年齢を重ねると「死」に触れる機会は多くなるけれど、わたしは自分がどこまでそこに接近できているのかよくわからない。
ガンになったからと疎遠になっていたひとに会いに行くのはどうなんだろう?と考えて、結局合わないまま最後のときを迎えてしまった。
しまった、と書いたが後悔しているのともちがう。わたしが後悔していないのは、作家である水城ゆうさんがここに書かれているようなしあわせな最後を過ごしたことを知っているからかもしれない。
「ジーザスが来た」と言ったときのやりとり最高。
こんな愛され方があるんだね。
本人が本当はどう感じていたかはもちろんわからないのだけど、水城さんがたくさんの愛を与えてきたことはわかる。わたしの中の水城さんは、自分という場をなるべくオープンにしてたくさんの人を受け入れいていた。がんになってからも、SNSやブログで積極的に発信をされていた。
それが最後に”見守りフェス”として結晶化し、多くのひとの「貢献」やその他ニーズを満たすというところまで昇華されているのをみると、驚嘆する。
身体的にも精神的にも大変なことはきっとあって。それでもフェスとして乗り越え、最後の瞬間を仲間に見守られ、愛するひとの膝の上で迎える。最高だ。
いつかまた、お会いしたいです。
こんどは時間のない世界でゆっくりと。