わたしは過去世は、夢のようなものだと捉えています。
いまこの肉体で経験しているのではないけれど、こころの中に何かしらの感情の傷みがあって、それがフックとなって思い出される、もしくは作られるストーリー。
ほんとうにあったことかもしれないけれど、それを証明することもできないし。
でもフックとなる感情が解放されたがっていると考えると、夢や過去世をビジョンでみることには意味があると思っています。
なぜ過去世について書いたかというと…
先ほどお風呂につかりながら、すこしだけ瞑想をしていたら「あら、これは過去世かしら?」と思うようなビジョンが浮かんだから。
お彼岸だからでしょうか。
時空のポータルが開いているのかもしれない。
そのビジョンは古い時代の日本で、わたしは小さな女の子で「ごめんなさい、ごめんさい」と言っています。どうやら家から追い出されたようで、中にいれてほしくて泣きながら謝るの。家の中にはお父さんらしき人がいて、すごく冷たい目でこっちをみてる。許してくれる雰囲気はまったくありませんでした。
そこでわたしはビジョンを終わらせて考えはじめてしまった。
奇跡のコースを学んでいる身としては、神と神の子に関する自我のストーリーそのままではないか(神は恐るべきもの、天国からの追放)と思いました。
もうひとつ浮かんだのは、わたしの中の女性性がわたしの中の男性性を「冷酷なひと、決して許しくれないひと」「いつか冷たく見放される」と思っているのかもしれないということ。仲よくやってほしい。
実際の男性をそういう風に思ったことはないけれど、昔の恋愛を思い出すと、捨てられるのがこわくて自分の感情をコントロールできなかった過去があるので、投影していたのかもとも思う。
わたしの今世の課題のひとつは、その父親像を許すことだったりして。父親役のひとも今の時代に生まれていれば罪悪感でいっぱいなのかもしれない。実父もそういうところがある気がする。わたしに対してではなく、兄に対してだけど。
カルマ、という観点から考えるとなぜか樹木希林と内田裕也が思い出される……。樹木希林は普通なら10回〜100回分の転生で解消するカルマを、今世で一気に解決したよね。赦しの鬼。愛に生きているひと。
いずれにせよ、春分前にこのようなビジョンが出てきたということは「それはもう終わったことだよ」というお知らせです。
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