自分には個性がない、得意なことがない、好きなことがない、秀でたものがない。
どういうイメージを自分に持っていたとしても、天から与えられるギフト(才能)は本来、みな等しく平等なものだとおもうのです。
というのも、平等に与えられたものだけが、天からの才だと言えるのではないかとおもうから。神さまはあの人に与えて、この人に与えないなんてことはしない。太陽が、その熱と光を万人に与えるように。
いや、わたしにはあんな運動神経はない、知性がない、美貌がない、コミュニケーション能力がない、センスがない、ない、ない、ないという思考の中にいては見えないかもしれないけれど。
バスケが上手いとか、記憶力がいいとか、絶対音感があるとか、お芝居が上手いとか、絵のセンスがあるとか、そういうのは天からのギフトではなく、あると仮定するならば、魂の記憶(過去生や未来世、DNA、家系)からのギフトではないだろうか?
天からのギフトは「愛」一択だし、愛する能力だし、愛される能力だし、愛そのものでいる能力だ。
それを誰もが与えられていて、今すぐにその能力を開くことができる。「おはよう」という一言の中に、ギフトを込めることもできれば、込めない自由もある。
わたしたちはつい、形になるものを、職業を、天からの才能として見てしまいがちだけど、本質まで遡るとそれはみんな同じで。 今すぐ表現可能なものです。
そして、魂の記憶からのギフトをきちんと見つけて、活かしていくことも大切な考え方だとおもいます。生きる意欲に直結する。好きとか情熱が、その道を開いてくれる。
でも、今の世界ではどうしてもギフト=お金に交換できるものとして考えるように組み込まれてるよねぇ、涙。
ギフトとお金は本当はなんの関係もないのに。でもギフトを与えられているということを本気で受け入れるならば、そこに豊かさがない訳がない。
それを信頼する練習を、魂の旅をしているわたしたちはしているのだとおもいます。
豊かさもまた、愛の一種で、わたしたちに与えられているもの。5月17日、すでに革命の星である天王星がいる牡牛座に、木星が入ります。
牡牛座木星×天王星が時代を動かす、かな?お金や豊かさというものの価値も変わってくるんだろうなとおもいます。
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