手放すとは、単にそれを疑ってみて、その見方を超えた何かがあるのを理解しようとすること
(本日のメルマガより)
手放したつもりで何度も舞い戻ってくるなら、それは手放せてないんですよね。
手放すとは、単にそれを疑ってみて、その見方を超えた何かがあるのを理解しようとすること
「パスワーク」 エヴァ・ピエコラス
先日、読んだ本の中にあった言葉です。
たとえば誰かに対して「あの人は金の亡者だ」というとき、それは本当だろうか?と疑ってみる。
たしかに、金の亡者に見えるエピソードはあるかもしれない。しかもたくさん。
けれど、自分が知っていることの範囲外で、家族思いだったり、勤勉だったり、寄付していたり、そういった自分が知らないこともたくさん背景にはあるかもしれません。
それなのに、その人の人格まるごと含めて「金の亡者」というレッテルを貼ることは、本当に正しいことなんだろうか?と疑ってみるということです。
そういう風に、自分がきつくジャッジしていることに風穴を開けて、今とは違う風に相手を見たいと能動的になるなら、それは祈りになります。
すると自分のジャッジを超えたものの見方が目の前に現れてきます。
それは実は、「あの人を金の亡者として見たい」という思いが自分の中にあったことに気づくことでもあり、自分自身に対してかけていた疑いであったことにも気づきます。
そしてそれは真実ではないこと、自作自演であったことへと目覚めさせ、世界が自分の内面の反映であることへの確信が深まります。その次元において、統合が起こります。
運命の輪のスフィンクスのように輪から出て、統合的なものの見方へとシフトすることで、手放しは完了します。
手放すことは、簡単なようでいて「自分は正しい」「相手が間違っている」というプライドが邪魔をするので、なかなかうまくいかないこともあります。
問題の表層にあるものではなく、核(自分の無意識の思い込み)が何なのかを知って、それに向き合う勇気を持つことで、手放しはスムーズに行われます。
タロットを通じて「無意識」や「潜在意識」の情報にアクセスすることで、意識から隠されている思い込みを見つけたり、自分にはどうにもできないと感じている慢性的な問題を解決する糸口が見つかることがあります。
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