(2023/7/17)
マスメディアが報道するのは真実ではなく「自分たちが真実として報道したいもの」に過ぎない。
『「娘の遺体は見ない方がいい」と言われた母は『会います』と答えた…“京アニ放火殺人事件”遺族の壮絶な経験』(テレビ高知、2023年7月17日)
変わり果てた娘との再会。渡邊達子さんは、まさかそんな日が自身に訪れるとは思っていませんでした。京都アニメーションへの放火殺人事件から、7月18日で4年。娘を失った母の壮絶な経験を、入社1年目の記者が、2023年2月に取材していました。【前編・の前編】
『渡邊美希子の母です。あの子がいなくなって考えたことがあります。それは、誰もが自信を持って生きていける社会があって、精神的に強くて優しい人が多ければ、こんな事件は起こらなかったのでは、ということ。』
――2023年2月、高知市で、事件の被害者遺族の講演会が行われました。自身の経験を語ってくれたのは、滋賀県に住む渡邊達子さんです。2019年7月18日に起きた、京都アニメーションへの放火殺人事件(36人が犠牲)で、35歳だった、娘の美希子さんを亡くしました。
事件の報道で、娘の職場が炎に包まれるのを目にした達子さん。安否を確認するため、連絡を取ろうとしますが、電話はつながりません。
「とりあえず、あの子のそばに…」事件の日の出来事
▼渡邊達子さん「美希子は末っ子です。あの子が『アニメの世界へ行く』というので、どこに会社があるのか、見に行ったこともありました。」
「なので、テレビで事件の報道が流れている時、『前に行ったことのあるところではないか』と思いました。スタジオがいくつかあって、あの子がどこにいるかはわからないんですけど、『これはあそこや』と思いました。」
「報道を見て、美希子に電話しても当然出てくれませんでした。家族で話をして『とにかく待った方がいいんじゃないか』という意見も出ました。」
「でも、親バカの私は、ただ家で待ってるというのは耐えられなくて、とりあえずあの子のそばに行きたい、と思って、娘(美希子さんの姉)と滋賀県の家を出ました。」
――連絡が取れない娘のもとに向かった、達子さん。待ち構えていたのは、報道カメラでした。
「美希子さんのお母さんが来られました…」漏れ聞こえてくる嗚咽
――「あれだけの火事だから、けが人もいる。最悪、この世界にいられなくなった状況になった人もいるのでは」と考えながら、達子さんは会社に向かいました。
京都について本社の前に行くと、達子さんたちを待ち構えていたのは、たくさんの報道カメラでした。
▼渡邊達子さん「本社の前に行くと、カメラを抱えた報道の方たちがいました。『すいません』と通り抜けて、閉まっていたドアをトントンとたたきました。」
「『美希子の母と姉です』と言うと、扉を開けてくださって、開いた途端に嗚咽というか、泣いていると分かる声が聞こえてきました。開けてくださった方が、『美希子さんのお母さんとお姉さんが来られた』と言った途端にしんっ…って。」
「2階で待ってたんですけど、しばらくして『娘とは会える状況ではない、今どこにいるかもわからない』というのを聞いて、ここにいてもどうしようもないと分かりました。」
――本社から出ると、達子さんたちは報道機関に囲まれました。マイクを向けられ、『どういうご関係ですか』と聞かれたといいます。でも、達子さんたちには、美希子さんがどこにいるのか分かりません。
唯一確認できたのは、今、病院に搬送されている人の中に、美希子さんが含まれていないこと。この時点で、美希子さんが亡くなっているということを悟りました。
▼渡邊達子さん「何もわからない状況で本社から出てきた私と娘に、マイク向けて何か喋るって無茶ですよね。仕方がないので、とりあえず報道は置いておいて、会社が手配してくれたホテルに向かいました。」
――その後、警察が行ったDNA鑑定の結果が出ました。達子さんは家族4人で、遺体が安置されている場所に向かいました。変わり果てた娘との対面でした。
娘と対面した母…遺体を見て頭に浮かんだのは「隠さなあかん」
▼渡邊達子さん「『遺体は見ない方がいいと思います』という話だったんですけど、見ないという選択肢が私にはなかったので、『会います』と言いました。会った時の4人の反応が、ものの見事にバラバラでした。」
「夫は『骨格、顔の骨格が美希子だ』と言いました。美希子の兄は『ひどい』とだけ言いました。」
「私は、お葬式をせなあかんけど、一般のお葬式のように『見てやって』と言えるような姿ではないから、『隠さなあかん』と思ったんですよね。」
「最初に頭に浮かんだのは『隠さなあかん』でしたね。家族でもやっぱり反応バラバラだというのを、あの時改めて思いました。」
――想像できないほどの悲しみ、むなしさ、怒りがあったはずです。遺体となった美希子さんと対面し、お父さんは「骨格が似ている…」としか、達子さんは「隠さな」と思わざるをえなかった…一般的な“別れ”では決してないその場面を想像すると言葉も出ず、メモを取る手が震えました。
“報道”とは?
▼渡邊達子さん「少しして『実名報道されますか』という話がありました。夫が『美希子は何も悪いことしてないから、逃げ隠れする必要はない』と言ったので、『いいですよ。実名報道はOKです』と言いました。」
「そうすると我が家に、(記者が)来るようになったんですね。ほとんどが若い方でした。私の子供たち世代。『ずるいやろう』と思いました。年配の方がこられたら、『あなた、私と同じぐらいの年齢ならわかるでしょ』と言えるけど、若い人たちをよこすのはずるいと思いましたね。」
「家族が悲しんでいるのは当たり前の話で、記事という観点ならば、親のところに来るのではないだろうと。何でこんなことが起こったのかを調べて書くのが、報道の人たちの使命と違うのか、とも言いました。」
――まっすぐに突き刺さる言葉でした。殺人事件の被害者遺族を、私は取材したことがありません。先輩から教えられた「悲しみを繰り返さないため」という“報道機関の役割”は理解しつつも、壮絶な状況に置かれた人にマイクやカメラを向けるなんて、本当はしたくはない。
もし記者としてその場に立った場合、私には何が伝えられるのか、何を伝えるべきなのか、どう向き合うべきなのか。凄惨な事件の話を見聞きするたびに、自分の使命と倫理観の間で葛藤が生まれます。
――その後、達子さんのもとに、美希子さんの遺品が戻ってきました。
遺品はきれいに拭かれていた…自分を見つめなおし、心を整理したカウンセリング
▼渡邊達子さん「警察から、遺品が整ったと連絡がありました。燃えたかばんとか、あの子がつけていたであろう時計とかでした。本来であれば、かばんにしても、もっとすすがいっぱい、時計なんかも、真っ黒なのが普通だと思うのに、綺麗にしてから持ってきてくださったというのは、一目瞭然でした。」
「真っ黒になった時計とかを見ると、ショックが大きいだろうと思って、配慮してくださっているんだな、ありがたいことやな。優しいなみんな、と思いました。」
「カウンセリングに対しては、全然ハードルが高くなかったので、お願いしたら来てくださるようになりました。月に1回ペースで、今も来てくださっています。来ていただいてよかったと思っています。」
「家族だけだとどうしても、特に夫と私の間ですけど、一触即発みたいなこともやっぱり起こるんですよね。なので、カウンセリングはとてもありがたい存在でしたね。少し自分を見つめ直す、何を感じているのかを自分の中で整理整頓できる場所を与えてもらったなと思っています。」
――達子さんに続いて、美希子さんの兄、勇さんも話をしてくれました。勇さんはあの日、事件のことを、美希子さんの姉から聞きました。しかし最初は、「大丈夫やろ」と思ったといいます。「妹が関係しているわけがない」と…(に続く)