15~16世紀に全世界を植民地化しようとしていたスペインとポルトガルは、勝手にサラゴサ条約(1529年)によって地球上における両国の勢力圏を決めた。東まわりのポルトガルによるインド・東南アジアへの進出、西まわりのスペインによるアメリカ新大陸の支配が展開された。

 

当時日本は室町時代末期の戦国時代*だった。

 

西からまわっても東からまわっても、まわった最後に位置する場所が日本だ。そのために日本は西まわりのスペインと東まわりのポルトガルに分断される形とされた。サラゴサ条約での分界線地図を見てほしい。端っこだ! 分断されている!!

 

西からの端、東からの端は今で言う東経133度にあたる。端のはし、133度線は島根県宍道湖、広島県三原市と竹原市のあいだ、愛媛県今治市、高知県足摺岬、などを通っている。このあたりが当時の世界の端のはし、裏の裏だったのだ。

 

最近もTVなどでガザ地区などのニュースを見るたびに、日本は極東の島国で良かった、と思う。 そう!だからこそ、遠く離れた日本が仲裁に入らなければ…! 世界における日本の役割はそこにあるのだが…。

 

*戦国時代は一般的に応仁の乱(1467年~1477年)から織田信長の上洛(1568年)までの期間とされている。約100年もの戦乱時代だったのだ。