もしマルセイユタロットに描かれているシンボルがなんの苦労もなく読めてしまったら、わたしはこんなにマルセイユタロットにはまらなかったと思う。

 

 
スピリチュアルなテキストとしてこれを読むとき、謎解きの感覚があるからおもしろい。そしてそれは終わらない予感があるからますますワクワクする。
 
 
わたしが天才で、ただただ分かる、分かってしまうという状態なら早々に手放していたかもと思う。
 
 
勉強しなくても毎回テストで100点が取れるなら、勉強することに興味がなくなると思うの。成長できる余白がないと退屈だから。
  

 

努力型の人は少しずつできるようになっていく喜び、成長する喜びがあるから続けられる。感情にとっては大切なこと。
  
  
でもどれだけ勉強をしても成果がでないと、やっぱりやる気はなくなるよね。どんどん疲弊していく。
   
  
いずれにしても、続けた人だけがそれを手にすることができる。
 

できてしまうことは、楽。それは他者に向かって活かすためにあるんじゃないかな。誰にでもあるはず、できてしまうこと。
 
 
そして好きなことを努力してできるようになることは、個人的な達成感が得られる。
 
 
できてしまうことだけの人生はつまらないし、努力して達成感を求めるだけの人生もつかれる。
 

この2つがつながるところに、発揮すべきわたしたちの才能がある気がする。個人と社会をつなぐ才能が。


『感情』はリズムを好む。
 


凪のような状態と、ぐんぐん成長する状態はよろこびの種類がちがう。片方だけではだめで。
 


どのようにこの2つのリズムを刻むのか、自分の最適なバランスを見つけることができたとき、使命を存分に生きることができるんだろうね。