(2026/7/14)
2020年の大河原化工機冤罪殺人事件と同様の国、特に司法(裁判所)と行政(検察)の共謀による殺人事件です。
本来、刑事裁判で死刑判決が確定し、法務大臣の命令がなければ国が人を殺す事は出来ません。(刑事訴訟法第475条)
これに対し、記事の様に、未成年の人物を客観的な証拠もなく長期にわたって拘束し、精神的圧迫を加え続け殺害する。
大河原化工機冤罪殺人事件では、裁判所と検察が、被告のガンの治療を受けさせないという消極的手法で「無実の人物」を殺害しております。
裁判所と検察が共謀すれば、人を殺すのに刑事裁判も死刑判決も不要。
大河原化工機冤罪殺人事件によって、国はただ人を殺すだけの方法を確立しております。
現在、政府はスパイ防止法や国家情報会議など、戦前の特別高等警察や治安維持法の様なファシストのシステムを導入しておりますが、
誰がいつ、どのような理由でスパイを理由に拘束され、病気にされて放置されて「病死」にされても不思議ではない状況にあります。
要するに、あなたもいつ殺されるか分からない、と言う事ですね。
記事の件は兵庫県と言うのも納得できますね。
『「ママあいたい」「何にもしてないのに」 兵庫県警が逮捕した16歳少女が衰弱死 ノートにつづられた「違法捜査」と無実の訴え』
「娘はなんのことだかまったくわからずに警察に連れていかれました。不当な勾留をされ、身に覚えのない取り調べを受け、さぞ怖かっただろうと思うと涙が止まりません」
兵庫県内の障害者福祉施設に勤めていた少女(当時16歳)が昨年12月に極度にやせ細り、低栄養状態となって死亡したのは、兵庫県警や神戸地検の違法な捜査や勾留、取り調べが原因だったとして、少女の母親が6月17日、県や国に国家賠償を求める訴訟を神戸地裁に起こした。母親は冒頭のように言い、少女が勾留中に取り調べの様子を記録していた「被疑者ノート」を見せてくれた。その記述からは、警察や検察の不当な勾留や取り調べの一端が見えてくる。
少女の母親は兵庫県内で障害者福祉施設を運営している。母親の話や訴状によると、少女は障害者支援に力を注ぐ母親の背中を見て育ち、障害者福祉施設のスタッフとして働くようになった。必要な資格も取得し、利用者にも信頼を得て、施設にかけがえのない存在になっていた。その人生が暗転するきっかけとなったのは、昨年2月15日に開催された施設のバレンタインイベントだった。
イベントには施設利用者やスタッフ35人が参加した。その一人が在宅で生活介護などの支援を受けていた施設利用者のXさんだった。母親が振り返る。
「Xさんは在宅で介護のお世話をしていた利用者でしたが、人がたくさんいる場所は苦手で、イベントでも手足をばたつかせ、男性スタッフがとめようとしたが、イライラしたままだった。そのうちXさんは自分の指をかむ、近くの人にかみつこうとするなど、より不機嫌になっていった。娘はそれに気づき、Xさんの横に入ってなだめようとしたが、おさまらず、腕をつねられたりして大変だった。娘が『あかんよ』と言いながら、お菓子などをあげるとようやく落ち着いた」
母親はXさんにつねられて青あざになった少女の腕の写真も見せてくれた。
■4カ月後にいきなりやってきた警察官
その後、イベントは大きなトラブルもなく無事に終了して、Xさんも自宅に帰ったという。
ところが、4カ月もたった昨年6月17日朝7時ごろ、突然、兵庫県警明石署の警察官が多数、少女が勤める障害者施設にやってきた。2月のバレンタインイベントでXさんに対応した少女と、もう一人の男性スタッフに、Xさんに対する暴行の疑いがあり、任意同行するという話だった。
少女の母親は別の施設にいたが、連絡をもらって現場にいた署員に電話で「30分ほどで着くのでそれまで待ってほしい」と求め、署員は「わかりました」と言ったという。だが、母親の到着を待たず、少女とスタッフは明石署に連行され、そこで暴行容疑で逮捕された。
「娘がなぜ逮捕されたのか、まったく理解できませんでした。16歳で、警察に調べられたり、かかわったりすることはまったくこれまでなかった」(母親)
■証言者は「オーバーに言ってしまった」と謝罪
なぜ逮捕されたのか。母親の代理人である向井義博弁護士の説明によると、こうだ。
「バレンタインイベントでXさんが暴れそうになったとき、少女と男性スタッフが止めようとしてあごのあたりに触れた。それを見ていた参加者のYさんが後日、ある市役所の障がい福祉課の職員に、少女やスタッフによるXさんへの対応は虐待なのではないかと話した。それがXさんの親に連絡され、Xさんの親が明石署に被害申告をした。明石署は少女の母親や施設に事情聴取もせず、他の参加者にも十分に話を聞かず、周辺捜査もしないまま、Yさんの話だけで逮捕したのです」
ちなみに暴行を受けたとされたXさんにけがはなく、医師の診断も受けていないという。
虐待ではないかと証言したYさんは施設の利用者だった。向井弁護士によると、少女が死亡した後に少女の母親と面談した際、Yさんは、少女らがXさんのあごを押さえたと市職員や警察に言ってしまったが、実際はあごに手を添えていたのであり、「オーバーに言ってしまってすいませんでした」と謝罪したという。
だが、そのYさんの証言をもとに少女は逮捕され、執拗に“自白”を迫られることになった。接見が禁じられ、弁護士以外は面会できない状態になり、女性用の留置施設がある県警小野署に移送された。弁護士が差し入れた被疑者ノートに少女が記したメモによると、少女は午前中と、昼休憩から午後3時ごろまで、休憩後から夕食まで、夕食後と、1日4度、計5時間以上の取り調べを受けた。
■「施設をつぶしたいわけじゃないねん」
ノートに記された記述を見ると、警察の取調官は、次のように脅迫めいた言葉で“自白”を迫っている。
〈すなおに言え、しょうじきに言ってくれ〉
〈少年(院)に行きたいんか、いつまでがんばるん?〉
〈別にしせつをつぶしたいわけじゃないねん お母さんこまらすな〉
そして、こんな言葉で追い込んでいる。
〈みんなと言ってる事とあなたが言ってる事がちがうのはなんでやろうな おかしくないか 自分がけいさつかんやったらおかしいと思わん〉
実際には、一緒に逮捕されたスタッフ含め誰も暴行を認めていなかったので、このメモ通りなら虚偽に基づく取り調べだろう。
■「ショックで食べれない」
取り調べを受けた少女は、自分の心情についても記している。
〈なにもしてないのに ショックで食べれない〉
〈どうかおねがいします 1日でも早くかえりたいです。お母さんにあいたいです〉
〈何にもしてないのに こんなんになるんですか 自由をかえしてほしいです〉
〈ママ早くあいたい こんなむすめでごめんなさい〉
〈ママあいたい 不安でいっぱい ごめんね えいが行こうね いつもありがとう〉
長時間にわたる取り調べを受け、少女はノートのページがいっぱいになるまで取り調べの様子やつらい心情をつづっていた。その一部は文字がにじんでいた。
「涙があふれてノートに落ちて、文字がにじんだと娘は言っていました」(母親)
取り調べの中で、「飴」を与えるようにやさしい言葉が投げかけられることもあった。
〈おれがせきにんもってけんじさんところにもっていくから ホンマにしんぱいせんでいい。てきにみえるかもしれんけど そんな事する子じゃないってしんじてる おれも言いかたがわるかったな ごめんな〉
これに対して少女は、こうつづっている。
〈きゅうにやさしくなってこわかった〉
〈まけません〉
少女は勾留期限だった6月27日を頼りにしていた様子も記している。
〈ぜったい27日帰ります。〉
〈27日でれるよね、でれないかな〉
だが、取調官は勾留期限を待ちわびる少女の思いを利用するようにこう告げている。
〈27日にバイバイできひんぞ〉
〈すなおに言え、27日に帰されん〉
身に覚えのない容疑を認めなかった少女に対し、神戸地検は27日に神戸簡裁に勾留期間延長を請求し、裁判所は10日間の勾留延長を認めた。弁護団が準抗告を申し立てたところ、勾留延長は7月2日までの5日間に短縮された。
勾留期限前日の7月1日のノートに、少女はこうつづっている。
〈これでさいごのとりしらべとなる〉
〈明日おかあさんに会える〉
しかし、7月2日、神戸地検は神戸地裁に再び勾留期間延長を請求した。この請求は神戸地裁に一度却下されたが、神戸地検が準抗告を申し立てたところ、さらに5日間、7月7日までの延長が認められた。
■勾留後の体重は27.7キロ
少女はもう限界だったのだろう。逮捕後、ほとんど食事がとれず弱っていたところに勾留延長のショックが襲った。2度目の勾留延長となった7月3日、2度嘔吐して留置場内で倒れ、病院へ救急搬送された。だが、輸液の処置がされただけで、再度、少女は留置場に戻された。
「運ばれたと聞いて病院へ行きましたが、明石署員から『会えません』と拒絶されました。『入院を』と言ってもとりあってもらえない。本当に心配で胸が張り裂けそうでした」(母親)
救急搬送されたことを聞いた弁護団が勾留執行停止を申し立てたところ、7月4日に少女は突然、処分保留で釈放された。逮捕から18日間の身体拘束だった。「共犯」とされたスタッフも7月7日に釈放され、その後、2人とも不起訴となった。弁護団は不起訴の理由開示を申し立てた。「嫌疑なし」の不起訴だったら少女の気持ちもやわらぐという思いがあったが、神戸地検は応じなかったという。
「警察から出てくると、これが娘かと思えないほどやせ細って、ガリガリでした。予期せぬ逮捕のうえ、ありもしない罪を認めろと警察から強要され続け、食事がとれなかったそうです。娘を抱きしめると『ずっとお母さんと一緒にいる』と泣いていました。家に戻った後も『また捕まる』『警察怖い』と夜になるとうなされ、極度の不安状態が続きました。なんとか食べても、吐き気がとまらない。内臓が食べ物を吸収できずトイレに駆け込む状態でした」(母親)
釈放後に少女の体重を測ると、27.7キロしかなかった。逮捕前は37.5キロだったので、勾留によって10キロも体重が減っていた。病院では、身体拘束のストレスにより食事がとれなくなり、病的に痩せた「羸瘦(るいそう)著明」、「PTSD」(心的外傷後ストレス障害)などと診断された。
「娘は手にナッツを細かく砕いたものを持ち、時間を見つけては口にいれてなんとか体力を回復させようとしていた。その一方で、利用者のお世話もしていた。だが、体力は回復せず、施設の一角にベッドを置いてそこに横になりながら、頑張っていました」(母親)
一時は体力も回復に向かったが昨年11月になると再び悪化。12月13日になると呼びかけても反応がなくなり、救急搬送されたが翌14日に亡くなった。死因は「低栄養状態(推定)」とされた。
■「間違いが明らかになったら謝って」
少女は「冤罪」で逮捕され、容疑を認めなかったことから「人質司法」で長期間勾留され続け、体調を崩して命まで失ってしまった。母親はこう訴える。
「十分な捜査もせずにいきなり逮捕した明石署、まだ16歳で逃亡の恐れもないのに、2度も勾留延長をした神戸地検はおかしい。裁判ではどうして娘が命を失ったのか、それを明らかにしたい。警察や検察は、裁判で間違っていたことが明らかになれば、謝ってほしい」
元東京地検特捜部検事の郷原信郎弁護士はこう指摘する。
「この件では、警察、検察、裁判所、それぞれに大きな問題がある。一番の問題は検察だ。亡くなった女性は未成年の16歳であり、暴行の被害者とされる人の診断書などもなく客観的な証拠もないのだから、身体拘束は極めて慎重にしなければいけなかった。警察が逮捕したとしても、送検されたときに検察は女性から事情を聴いているので、その時点で逃亡の恐れなどないことははっきりしていたはず。そこで勾留しなければこんな悲劇はおこらなかった。それどころか、自白を得ようとして、女性の年齢や精神状態、健康状態などを考慮せず、勾留延長を請求、通らないと準抗告。本来、警察を止めなきゃいけない検察が、一緒になって自白獲得に動いている。国家賠償訴訟は違法性を争点に争われるのでしょうが、それ以前に、常識としてあり得ない捜査、勾留だ」