領は同日の記者会見で中東情勢に言及する際、エジプトのシシ大統領を“メキシコ”のシシ大統領と言い間違えた。今月4日に行われた選挙集会でもフランスのマクロン大統領を元大統領の“ミッテラン氏”と言い、さらに、今月7日の集会では、ドイツのメルケル前首相を1998年まで首相だった元首相の“コール氏”と言い間違えている。こりゃーちょっとひどいのでは!! ←NHK「バイデン大統領訴追せず高齢などで立証困難 記憶力正常と反論 2月9日」「バイデン大統領 言い間違え繰り返す」より彼は1942年11月20日生まれの81歳。私は同年12月21日生まれだ。彼の方が1カ月兄貴だ。80を越えたら多少の物忘れはある。人の名前がすぐに出てこないこともあるが…でも忘れてはいないのだ。バイデンさんは、ヨチヨチ歩きで転んだりしている。確かに老化が進んでいるように見える。もう彼はムリかな!!私は隔日のウオーキング、イヤッ散歩はしっかりと続いている。散歩でもお腹をへっこませ、胸を張って!歩く。ゆっくりになったがそれは続いている。80を過ぎると、老化の程度が人様々になってくる。バイデンさんはちょっと早いかな。がんばってほしいのだが…!
しかし、真珠湾攻撃は止まらなかった!総力戦研究所は1940年(昭和15年*)に開設された総理大臣直轄の研究所である。メンバーは各官庁・陸海軍・民間などから選抜された35~40名の若手エリートたちで構成されていた。 与えられたテーマは日米開戦への研究であった。研究生たちは1940年(昭和15年)7月から8月にかけて、軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通し、食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。その結果は、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能という「日本必敗」の結論を導き出した。これは、現実の日米戦争における戦局推移とほぼ合致するものだった。陸軍は資源豊富な蘭印(オランダ領インドネシア)を占領すれば必要な物資は手に入る。更には、日清・日露戦争での休戦のように、途中休戦が出来ると内心期待もしていたようだ。ところが米国は、南方からの長距離補給路を断てば日本を圧倒できるとの確信を持っていた。日本の輸送船は次々と撃沈され続け、日本は敗戦へ向かって落ち込んでいく。 猪瀬直樹著のノンフィクション小説「昭和16年夏の敗戦」に総力戦研究所のことが書かれている。 真珠湾攻撃は日本時間1941年(昭和16年)12月8日
コロナ禍が空けて人々は旅行へと動きだした。国内の行先希望地は?!今は、1位沖縄県、2位:北海道、3位:神奈川県、だとか。 昔はどうだったのか? 江戸時代中期以降の江戸では旅行がブームだったそうだ。平和な時代だったのだ。 本居宣長の『玉勝間*』によれば、江戸時代中期、宝永2年(1705年)の伊勢神宮への参拝者は50日間で362万人に達し、その後の文政13年(1830年)には、約500万人が伊勢へ伊勢へと押し寄せたとある。凄い人数だ!! これは三重県のホームページ「歴史の情報蔵」にある 「多くの民衆伊勢へ『おかげまいり』」 に掲載されている。また、十辺舎一九著作の「東海道中膝栗毛」が1802年(享和2年)から10年以上にわたり人気を博し、「旅行用心集」という旅行本も1810年(文化7年)に版行されている。旅行があこがれの対象だったのだろう。長期の平和にて町民文化も進み、多くの人が読み書きができるようになっていたのだ。平和が続いた江戸時代、庶民文化が息づいている。江戸時代は1603~1868年の265年間。この基礎を作り上げた家康は凄い!としか言いようがない!明治以降には、日清・日露戦争、第1次世界大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と対外戦争が続いた。 明治元年(1868年)から敗戦1945年までは77年間。敗戦から2022年で同じ77年間。これを更にさらに続けていかなければならない! 全国から集ってくるお陰詣(おかげもうで)は、東からきても西からきても伊勢に入るには宮川を越えねばならず、この川は参拝客を必ず足止めする伊勢最大の河川。
新年早々もパレスチナ・ガザ地区の紛争状況が報道されている。ハマスのイスラエル攻撃以来、イスラエルはこれを戦争だと位置づけて軍事侵攻を開始した。世界の様ざまな紛争地域は、狭い地域に多数の民族が住んでいる場合が多い。人種が違えば言葉も宗教も違う。紛争が起きるのは当然とも思える。気の毒な地域は世界中にある。それに比べて、日本は世界の端のはしにある島国だ。大陸の民族間紛争に日本は巻き込まれることはないだろう。島国日本に生まれたことを天に感謝しなければいけない。パレスチナのニュースを見るたびにそう思う。日本はありがたい極東の島国でありながらも、大陸の大国や進んだ文明から置いてきぼりにならなくてすんだ。 中国からの文明を受け入れ、それを自分のものにする。当時から、なかなか優秀な民族だったようだ。 さらに、単一民族・単一国家・単一言語国家という、極めてありがたい国家形態を続けてきている。日本は飛鳥時代から、中国・隋などの先進文化を学び発展した。憲法を制定した聖徳太子(574年~622年)は、607年小野妹子らを隋に派遣している。その後も、世界最初の小説とされている「源氏物語」の作者紫式部は西暦1000年頃の人だ。この頃(11世紀頃)には"かな物語"が流行っていたそうだ。 かなり文化程度の高い民族だといえる!!『源氏物語』は平安時代中期、紫式部による世界最初の小説と言われている。全54帖、文献初出は1008年(寛弘五年)。
新年の新聞記事には、将来へ向かっての改革・革新の記事が多く載せられている。 明るい未来をめざそう!と。 私もこれからの先々に、大いに期待をしたい!しかしそれらは、私が生きているうちに、どれだけが日の目を見るのか?そう、将来とは、この先何年ぐらいを想定しているのか? 20年?30年?…‥。私の平均余命は後8年。私にとっての将来はそれぐらいだ。 8年ぐらいでは、どれくらいの改革・革新がおこなわれ、それがどれくらい私の生活に反映されるのか? 私は8年以上は頑張るが、革新・改革は日々急いでほしい!のだ! 日本は動いている。失われた30年間の日本病からは脱し始めたようだ。少しずつでも進んで行こうではないか。若い人たちに期待するところだ。頼むぞ!世界の紛争は、過密な地域に多民族が住むことから起きている。それを仲裁するのは、位置的に離れた所からが良かろう。日本はまさに極東の島国だ。離れた場所から紛争国に仲裁の手を伸ばすことができる。これからの日本の役割がそこにある、と思える。 世界の平和のために働き始める、日本の位置が明らかになってきた。日本の役割が見えてきた。
クリスマス、年末、初詣と、いずれも人出が凄かったようだ。老いも若きもコロナ明けで、1度2度…と 街へ出かけた。 そしたらなんとインフルエンザ! でも、大丈夫。インフルは毎年の風邪でコロナとは違う! 気にせず出かけよう!となったようだ。私達は混雑を避けて、人けのない近所の神社へ初詣に行った。そこも正月はきれいに飾られ、お酒まで供えてあった。ふだんはあまり見かけないお参りの人もいた。おかげで、豊かで平和な日本に私達は居るのだと、実感できた。 ありがたいことだ!! 敗戦により焼野が原で、平和であることの大切さを見にしみて実感した日本人。今は、平和な時代が78年間続く。おかげで平和を満喫し謳歌できている。しかしまだまだ、対外戦争のなかった江戸時代の265年間を越える平和な時代には及ばない。なんとか後187年以上頑張ろうではないか。世界各地の紛争から遠く離れた極東の島国日本。巻き込まれずに済む日本。ありがたいことだ。 明治神宮