◇ お金とカップのエース、聖杯 | あなたを読むものがたり マルセイユタロット・レッスン
小学生と中学生が、自動販売機を燃やしてお金を取る手口をネットで知り、何回か繰り返していたというニュースを見た。
何のためにお金が欲しかったんだろう。
欲しいものを買うために、だろうか。
何かを壊してまで手に入れるのはどうかと思うが、楽して欲しいものを手に入れたいという気持ちは、わかる。
楽してというか、苦労しなくても、の表現の方が正しい。
欲しいものを手に入れるのに、苦労しなくてもいい。
大抵の人は財布の中にお札が入っているし、預金通帳にも数字が印字されてる。人は、どうやってそれを手に入れたんだろう。
苦労して?働いて?何かを代償にして手に入れたのなら、人に取られたら悔しいね。
お金って誰かが所有できるものだろうか。
社会の中をお金は循環しているが、でも元々はどこで生まれたのか。
それは私たちの心の中。
ではなくて、中央銀行。
魔法をつくっているところ。
無から有を、つくりだす。
生活に必要なものは全て、自然が用意してくれている。
空気も、植物も、穀物も、野菜も、海藻も。石も、鉱物も。昆虫も、魚も、動物も。あなたも。
魔法でつくりだされたお金は、それらがベースだ。あとは人の手がそこに加わる。例えばダイヤモンドは、そこにすでにあり、人は見つけ出してカットするだけだ。9割以上が宇宙の産物である。
目の前にあるお金が魔法だったら、所有者は関係なく使ってもいいんじゃない?
人から盗ってはいけないのだろうか。
まぁ、今ひったくりに会ったら私も般若の顔して追っかける訳だけれども。
『お金が、好きなことをしてたらいつのまにか集まってた』
という人は(スピリチュアルで起業を目指す人の憧れのステージ)、それでもやっぱり盗られたらいい気はしないだろうね。
溢れ出る湧き水のように巡って、前を通る人にたくさん分け与えても減ることもなく、どうぞどうぞと笑顔で渡せるような、もらう側も「いえいえ、先ほどお隣でもいただいてそんなには使い切れませんので」というような、そんな世界がどこかにある。
盗るとか盗られるって何のことですか?な世界。
カップのエースにはその根本原理が描かれている。


