わたしが中野ブロードウェイ4Fにある『中野トナカイ』というお店に入店して占いをするようになったのは偶然に偶然が重なった結果だった。
 
 
 
その頃トナカイでは初心者がお店にすわって、占う体験ができるという企画があった。駆け出しで、実績もあまりなく、知らないひとを占うということにまだ少しおびえていた頃、わたしはそれに応募した。
 
 
 
わたしが入店する予定だった日、斜め向かいのお店がなんとかかんとかで日程がずれた。そのずれた日に横に座っていたのがまついなつき店長だった。
 
 
 
一緒に横に座らせてもらったあの日「トナカイに入ってやってみる?」と、「こんにちは」と同じくらいの軽やかさで誘ってもらったのだ。
 
 
 
実ははじめて会ったのはその日ではなく、その1〜2年前に店長の「西洋占星術 初級」を受けていた。覚えてないみたいだったけど、わたしの占星術の先生は店長だ。
 
 
 
それからトナカイは、中野ブロードウェイを出ていかなくてはならなくなり、南阿佐ヶ谷に移転した。最後の日、荷物の片付けをお手伝いしたときに、中野の焼き鳥屋さんでご飯をご一緒したのはよい思い出。
 
 
 
トナカイは、新人がデビューしやすいようにと色々なチャンスを与えてくれる『場』だった。お店の利益より、みんなが経験を積んで飛び立てるように、という想いにあふれていた。ただ甘やかすのではない。交通費が利益を上回り赤字になることが続けば「クビ」を宣告されることもあると聞いた。やさしさでしかない。
 
 
 
「まついなつき」はお金をもらって文章を書くプロ。そのプロが鑑定料をはらって、わたしのセッションを受け、時間と労力をかけて、感想という名の宣伝を自分のnoteに書いてくださった。それ以外にも感想を書いてくださったものを昨日いくつかリブログしたのでよかったら見てください。
 
 
 
「觜野さえこ」(はしのさえこ)
 
 
 
入ってしばらくして、まつい店長が占い師ネームも考えてくれる、という噂を聞いてお願いしたことがある。それまでは苗字のないsaikoという名前だった。まつい店長の付ける名前は漫画家のペンネームのような名前が多いと聞いていたが、そのどれもがわたし好みだった。「なんちゃって姓名判断だよ、それでよければ」と快諾してつけてくれたのが上の名前だ。
 
 
 
「『觜』という漢字が、トナカイの角みたいに見えるので使ってみた」とおっしゃっていて、たしかにトナカイの角みたい!かわいい!とワクワクした。それからトナカイを見つけては写真に収めるようになった。

 
 
かわいい、そうおもった。なのに。お願いしたにも関わらず、わたしは自分の本名が「さいこ」という読みだったので微妙な1文字違いが居心地わるく、現在の名前に自分で改変してしまった。それを店長は「全然OK!」と笑顔で快諾してくれた。
 
 
 
「觜森さい子」(はしのもりさいこ)
 
 
 
よく考えたらとても失礼なことだ。
お願いしておいて。



わたしの名前の中にはトナカイが息づいている。わたしの名前の中には、まつい店長が息づいている。
 
 
 
 
 
 
 
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2018年にトナカイ10周年記念パーティーがお店のすぐ近くの「タロット・バー アーサ」であった。向先生が「女は50代がいちばんもてる」とおっしゃっていたので、わたしはまつい店長に「それは本当ですか?」と尋ねた。「本当である」というはげましにも似た返事が、最後の会話になった。トナカイは昨年7月、お店を閉じた。
 
 
 
 
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『わたしたちはいつかひとつであるものに戻る』という文章を何かの講座の紹介文として書かれていたのを覚えている。正確には思い出せないが、とてもすてきな紹介文だった。
 
 
 
早すぎる、とか、まだこれから、とか、油断するとついうっかり口から出てきそうな言葉を飲み込む。ひとつであるものに戻ったたましいに、もったいないなんて概念はないだろう。
 
 
 
苦しくもないし辛くもない。
少し悲しく、とてもさみしい。
 
 
 
昨夜はただ涙がポロポロ流れた。やがてこれも過ぎ去り、やさしい想い出がわたしに残されるだろう。
 
 

 

 

 
 
ありがとうございました。



想い出を抱えて、わたしも生をまっとうしたい。生と死は一対で、死について考えることは生について考えることだ。どちらがよくて、どちらが悪いというものではないんだろう。そんなことを考える機会を与えてくれるひとに出会えたことが、わたしの宝物です。