このブログは昨日のつづきだよ。
プライベートなんだけど、興味ないひとはスルーしてね〜。
“好意“に属するものは、どれだけ相手に押し付けてもいい、と考えるひとたちは一定数いるんだろうねえ。ストーカーとか毒親とか。
でもその好意って、ただのコーティングで中身は暴力だよね。だから相手はいやがるわけで。
本人たちは愛と呼ぶけれど、歪んだ愛だ。相手が嫌がることをしないというのは幼稚園で学ぶことだけど、こういう人たちは自分の愛が暴力だということを絶対に認めない。だから結局縁を切ったり、逃げる以外に方法がなくなっちゃう。
思いはたしかに複層構造だら、奥の奥には相手に対して自分自身でも気づいてない層があるだろう。でも言葉にして「一切関わるな」と書くのは、それがわたしの意思だからだ。わりと強めに書いたつもりなんだけどな。
その意思を理解しようとせず、気持ちが悪いとわたしが感じる好意の表現をしてくるひとに、どこまでお仕事場でもあるこのブログで、書きたくないことを書き続けなければいけないんだろう。やめてくれ、それだけなのに。ふう、ためいき。
ローズマリーが悪霊退散に効くなら、生霊退散とか、縁切りにも効果ないかな
