しかし、真珠湾攻撃は止まらなかった!

 

総力戦研究所は1940年(昭和15年*)に開設された総理大臣直轄の研究所である。メンバーは各官庁・陸海軍・民間などから選抜された35~40名の若手エリートたちで構成されていた。

 

与えられたテーマは日米開戦への研究であった。研究生たちは1940年(昭和15年)7月から8月にかけて、軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通し、食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。

 

その結果は、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能という「日本必敗」の結論を導き出した。これは、現実の日米戦争における戦局推移とほぼ合致するものだった。

 

陸軍は資源豊富な蘭印(オランダ領インドネシア)を占領すれば必要な物資は手に入る。更には、日清・日露戦争での休戦のように、途中休戦が出来ると内心期待もしていたようだ。

 

ところが米国は、南方からの長距離補給路を断てば日本を圧倒できるとの確信を持っていた。日本の輸送船は次々と撃沈され続け、日本は敗戦へ向かって落ち込んでいく。

 

猪瀬直樹著のノンフィクション小説「昭和16年夏の敗戦」に総力戦研究所のことが書かれている。

 

                        

                   真珠湾攻撃は日本時間1941年(昭和16年)12月8日